06
名前が俺に涙を見せてから、俺は不自然なほど名前を避け、姿を見せないようにしていた。何故だか分からない。ただ根底にあるのは、恐らく名前への罪悪感。事実、沖矢昴の存在自体が名前を騙している。ただ、あの日見た名前を放っておくことができなかったのも事実だ。

今後どうするべきなのか、俺に珍しく頭を抱えていた。彼女の事になるとどうにも調子が狂う。名前が涙を見せてから、尚更慎重になっていた。彼女を泣かせたかった訳ではない。ただ巻き込みたくないだけだ。

やはりもう彼女には関わるべきではないのか。
結局何もできないまま任務に追われ、日は流れた。


ある日、いつもの如くパソコンと向き合っていると、携帯に一通のメールが届いている事に気が付いた。俺の今のメールアドレスを知っている者は限られている。連絡が来るとすればジェイムズかあのボウヤだろう。しかし、送り主はその二人ではなかった。

《こんにちは。先日はご迷惑をおかけしてすみませんでした。あのときにお借りしたハンカチをお返ししたいのですが、近いうちにお会いできませんか? 名前》

まさか彼女から連絡があるとは思わずつい自分の目を疑ったが、そこにあるのはやはり彼女の名前。名前に言われるまでハンカチを貸していたことなど忘れていた。

彼女から離れるべきかと考えているところに当の本人から連絡が来て、いくら借りた物を返すためだとはいえ、彼女の方から会えないかと言われて断れるはずもない。 俺の中では既に、会わないという選択肢は消えていた。

名前の都合を確認するメールを送り返すと、明日か来週なら大丈夫だと言う。どうせ会うなら早い方がいい。

《それでは明日の15時に、米花公園の時計の前でお待ちしています。沖矢》





待ち合わせ時刻より早く到着した俺は、約束の場所で名前を待っていた。時間と場所はこちらで勝手に指定してしまったが、果たして名前は本当に来るのだろうか。彼女に限って連絡もなく約束を破るということはないとは思うが、必ず来るという保証もない。

少しすると遠くに名前の姿が確認できた。名前も俺に気付いたようで、真っ直ぐ俺の元へとやってきた。

「すみません、お待たせしました」
「いえ、僕も今着いたところですから。良かったら少し座りませんか?」

近くにあったベンチの方を見ながらそう言うと、名前は軽く頷いてくれた。外で会った方が名前も俺を警戒しないだろうと思いここにしたのだが、この公園は思ったよりも人気がなく、目立つ行動を避けたい俺にも都合が良い。ベンチに並んで座ると、名前は小さく息を吐いてから口を開いた。

「先日は見苦しいところをお見せして本当にすみませんでした」

名前は体を軽く俺の方へ向けながら、申し訳なさそうな顔をして頭を下げた。

「そんなにお気になさらないで下さい」
「それとハンカチ、ありがとうございました。あと、これ……お口に合うか分かりませんが良かったら……」

綺麗に畳み、アイロンまでかけられたハンカチと一緒に、チェックの模様が入った透明な袋を差し出した。袋の口はリボンの付いた金色の針金で丁寧に止められている。中には丸い形をしたクッキーが数枚入っているようだった。

「ホォー……クッキーですか。これ、名前さんの手作りですよね。いただいていいんですか?」
「ご迷惑をかけたお詫びとハンカチのお礼です」

名前の手から、差し出された物を受け取る。まさか名前が沖矢昴のためにクッキーを焼いてくれるとは思ってもいなかった。

「ありがとうございます。せっかくなので、一枚いただきます」

袋の口の針金を外し一枚いただく。その味は以前名前から貰った物と変わらない味で、懐かしさが蘇る。甘い物をあまり好まない俺に合わせ、甘さを控えめにしたクッキーだった。

「とても美味しいです。ありがとうございます」

名前が沖矢昴のために、俺に作った物と同じ物を作るとは正直複雑な気分だった。赤井秀一としては彼女が愛しくて仕方がないのだが、名前がどういうつもりで沖矢昴に対してこれを作ったのか想像もつかない。ただ、名前がわざわざ作ってくれた事は素直に嬉しかったので笑顔を作りお礼を告げるが、名前は何も反応を示さない。

「名前さん?」

ぼんやりとどこか一点を見つめる名前に呼び掛けると、突然声を掛けられた事に驚いたようで慌ててこちらに顔を向けた。

「あ、すみません……。お口に合ったなら良かったです」

そう話す名前の表情は、この間俺の前で涙を流した時と似通うものがあった。もし本当にそうだとしたら、彼女が今考えている事は。

「今、亡くなったという恋人のことを考えていましたか?」

もっと彼女を気遣った言葉をかけてやるべきなのに、カマをかけるような聞き方しか出来ない俺は本当に酷い男だと思う。俺の予想は的中していたらしく、名前は小さな声で返事をしながら頷いた。

「その恋人、僕に似ているんですか?」

単純な疑問だった。声も外見も変えている。それなのに、どうして沖矢昴といると俺を思い出すのか。どうして沖矢昴を見て涙を流すのか。話してくれないだろうと思っていたが、意外にも名前は素直に話し始めた。

「顔とかは似てないんですけど、なんとなく雰囲気というか仕草というか……最初はそんなこと思わなかったんですけど、昴さんといるとなぜか彼のことを思い出してしまうんです。忘れようとしているのに忘れられなくて……。もう二度と会えないなんて……信じられない……」

言い終わった名前の目からは次々と涙が零れ落ちる。名前の言葉を聞いて心苦しくなったが、俺には名前を失う事以上に耐え難い事などない。名前を守るためには、赤井秀一の事を忘れてもらうしかないだろう。

だがこんな名前を放っておけるほど、名前に対して非情にはなれなかった。


「僕では代わりになりませんか?」


悩んだ末、俺が出した結論だった。



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