07
「……え?」

俺の言葉に名前は驚きと混乱が混じったような、なんとも言えない声をあげ、涙目のままこちらに顔を向けた。頬を伝う涙が陽光にきらめく。

「僕では、名前さんの亡くなった恋人の代わりにはなりませんか?」

名前の目を見ながら、再度同じ言葉を投げかける。俺の代わりに沖矢昴の事を想い、俺を忘れてしまえばいい。どのみち俺はもう君の前に姿を現す事はできないのだから。

「どういう……意味、ですか……?」
「そのままの意味ですよ。亡くなったという恋人の代わりに、僕の恋人になっていただけませんか?」

名前はまだ俺の言う事に納得できていないような表情を窺わせた。もちろんすぐに首を縦に振るとは思っていない。そんな簡単に決断できるような事ならば、名前はここまで苦しんではいないだろう。

「僕を亡くなった恋人に重ねていただいて構いません。簡単に風化するような想いではないでしょうから」

俺と似ていると思うのなら、俺に向けていた感情をそのまま沖矢昴に向けてくれ。"沖矢昴"として、君の気持ちを全て受け止めるから。

「昴さんは……本当にそれでいいんですか……? そんなことをすれば、私はきっと、昴さんのことを傷付けてしまいます……」
「あの日、恋人のために涙を流す名前さんの姿を見たとき、名前さんの側に居たいと思ったんです。そして、今も」

名前の目から零れ落ちる雫をそっと人差し指で掬い取った後、名前の頬を両手で優しく包み込む。それでも流れる涙を今度は親指で拭った。名前に直接触れるのはいつぶりだろう。手に伝わる名前の温もりが懐かしく感じ、もっと彼女に触れたいとさえ思ってしまう。

「僕のことを利用してください。あなたになら傷付けられても構わない」
「どうして、そこまでしてくれるんですか……」

涙で揺れる瞳が俺の目を見つめ返す。どうして、と聞かれてもそれが今の俺に出来る精一杯の償いだと思ったから。君を苦しめているのは全て俺の決断の所為だ。
だから俺に対する負の感情も、全て沖矢昴に向けてくれていい。捌け口にしてくれても構わない。こんなことで君に対する償いになるとは思っていないが、ほんの少しでもいい。名前の気持ちを軽くしたかった。

「名前さんのことが好きになりました。あなたの支えになりたい。あなたを一人にしたくないんです。それでは理由になりませんか?」

これ以上壊れていく君を見ていたくない。

俺を見つめる潤んだ瞳が閉じられると、溜まっていた涙が流れ落ち俺の手を濡らす。どう返事をするのか悩んでいるのか、名前は何も言わない。

「……僕では代わりにもなりませんか?」

赤くなった名前の瞳と視線が再び交わる。頬から手を離し、脚の上で固く握られている名前の手に左手をそっと重ねた。名前の手は、微かに震えていた。"代わり"というのに無理があったのかもしれない。だが普通に気持ちを伝えたところで、名前が俺を受け入れる可能性の方が格段に低い気がした。

「そんなことは、ないです……けど、」

何か言いたげな彼女は伏し目がちになり、途中で言葉を止めた。名前の思いを聞かせてほしい。名前に続きを話すように促すと、俺の目を見ながら遠慮がちに口を開いた。

「……昴さんは、本当にそれでいいんですか……? もしかしたら私、ずっとあの人の事を忘れられないかもしれないんですよ……?」
「ええ、それでも構いませんよ。名前さんが側に居て下さるのでしたら。僕が自ら望んだことです。まぁ、多少は好意を持っていただけると嬉しいですが」

名前があまり気に病まないよう、冗談めかしく沖矢昴の笑顔を貼り付けて名前に語りかける。しかし名前は何も言おうとしなければ、頷く事も、首を横に振る事もしない。


しばらく名前の返事を待ったが、一向に答えが出る気配はない。やはりそう簡単に納得してくれるはずはないか。どうすれば名前を説得できるのか、策を練り直す必要があるかもしれない。一度頭を切り替えようと思い、名前に重ねた手を離し立ち上がった。


名前が俺につられるように立ち上がり、俺の左腕を掴んだのはその直後の事だった。



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