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名前を工藤邸へと運び込み、ソファーの上へと静かに下ろした。本来であればベッドに寝かせるべきなのだが、まさかこの家に連れてくるとは思っていなかったため、寝室には俺の荷物や着替えを置いたままにしている。名前がそれを見たら、いくら変装しているとは言っても疑うきっかけにはなるかもしれない。もし俺の正体に気付くようなことがあれば、全ての計画が水の泡となって消える。

未だに意識を取り戻さない名前の顔を見ながら頭を何度も撫でると、微かに口元を緩ませたような気がした。

「あかい、さん……」

はっきりと俺の名を呼ぶ声に驚き、名前が目を覚ましたのかと思い顔を覗き込むが、固く閉じられた瞳が開く気配は感じない。俺の夢でも見ているのだろうかと自惚れたくなるほど、名前の口から俺の名が出ると心が揺さぶられた。

……その声で俺を呼ばないでくれ。もう一度君の隣に戻りたいという、塞き止めた思いが溢れそうになるだろう。

俺の名前を呟いた名前の唇に触れて親指でそっとなぞると、身体を小さく震わせた。そのまま頬に手を添え、少しずつ距離を縮ませていく。

そして、まだ目を覚まさない名前の唇にそっと口づけを落とした。柔らかな感触は以前と変わっておらず、最後にキスをしたあの日のことが鮮明に蘇ってくる。


「名前、本当にすまない……俺は、今でも君を……」


これだけはどうしても俺の声で伝えたいと思い、変声機のスイッチを切って話しかける。まだ目を覚まさない名前には俺の声など聴こえていないはずなのに、俺の声に反応するかのようにビクリと肩を震わせた。その直後、名前の様子は急変し、突然苦しそうにうなされ始めた。

「名前さん?」

沖矢昴の声に戻し、何度も彼女の名を呼び続ける。自分の名を呼ばれることで意識を取り戻したのか、ようやく名前の重い瞼が開いた。まだ焦点が合っていないであろう虚ろな瞳が、ぼんやりと俺を見つめていた。

「良かった。気が付きましたか?」
「あれ……。私、なんで……」

意識が戻った名前は自分の身に何があったのか理解できていないようで、額を押さえながらゆっくりと体を持ち上げた。そのまま室内をぐるりと一周見回し、ここがどこなのかを把握しようとしている。

「ここは僕が今住んでいる家です。先程歩いていたら突然名前さんが倒れそうになり、そのまま気を失ってしまったようでしたのでここに運ばせていただきました。すみません、流石に女性の部屋に無断で足を踏み入れるという無粋な真似もできませんので」
「えっ、私倒れ……っ!」

名前は何かを思い出したように言葉を失い、ひどく青ざめた顔をした。本当に、一体何があったのか。先程の様子といい今の様子といい、とてもただ事ではない。

「名前さん、大丈夫ですか?」
「心配かけてすみません。でももう大丈夫です。ありがとうございました」

俺の方に顔を向けることなく、名前はさっさとこの場から立ち去ろうとして腰を上げた。しかしまだ顔色の悪い名前は立ち上がったところで足をふらつかせ、全身が前のめりになる。反射的に体が動き、咄嗟に倒れそうな身体をしっかりと抱き止めた。今日だけで二度目だ。とはいえ全ての原因は俺にあるのだから、彼女だけを責めることなどできるはずはない。

「もう少し休んでいた方がいいでしょう。今の名前さんを一人で帰す方が余程心配です」

腕と腰に手を添えて、名前を再びソファーへと座らせた。意識が戻ったとは言ってもやはりまだ意識は朦朧としているようで、俺にされるがまま大人しくソファーに座っている。

「飲み物をお持ちしますからゆっくりしていて下さい」

そう声をかけてから名前の側を離れ、キッチンへと向かうため部屋を後にした。キッチンに行く前に部屋の外から様子を窺うと、俯いたまま自分の手の甲で目をこすっており、その仕草からまた泣いているのだと悟った。


キッチンでお湯を沸かし、名前の好きな紅茶を入れるためにティーカップとティーポットを棚から取り出す。

また泣かせてしまったようだ。今までも彼女が涙を見せるときは決まって俺が関係していたので、恐らく今回も俺が絡んでいるということまでは想像がつく。
だが一体、何が原因だと言うのだろうか。涙の理由を知りたいが、それを知るということは名前に涙の理由を問うことになる。

……もう一度名前を泣かせることになるかもしれない。

沸騰を知らせる音が静かな室内に寂しく響き、俺の感情を代弁しているような気がした。



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