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ベルツリー急行の一件は事なきを得たが、今回の件を受けてあの男がまた動き出すのは分かっていた。奴は俺の死を疑っている。
ボウヤによると奴は既に探りを入れているようで、核心に迫るのも時間の問題だそうだ。全てが繋がったとき、奴は間違いなく俺に直接仕掛けてくる。ここに乗り込んでくる可能性もあるだろう。そのときに名前を巻き込むようなことだけは、何としても避けなければならない。

名前と顔を合わせることがないまま、既に一ヶ月以上が経過していた。まだ風邪をこじらせているのだろうか。それともこの間の事で何か気に病み、俺と関わらないようにしているのだろうか。

会いたいと思うのなら俺から連絡すればいいだけの話なのだが、彼女が俺をわざと避けているのであれば、事が落ち着いてから連絡した方がこちらとしても都合がいい。


しかしこればかりは俺が思うようには行かなかった。ここ二週間ほど全く連絡をして来なかった名前が、あまり好きではないと言っていた電話をかけてきたのだ。一体何事だというのだろうか。こういうときばかりは嫌な予感が当たらないことを願うのみ。通話ボタンを押して、電話を耳に当てた。

「はい、沖矢です」
『苗字です。突然すみません』

電話口から聞こえる名前の声はどこかか細く力ないように思えたが、久しぶりに聞く彼女の声に安心感を覚える。

「名前さんから電話をいただけるとは嬉しいですね。もしかして避けられているのではないかと心配していましたから。体調はいかがですか?」
『もう治ったので大丈夫です。お誘いいただいてたのにすみませんでした』

"避けているのではないか"と何気なく問いかけてみたが、それに関して彼女は何も口にしなかった。やはり俺の思い過ごしだったのかもしれない。ということは、本当に体調を崩していたということだろう。声に力がないのもそのせいか。

「いえいえ、僕も研究で忙しくしていましたからお互い様ですよ。それにしても電話とは珍しいですね。どうかされましたか?」
『……あの、昴さん、近いうちにお会いできませんか? 会って話したいことがあるんです』

口ごもりながら言葉にした彼女の用件は、ただの「会いたい」ではなく「話があるから会いたい」というものだった。そういう名前の声はどことなく震えており、いつもの明るさはどこにも感じられない。わざわざ会って話したいと言うくらいなのだから余程深刻な話なのだろう。頭をよぎったのは、別れ話だった。

「……分かりました。それでは、来週でも構いませんか?」

本当はすぐにでも会いたいところではあるが、奴が迫って来ている今、そちらが片付くまで下手に彼女と会わない方がいい。
今週一週間でケリがつくかは分からないが、奴の洞察力であれば可能性としては十分あり得るだろう。

『はい、大丈夫です。もしよかったら、なんですけど……昴さんのお家にお邪魔してもいいですか? あまり外で話せるようなことではないので……』

まさか名前の方からここに来たいと言い出すとは思わなかった。話したいと言ったとはいえ、一人暮らしの男の家に恋人が上がり込むということの意味を、彼女は理解しているのだろうか。理解した上でそう言っているのなら、彼女の話とは何なのか。

「名前さんがよろしければ僕は構いませんよ」
『ありがとうございます。では来週お邪魔します』
「ええ、お待ちしています」

電話口から彼女の声が聞こえなくなってから携帯を机に置き、彼女との会話をもう一度思い出していた。先程は突然ここに来たいという彼女の発言に気を取られたが、「外で話せることではない」というのがどうにも気になって仕方がない。

まず思い浮かぶのは、やはり別れ話。歩道で見かけたという俺に変装した人物のせいで俺が生きていると思い、沖矢昴との別れを決意した、というのが彼女の考えそうなことだ。

これが事実であれば、俺自身としては今でもそこまで真っ直ぐに俺を思ってくれていることに嬉しく思わないはずがない。しかし正体を明かすことができない以上、今は沖矢昴として彼女を繋ぎ止めるべきだろう。

しかし、そんなことができるのだろうか。偽りの姿で彼女のことを騙している俺が、彼女を恋人として繋ぎ止めるようなことを。



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