08
私にはすぐに返事ができなかった。

いくら赤井さんに似ているとは言っても、昴さんは昴さんであって赤井さんじゃない。それなのにそんな都合よく利用するだなんて、いくらなんでもひどすぎる。

「……僕では代わりにもなりませんか?」

何の返答もしない私を見て痺れを切らしたのか、再び昴さんは口を開いた。私の頬から両手を離し、腿の上に置いていた手に昴さんの左手が重ねられる。

悲痛な表情を浮かべながら話す昴さんに、私の心も痛んだ。

……またこの顔をさせてしまった。

「そんなことは、ないです……けど、」

昴さんのこんな顔は見たくない。あなたを私の複雑な感情の中に巻き込みたくない。あなたには、いつもの笑顔でいてほしい。そう思ったら否定の言葉を発してしまった。

否定はしたものの、どっちを選んだとしても結局昴さんを傷付ける。今更になってからそれに気付いた私は言いかけた言葉を飲み込み、逃げるように少し視線を外した。

「けど……? その言葉の続きを聞かせていただけませんか?」

外した視線を追うように昴さんの視線を感じる。その視線からはどうしても逃れられず、私もまた昴さんを見つめ返すことになってしまった。再び視線が重なり合う。

「……昴さんは、本当にそれでいいんですか……? もしかしたら私、ずっとあの人の事を忘れられないかもしれないんですよ……?」

こんな状況の今でさえ、赤井さんと昴さんを重ねてしまっている。それなのに、昴さんのことを絶対に好きになるとは言い切れない。

「ええ、それでも構いませんよ。名前さんが側に居て下さるのでしたら。僕が自ら望んだことです。まぁ、多少は好意を持っていただけると嬉しいですが」

昴さんの表情に微笑みが戻る。目の前にいるのは、いつもの物腰柔らかい昴さんだった。

でも、いくらそれでもいいと言われてもやっぱり後ろめたさはある。辛いのを誤魔化すためとはいえ関係のない人を巻き込んで、それでまたこの人を傷付けることが分かっているなら、私は一人でいた方がいいんじゃないか。

でももしかしたら、昴さんとこのままずっと一緒にいたら赤井さんのことを忘れられるかもしれない。そんな最低な考えさえも頭をよぎるほど、どうすればいいのか、何が正しいことなのかが分からなくなっていた。


どれくらい考えていたのだろう。
もしかしたら数分のことかもしれない。でも私にはとてつもなく長く感じた。どれだけ考えても全く答えが出てこない。何も言うことができず、ただ黙って考え込む時間が静かに流れる。

「そうですか……」

あまりにも反応のない私に昴さんもどうしていいか分からなかったのか、今までずっと重ねられていた手が離され、ベンチから立ち上がる。


……っ、行かないで……!


昴さんの手の温もりが離れていったことで、なぜか赤井さんがまた私を置いてどこか遠くへ行ってしまうような感じがして、つい反射的に離れていく手を掴んでしまった。

「名前さん?」

私の名前を呼ぶ声にはっとした。違う。この人は赤井さんじゃない。それに気付いたときにはもう遅かった。

私の両手は完全に昴さんの左腕を掴んでいる。自分でも思いがけない行動に、慌てて両手を離した。

「……っ! ごめんなさいっ……!」

この行動に驚いたのは私だけではなかったみたいで、昴さんもかなり驚いた表情で私の一連の行動を見ていた。
それもそのはず。立ち上がった途端に突然後ろから腕を掴まれたのだから。

「どうされましたか?」
「……今、また昴さんがあの人に見えて……またいなくなっちゃうんじゃないかって……。そう思ったら、つい咄嗟に……」

本当に咄嗟に。自分でもその行動にびっくりしてしまった。まさかこんなにも昴さんに赤井さんの面影を重ねていたなんて。さっきまで触れられていた昴さんの手が、余計にそうさせたのかもしれない。

まだその感触が、頬に、手に残っている。
あの人と瓜二つの、その手の感触が。

そんなことを思っていると、いつの間にか昴さんの驚いた顔が穏やかな笑顔に変わっていた。

「それは、肯定……とみなしてよろしいですか?」

そう言う昴さんは、穏やかだけどどこか嬉しそうな、楽しそうな、それでいて全てを受け入れてくれるような、そんないろんな感情を含ませた柔らかい笑顔を私に向けた。それはその言葉の中にも含まれていて、たったそれだけの事なのに心拍数が上がったのが分かった。


……こんな笑顔を見てしまったら、もうNOとは言えなかった。



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