17
朝食、昼食と一緒にとったあとの私たちは、同じ空間で各々のことをしていた。秀一さんはパソコンと向かい合っていて、私は更にその向かい側のソファーに座って特に目的があるわけでもなく携帯を触っている。でもそれは一種のカモフラージュ。何かしていないと、秀一さんのことをずっと目で追ってしまうから。

パソコン越しの秀一さんは昴さん≠フ顔をしているのだけれど、真剣な眼差しは秀一さんそのもの。そして時折パソコンの向こう側からこちらに送ってくれる柔らかな視線も、秀一さんそのもの。

携帯を触っていてもほとんど集中できていないので秀一さんの視線には当然のように気が付くし、何度も秀一さんの方を見つめてしまう。好きな人と一緒に暮らすのって、こんなに幸せなんだ。

今までも時々お泊りすることはあったけれど、泊まった翌日に一日中一緒にいられた日は数えられるほど。それだけでも十分幸せだったはずなのに、今はあの頃とは比べ物にならないほどの幸せを四六時中感じている。

でもこの生活もきっとそのうちに終わる。しばらくしたら私は自分の家に帰らなければいけないし、以前より会えるようになったといっても今ほどではない。秀一さんに対する深い想いを自覚してしまった今、私は元の生活に戻ったときに耐えられるのだろうか。

「難しい顔をしているがどうした?」

私の視線の先はとっくに画面が消灯した携帯。俯き加減で手が止まっている状態なのが気になったのだろう。心配そうな声が聞こえたので顔を上げると、秀一さんはこちらをじっと見つめていた。彼の視線にさえも気付かないほど考え込んでいたなんて。

「あ、いえ……ちょっと考え事してて……」
「何かあったか? 眉間にしわが寄っているが……」
「えっ!?」

言われて思わず自分の眉間に人差し指をあてた。秀一さんは私の行動を見て、小さく息を漏らして微笑んでいる。そして作業の手を止めてこちらにやってきたかと思えば、すぐに私の隣に座った。

「秀一さん、お仕事は……?」
「一区切りついた。少し休憩だ。せっかくの休みなのにすまない」
「ううん、大丈夫です」

秀一さんが隣にいるとつい甘えたくなってしまう。無言で秀一さんの肩に頭を預けると、秀一さんは私の手を取ってそっと指を絡ませた。

「些細なことでもいい。俺に関係のないことでも構わない。名前を苦しめるものがあるのなら、何でも俺に話してほしい。名前が一人で抱えているものがあるのなら、半分は俺に預けてくれ」

私を想ってくれているのが声だけで痛いほど伝わってくる。秀一さんの優しさが心にしみ渡って、感極まって涙が溢れそうだ。

「全然そんなんじゃないんです。……笑わないですか?」
「あぁ」
「あのね、今がすごく幸せなんです。毎日秀一さんと一緒にいられて、声が聞けて、いつでもこうして手を繋いだり、……キスしたりできるから。だから自分の家に戻ってまた会えない日が続いたとき……寂しさに耐えられるのかな……って」
「そんなことを考えていたのか」

秀一さんが小さく息を漏らす声が聞こえた。どんな表情をしているのか見なくても分かるような気がするけれど、小さく頭を持ち上げて秀一さんを見上げてみる。予想通り、僅かに口角を上げて微笑んでいた。

「笑わないでって言ったのに……」
「あぁ、すまない。可愛いことを言ってくれるじゃないか。これは先に謝っておかなければならないことだが、俺の周囲でこれから何が起こるのかは予測不可能だ。危険なことも起こり得るだろう。その結果、以前のように会えない日々が続く可能性も充分に考えられる。名前を巻き込みたくないからな。だが、俺の心はいつでも名前の中にある。名前のことをいつも想っているよ。それだけは忘れないでほしい」

分かっている、頭では理解している。秀一さんが言いたいことも、私がわがままを言って困らせていることも。寂しさに耐えられるか≠カゃない。耐えなければならないのだ。どちらか一方が依存するような関係ではなく、支え合える関係になるためには。
私はまた、秀一さんの帰ってくる場所になりたい。ここがあなたの帰る場所なんだと自信を持って言えるような、いつでも「おかえりなさい」と言って笑顔で迎えられるような、そんな場所に。

「大丈夫……大丈夫です。今は秀一さんがここにいるって分かってるから。あの頃に比べたら……秀一さんがいなくなったあの頃に比べたら全然辛くないです。待っていれば、必ずまた会えるって信じてるから。もう私を置いていなくならないですもんね……?」

自分自身に言い聞かせるように、ゆっくりと言葉を紡いでいく。

「あぁ、当然だ。約束は必ず守る。──名前の笑顔も」

秀一さんの手が頬に添えられ、じっと見つめ合う。まっすぐに私を見つめる瞳は真剣そのもので、決意の強さを物語っているようだ。ふと頭をよぎったのは、昨日の入浴中に聞いた言葉。

名前の笑顔を、これから先もずっと俺に守らせてほしい

大丈夫。私が秀一さんを強く、深く想っているように、秀一さんにもちゃんと愛されている。改めてお互いが想い合っていることを再確認したところで、ゆっくりと秀一さんの唇が重なった。

唇同士が触れたあと、今度は啄むように何度も何度もキスが落とされていく。秀一さんと交わすいつもの口づけだ。唇の感触を確かめるように触れ合い、下唇を小さく食む。唇の隙間を割って舌が入り込む合図。……なのだけれど、それを遮るようにインターホンのチャイムが鳴り響いた。

「っ、誰か来たみたいですよ……?」
「そのようだな」

すぐに呼び出しに応じるかと思いきや、まるで他人事のように返事をして再び唇が重なる。秀一さんは気にも留めずにキスを続けようとするのだけれど、一向に鳴り止む気配はない。こうなると私の方が気になってしまう。

「……チャイム、長いですね……」
「……今日は来客の予定はないはずなんだが……少しここで待っていてくれ」

秀一さんは首元の機械のボタンを押して昴さん≠フ声に戻してから、インターホンの呼び出しに応答した。予定のない来客って、一体誰なのだろう。



PREV / NEXT

BACK TOP