04
それからしばらく穏やかな日常が続いていたが、ある日事件は起きた。それはいつものように仕事を終えて帰宅したときのことだった。

「何、これ……」

玄関の鍵を差し込もうとしたところで異変に気が付いた。鍵穴の周囲には何かで引っ掻いたような無数の傷、そして鍵穴にはこじ開けようとした跡。おそるおそるドアノブをひねってみると、間違いなく鍵をかけて家を出たはずなのに玄関のドアが開いてしまった。

まさか。いや、そんなことは……。ひねったドアノブを持ったままゆっくりドアを引くと、そこには想像もしない景色が私の目に飛び込んできた。

「っ……!」

思わず絶句した。照明をつける前に外から差し込む街灯でほんのりと照らされた部屋の中はあちこちに物が散乱し、引き出しも階段のように開いていたのだ。開け放たれた窓からはゆるやかな風が吹き込み、レースのカーテンを小さく揺らしている。
あれだけ戸締まりには気をつけていたはずなのに、まさかこんなことになってしまうなんて。途端に怖くなり、全身がガクガクと震え出す。

──警察に電話しなきゃ……。

頭では分かっているものの体は恐怖のあまり思うように動かず、鞄の中から手探りで携帯を探そうとするけれど、震える手ではそれさえも容易なことではない。

やっとの思いで手にした携帯で110番をしようと操作をしていると、ちょうど着信を知らせるバイブが手に響いた。まるで私のSOSが届いたかのように狙いすましたタイミングで電話をかけてきたのは、もちろんあの人。

『もう家に着いた頃か?』
「っ、しゅ、いち……さん……!」
『名前? どうした?』

秀一さんの声を聞いた途端張りつめていた緊張の糸が切れてしまい、自然と涙がこぼれた。私の声色がいつもと違うことに秀一さんが気付かないはずがなく、もちろん私も秀一さんの声色が変わったことに気付かないわけがない。

「ど、しよ……警察っ……! 部屋が……ぐちゃぐちゃで、」

とにかく状況だけでも伝えなければと思いつつも、恐怖が先に立つせいでなかなか言葉にならない。それでも秀一さんは掠れた声に耳を傾け、私の言葉を拾ってくれた。

『そこから動かず待っていろ。すぐに行く』

電話が切れて十分も経たない内に、昴さんに扮した秀一さんがやって来た。慌てて来てくれたのだろう。いつもより呼吸が早く、心なしか顔に焦りも見えるような気がする。私は来てくれたばかりの昴さんに抱きつき、胸に顔を当ててわんわん泣いた。

「怖かったでしょう。もう大丈夫ですよ」

ひたすら泣きじゃくる私を抱きしめながら、昴さんは片手で携帯を取り出してどこかに電話をかけ始める。会話の内容からして、どうやら警察に通報してくれているようだった。まだ彼には何も話していないが、室内の状況を見て何が起きたのか察知したのだろう。

「今警察に通報しましたから。すぐに来るそうです」
「っ、ありがと、ございますっ……」
「おそらく空き巣……でしょう。部屋の中には入っていませんよね?」

あまりの恐怖に涙が止まらず、昴さんの胸に顔をうずめたまま彼の言葉に小さく頷いた。そんな私の頭には昴さんの大きな手。私を安心させることができる、魔法の手。その手が私を落ち着かせるようにゆっくりと頭を撫でるので、彼にそのまま身を委ねてみると最初よりかは幾分落ち着きを取り戻した。


数分、あるいは数十分の間、そうして昴さんに身を寄せていると、彼の通報によりやってきたであろうパトカーがアパートの前に停車した。さすがに警察官に抱き合っているところを見られたくはなくて、そっと昴さんから体を離す。彼の温もりがなくなって少し寂しいだなんて思ってしまったけれど、今はそれどころではない。

数人の警察官がやってきて、そのうちの一人の警察官が事情聴取を始めた。家の中ではドラマとかでよく見るような現場検証が行われており、本当に空き巣にあったんだと思うと恐怖で体が震えてしまう。そんな私に気付いた昴さんはまるで私の体を支えるように、そっと私の肩に腕を回してくれた。

事情聴取、現場検証は滞りなく行われた。貴重品はすべて持ち歩いていたし、高価なものなど持ち合わせていないので、まだしっかりと確認してはいないけどおそらく盗まれたものはないことが不幸中の幸いだ。
捜査を終えた警察官たちが去っていくと、辺りはすっかり真っ暗になり、しんと静まり返っている。再び恐怖が押し寄せ、血の気が引いていくような気がした。

「名前さんさえ良ければですが、しばらく僕の家に泊まりませんか? 名前さんを一人にする訳にはいきませんし、その方が安全でしょうから」

昴さんの厚意はとてもありがたいものだった。鍵をこじ開けられた今、この部屋で一晩を過ごすのは正直気味が悪いし、こんな怖い思いをした直後に一人ではいたくない。

「昴さんのご迷惑にならないなら、そうさせてもらえると助かります……」

昴さんは当然だとでも言うように、優しい眼差しを私へと向けた。



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