曖昧な星の声
佐藤さんがいなくなったことで二人きりになってしまった私たちの間には、妙な沈黙と変な空気が流れていた。赤井さんの言うことが理解できない私と、私の言うことが理解できない赤井さん。
お互いがお互いの発言に疑問を抱き、でもどこから掘り下げればいいのかも分からないのでひたすら沈黙が続く。ちらりと下から赤井さんの顔を覗き見れば、赤井さんは無表情のままこちらに視線を送っていた。
感情が全く読み取れない初めて見る表情に恐怖さえ覚えそうだけれど、今は赤井さんの言葉の真意の方が気になってしまい、恐怖を感じる暇さえもない。私が覗き見たことで赤井さんと目が合ってしまい、沈黙がさらに気まずくなる。
それを先に切り裂いたのは、赤井さんだった。
「今から少し時間はあるか?」
「え、あ……はい……」
赤井さんの言葉に頷いて返事をすると、彼はゆっくりとどこかに向かって歩き出した。いくら不機嫌そうにしていても私の歩幅に合わせて歩いてくれる赤井さんはやっぱり優しくて、諦めなければいけないと分かっているのに自然と胸が高鳴ってしまう。
赤井さんが無言で足を進めるので、私は沈黙を気にしながらも先程の赤井さんの言葉の意味を考えていた。
少し歩くと、前方に見覚えのある真っ赤な外車が見え始めた。赤井さんの車だ。あの日──赤井さんに初めて食事に誘われた日と同じように、赤井さんは助手席のドアを開けてくれた。
さっきから全く表情を変えない赤井さんは何かに怒っているのかと思っていたけれど、赤井さんの態度を見る限り、どうやらそういうわけではないようだ。
きっと怒っていたら、こんな風に──以前と同じように紳士的な振る舞いをしてくれることはないだろう。
私が助手席に乗り込むと赤井さんも運転席の方へと回り込み、やはり無言のままエンジンをかけてゆっくりと車を走らせる。
街中に大きなエンジン音を轟かせながら、車が動き出した。
偶然会っただけとはいえ、わざわざ私の都合を確認してからこうして車に乗せたのだから、きっと赤井さんには何か話したいことがあるはずだ。
そしてそれは赤井さんの誘いに乗った私も同じ。さっきのこと、そして、今日の朝のこと。話したいことはいくらでもあるのに、なかなか言葉にならないまま沈黙の時間が流れていく。どうやって切り出せばいいのか分からないまま、車はどこかに向かって走り続けていた。
一体どこに向かっているのだろう。車を運転しない私には縁がない道なのか、窓の外には見慣れない景色が広がっている。しばらく景色を眺めているといつの間にか街を抜けており、車が走っているのは自然豊かな木々が左右に立ち並ぶ一本道。
緑のトンネルをくぐりながら、ようやく赤井さんがぽつりと重い口を開いた。
「……さっきのはどういうことだ? あの男と君は一体どういう関係なんだ? 俺が納得いくように、君たち二人の関係を説明してほしい」
前を向いたまま、赤井さんは片手でハンドルを握りながら運転を続ける。その表情は先程から変わる様子はなく、赤井さんの言葉の真意が分からなかった。
どういう関係かと聞かれても、私と佐藤さんの間に何か特別な関係があるわけではない。ただの店員とお客さん。それ以上でもなければ、それ以下でもないのだ。
「あの人はお店のお客さんです。さっき……ちょうど帰りにたまたま会って……」
「ただの客に君は髪を触らせるのか? ……こんな風に」
ゴツゴツと骨張った男らしい指が、私の髪にすっと通される。
こんな風に……?
違う。佐藤さんはこんなにも優しい手つきで、慈しむように私に触れたり、髪を撫でたりはしない。
「…………っ!」
赤井さんのそれはまるで恋人同士のようで、私は高鳴る鼓動を鎮めることができなかった。
木々が生い茂る一本道。ライトアップとまではいかなくても、ほのかな電飾が施される通りが横目に入って綺麗だ。綺麗だけれど、流れる景色を見ている余裕なんかない。私の隣にいる赤井さんから目が離せなかったから。
正面を向く真剣な横顔。その目が見据える先にあるもの。私には、彼には見えているものが全く見えない。
──同じ景色を見ているはずなのに。
まっすぐ走り続けていた車は、なぜかゆっくりと広い路肩に停車した。周囲に車は一台も走っていなかった。対向車でさえも通りすぎることはなく、辺りはしんと静まり返っている。
聞こえるのはこの車のエンジン音だけ。
しかしその音も、赤井さんがエンジンを切ったことでプツンと途切れてしまった。途端に車内にも静寂が広がる。
「その表情も……誰にも見せたくなかったんだがな。……あの男の前でもそんな顔をしていたのか?」
流し目でこちらを見た赤井さんが、ぽつりと呟いた。そしてゆっくりと赤井さんがこちらに顔を向け、髪に触れていた手が頬に伸ばされる。
私の頬に触れた赤井さんの手は冷たかった。いや、赤井さんの手が冷たいんじゃない。多分私の頬が熱を持っているせいで、冷たく感じるのだと思う。さっきからずっと顔が熱い。
突然彼の手が私に触れたことで思わずびくりと肩を震わせたけれど、そんなことはお構い無しに赤井さんの手は頬から顎のラインをつぅ、と優しくなぞった。
どこか寂しそうな、そして少し悲しそうな目をしながら。
「あの、赤井さん……さっきから言ってる意味が……」
ただでさえ動揺が隠せないというのに、赤井さんの手の動きに翻弄されているせいで更に声が震える。
「ん? 何かおかしなことを言ったか?」
「……そ、んなこと……私からは……」
言えるわけがない。
『君に触れていいのは俺だけだと思っていた』?
彼氏だということを否定した直後に『何が違うんだ』?
そして、佐藤さんとの関係を疑うような発言。
私には、全部同義にしか聞こえない。
──もしかしたら赤井さんが私のことを好きなんじゃないか、って。
ただの自意識過剰。そんなことは分かっている。分かっているからこそ、自惚れたことを口にするなんてできない。
そういう類いの発言をしたことで赤井さんにどう思われるのか。それが怖くて、私から自ら何かを言葉にすることはできなかった。
「……君は、俺の恋人ではなかったのか?」
──時間が止まったような気がした。
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