夢見るほうき星
気付けば車は郊外を走っており、きらびやかな都会の街並みは窓の外に見えなくなっていた。ここはどこだろう。どこに向かっているのだろう。赤井さんと話していたので気にも留めていなかったけれど、なんだか随分と遠くまで来たような気がする。街灯も随分と少なくなっていて、郊外というよりは田舎と言ったほうがしっくりくるようなところだった。一体何があるのだろう。赤井さんが私を連れていきたい場所はどこにあるのだろう。

ヘッドライトで照らされた窓の外の風景をぼんやりと眺める。夜だからか車通りも少なく、一人で来ようとは思えないような場所だ。路肩に並ぶ木々はこれから秋の色に染まり始めるのだろう。もう少し季節が進んだら、紅葉を求めて訪れる観光客が多いのかもしれない。

そこから少し坂を登ったところでようやく車が停車した。都会の喧騒から離れた丘の上だった。

「到着だ」
「ここは……?」

人気のないこの場所に何があるのか見当もつかず、不安を抱きながら赤井さんに問いかける。

「外に出てみるといい。すぐに分かる」

赤井さんはそれだけ言うと先に車を降り、助手席の方へと回り込んだ。助手席のドアを開けてすぐに手を差し出してくれたので、私も自然と彼の手をとって車を降りる。赤井さんの手は温かいけれど秋の夜風は思ったよりもひんやりとしていて、温度差に少し身震いをした。けれど車を降りた瞬間、夜風の冷たさや気温なんてどうでもよくなった。

「わぁ……!」

一面に広がる星空に目を奪われ、それ以上言葉が出てこない。都会のネオンやビルの照明、街灯もなく、更に丘の上という高所で空気が澄んでいるからだろうか。普段は絶対に見ることができない無数の星が夜空に舞い、きらきらと瞬いている。

「すごくきれい……」

ありきたりな言葉だけれど、心の底から綺麗だと思った。プラネタリウムで見る人工的な光とは比べ物にならないほど、本物の星空は美しい。どの星も同じ輝きを放っているように見えるのに、よく見ると僅かに色が違っていたり、瞬き方が違っていたりと一つとして同じものはない。

あまりの美しさに感極まり、思わず涙がこぼれそうだ。深い感動に包まれたまま、満天の星の下で赤井さんの手をぎゅっと握り返した。

「気に入ってもらえたか?」
「はい、もちろん……っ! これを私にみせるために……?」
「あぁ。それともう一つ。あとは運次第だ」
「え……?」

運次第とはどういう意味だろう。運がよければ他にも何かが見えるということだろうか。星空の下、赤井さんはいつもと変わらない様子で微笑みながらこちらをじっと見つめている。首を傾げてみても赤井さんの表情は変わらない。

「そこにベンチがある。座って見ようか。名前もゆっくり見たいだろう」
「いいんですか?」
「もちろん。そのために来たんだ」

赤井さんが指で示した場所には白いペンキで塗られた木製のベンチがあり、二人で腰掛けるにはちょうどよさそうだ。手を繋いだまま二人並んでベンチに座り、再び空を見上げる。星の位置が短時間で変わることなんてなくて、ずっと同じ空を見上げているというのに全く飽きることはない。

「っくしゅ……」

夢中になって星空を眺めていたため寒さなんて忘れていたけれど、秋の夜ともなれば昼間の服装にカーディガンを一枚羽織っただけではさすがに冷える。身体は正直なもので、一度寒さを思い出すと簡単にぶるぶると震えだす。

「大丈夫か?」
「はい、大丈夫で……っ、くしゅっ」
「よくそれで大丈夫だと言えたな。どうする? 今日はもう引き上げるか?」
「でもせっかく来たのに……」

もう帰ってしまうなんてもったいない。こんなにも綺麗で、壮大な星空を見られることなんて二度とないかもしれないのだから。

「しょうがないな」

言いながら赤井さんの手が離れ、手のひらに感じていた彼の体温が外気に奪われていく。わがままを言ったから呆れられてしまったのだろうか。……そんな心配は杞憂で、赤井さんは自身が着ていたジャケットを脱ぎ、私の肩にそっとかけてくれた。

「これを着るといい」
「でも、赤井さんは寒くないんですか……?」
「俺は平気だ。名前に風邪を引かせるわけにはいかないからな」
「すみません、ありがとうございます……」
「少し待っていてくれ」

赤井さんはそう言い残し、車の方へと歩いていった。肩にかけられたジャケットからは赤井さんの体温を感じる。さらに赤井さんの匂いに包まれているので、抱きしめられているという錯覚さえ起こしそうだ。ジャケットが風で飛ばないよう肩の部分を押さえていると本当に抱き合っているような気がして、愛しさがこみ上げる。赤井さんを想うと体だけではなく心までぽかぽかと温かくなった。

赤井さんの言葉に甘えてジャケットに袖を通すと、私たちの体格差は一目瞭然。肩幅が広いだけではなく袖も長くて、ぴんと腕を伸ばしても指先すら見えないのだ。それがまた赤井さんのジャケットを着ていると実感する要因となり鼓動が高鳴る。……重症かもしれない。

一人そんなことをしている間に赤井さんが戻ってきた。片手に缶コーヒー、もう片方の手にはココアを持って。どうやら車の向こう側に自販機があったらしい。再び隣に座った赤井さんは、そっと私にココアを差し出した。

「ありがとうございます」

受け取った缶は温かくて、赤井さんのぬくもりを失って冷えた手のひらに温度を与えてくれた。タブを開けて一口含むと、温かくて甘いココアが冷えた体の芯に染みる。

「はぁ……あったかい……」
「ココアには体を温める作用があるんだ」
「そうなんですか? 今の私にぴったりですね。ありがとうございます。赤井さんはココアじゃなくてよかったんですか?」
「あぁ。あまり甘いものは口にしないんだ」
「あ……たしかに見たことないかも。甘いもの苦手なんですか?」
「苦手ではないが好んで口にはしないな。……君以外は」

私以外≠ニいう意味が分からなくて訊ねようとしたけれど、口を開くよりも先に赤井さんは私に口づけた。

「相変わらず甘いな」
「……ココアのせいです」
「そうか」

キスをするたびに「甘い」と言われて軽く流せるほど大人でもなければ、すんなりと受け止められるほど素直にもなれない。これは私なりの精一杯の照れ隠し。赤井さんには見抜かれているような気がするけれど。ふっと息を漏らして微笑む彼の顔はすべてを見透かしているように見えた。

寒さのせいか自然と肩を寄せ合っていた。赤井さんの手が腰に回されて抱き寄せられると、びくっと肩が跳ね上がる。赤井さんは私の反応を楽しむように微笑んでいた。

「寒くないか?」
「はい、あったかいです」

赤井さんのぬくもりを全身で感じられるから。ジャケットも、ココアも、赤井さんの手も、そして赤井さんの優しさも。全てが私の心と体を温める。

赤井さんと寄り添いながら星空を見上げていると、星たちの前を一筋の光が横切った。

「あっ、流れ星! 赤井さん、今の見ましたか!?」

突然現れた流星に、高ぶる気持ちが抑えられない。今にも星が降ってきそうな星空から、まさか本当に星が降ってくるなんて。生まれて初めて見た、本物の流星だった。プラネタリウムで満足していた私が本物の星空の下で、本物の流星を見られる日が来るなんて夢みたいだ。興奮したまま赤井さんに視線を移すと、見守るような優しい眼差しをしていた。

「あぁ。君は本当に運がいいな」
「じゃあもう一つの見せたいものって……」
「今夜はオリオン座流星群が極大になるんだ。ピークを迎えるのは未明頃らしい。ピーク前の短時間では無理かもしれないと思ったが、星は君に味方をしたようだ」
「そうだったんですか!? 全然知らなかった……」
「以前、一緒に本物の星空を見に行くと約束しただろう。折角なら、流星群の日の方が喜ぶと思ったんだ」
「っ、すごく嬉しいです……!」

一緒に本物の星空を見るという約束、覚えていてくれたんだ。あまりにも嬉しくて、幸せで、とめどなく溢れる気持ちを胸に抱きながら赤井さんにぎゅっと抱きついた。



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