朧月のおめかし
『まだ分からないというのなら決まってからで構わない』

もちろんトーク画面は開いたままにしているので、またしても赤井さんにはすぐに既読の通知があっただろう。二度もすぐに既読をつけたくせに、私から赤井さんへのメッセージは未だ一度も送信されていない。返信する前に新たな文章が届いてしまったので、それに対する返信も含めて再び画面とにらめっこ。

「どうしよう……」

私の予定が空いている日にちだけを入力し、それ以降の文面を決めることができずにスマホと向き合っていると、突然画面の表示が別のものへと切り替わった。

「え、ちょっと待って……え!?」

彼のフルネームと受話器のマークが同時に現れ、私の頭は軽く混乱状態。スマホを持つ左手が震えているのは、恐らくバイブのせいだけではないだろう。現時点でかなり誤解されているかもしれないというのに、電話まで無視してしまっては今度こそこれっきりになってしまうかもしれない。さすがにそれだけは嫌。一つ大きく深呼吸をして、私は赤井さんからの電話をとった。

「…………は、い」
『君の声を聞くのも久しぶりのような気がするな。元気だったか?』

心地の良い低音が耳の奥まで響く。耳に受話口を当てているため電話越しだというのに赤井さんに耳元で囁かれているようで、顔に全身の熱が一気に集まったような気がした。

「っ……元気、です……」
『そうか。それで、今月の休みは? 空いている日も教えてほしい』

赤井さんは多くを語ることなく、さっきのメッセージと同じことを、今度は文字ではなく赤井さんの声で問いかけた。

「え、と……明日と、来週の火曜日と金曜日……ですけど……」
『それは都合がいい。そうだな……明日、午後五時に君と出会ったコンビニへ来てくれないか?』
「はい…………えっ!?」

緊張でふわふわとする頭では深く考えることもできず、反射的に肯定の言葉を返してしまったけれど。驚きのあまり上げた声は色気とは程遠い。

『そこまで驚くことではないだろう。言ったはずだが? 名前にまた会いたい、と。最初の威勢の良さはどうした?』
「あれはっ……! 言葉のあやと言いますか……その、すみません……」
『ふっ、冗談だ。とにかく明日、待っている』

その言葉が耳に入ったと思ったら、すぐプツリと切れた音が聞こえ、機械音が断続的に鳴り響く。何か言葉を返すよりも前に切られていた電話。私の返事は肯定したまま終わってしまったような気がする。と、いうことは。

「明日、赤井さんと出掛けるってこと……!?」

しかも今回は休日に。これってもしかして、もしかしなくても。

「デート……だよね……?」





緊張と不安、他にもいろんな感情が交錯してなかなか寝つけなかった。そのせいで今日は寝不足、目の下にはうっすらと隈ができてしまっている。せっかく赤井さんに会えるというのに疲労が目に見えるような顔で会わなければいけないなんて。どうやら自分が思っている以上に、赤井さんに会えるのを楽しみにしているようだ。

「何着ていこう……」

せっかく会えるのなら少しでも可愛いって思われたい。ほんの少しでもいいから、赤井さんに好感を持ってほしい。女の子は恋をすると変わると聞いたことはあったけれど、あれは本当だったんだ。可愛くなりたい、なんて今までろくに思ったことはなかったのに、赤井さんと出会ったことで私の心に変化が生まれている。

赤井さんはどんな子が好みなのかな。どんな服装だと可愛いって思ってもらえるのかな。いつもは自分が着たい服を直感で選んでいたのに、今日一番に思い浮かぶのは、赤井さんに会ったときの彼の反応。ああでもない、こうでもないと一枚ずつ手に取りながら、ベッドの上には何枚もの服が並べられていく。

──どうしよう、決まらない。

まだ約束の時間まで余裕があるとはいえ、女の子の準備は服選びだけじゃない。メイクに髪型、鞄に靴。その全てにこれだけ時間をかけていたら、いくら時間があっても足りないだろう。

「よし、決めた!」

考えたってしょうがない。赤井さんの好みなんて分かるはずないんだ。だったら私が着たいと思う服を着ていけばいい。半分開き直りながら選んだのは、お気に入りのスカート。仕事は機能性を重視しているためほとんどパンツスタイルなので、せっかく休日に出かけるなら仕事とは違う服を着たい。そう思ってお出掛け用として買っておいた一張羅だった。スカートに合わせてトップス、バッグと選んでいく。あとはメイクと髪型だけだ。

うっすらと浮かんだ隈をコンシーラーで隠し、順番にポイントメイクを施していく。メイクは普段とそんなに変えずナチュラルに済まし、最後にコテで軽く髪を巻けば準備万端。
今からあのコンビニに向かえば、時間的にもちょうどいい頃だろう。いつものパンプスよりも少しヒールが高い靴を履いて、私は家を出た。

普段着よりも少しお洒落をして、こんな時間に通勤ルートをたどるのは何だか少し変な感じがする。電車に揺られながら考えるのは、これから会う男性のことばかり。あと二駅、あと一駅。

そして、電車のアナウンスが目的地への到着を告げた。


改札を出ると、鮮やかに広がる夕焼け空が私を出迎える。向かう先は、昨日赤井さんに指定されたコンビニ。私たちが出会った場所。いつもと同じペースで歩いているはずなのに、いつもよりヒールが高いせいか、それとも緊張のせいか。私の足はいつもより遅く、通い慣れた道が長く感じた。

目的地に近づくにつれて、鼓動が早くなる。
もうすぐ、もうすぐ彼に会える。


ようやくコンビニに到着すると、駐車場に以前も見たことがある赤い車が一台停まっていた。その車にもたれ掛かりながら煙草を吸う男性。片手をポケットに入れて紫煙を燻らせるその佇まいは何とも様になり、ずっと眺めていたくなってしまう。

煙を吐き出すのと同時に私に気付いたようで、顔だけこちらに向けた赤井さんの翡翠のような瞳と目が合った。瞬間、目を見開いたかと思えばすぐにその瞳は細められ、赤井さんはゆっくりとこちらにやってくる。

「お待たせしました」
「俺も今来たところだ」

目の前にやってきた彼に痛いほどの視線を浴びせられれば、私の心臓は早くなるばかり。

「え、と……何ですか……?」
「いや、この間と随分雰囲気が違うからな。別人かと思ったよ」
「変、ですか……?」
「可愛い。とてもよく似合っている。では行こうか」

彼の何気ない言葉にいちいち反応していたら心臓がもたないと分かってはいるけれど、免疫のない私には簡単には流すこともできず。熱くなった顔を隠しながら、助手席のドアを開けてくれた赤井さんの車に乗り込んだ。


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