遠くを行く星
「とてもおいしかったです」
「喜んでもらえたようで何よりだ」

さすが高級レストラン。当然のことではあるけれど、私が普段行くようなファミレスとは味も、メニューも、サービスも桁違い。無縁だと思っていた場所に、まさか好きな人と一緒に来ることになるなんて思いもしなかった。目の前に座る赤井さんはとても満足そうな笑みを浮かべていて、その表情で私はまた早鐘を打つことになる。

一緒に食事をしてみて気付いたけれど、どうやら赤井さんはいいところの育ちのようだ。食事の仕方もさることながら女性の扱い方まで心得ている。自然なエスコート、レディーファースト。今まで出会った男性とは違う、日本人にはないスマートさだ、と直感的に思った。とは言っても男性経験があるわけではないので、比較対象は同級生や職場の人など限られた範囲の人にはなるけれど。

「そろそろ送ろう。あまり遅くなってしまってもいかんだろう」

赤井さんにそう言われて時計を見ると、時刻は午後九時を回ろうとしていた。いつの間にこんな時間になっていたのだろう。他愛もない話をしながら食事をしていると、あっという間に時間は過ぎ去っていく。
赤井さんが私の後ろに回って椅子を引くと、ここに来たときと同じようにまた私に向かって手を差し伸べた。やっぱりこの手を拒むことはできなくて、私はまた赤井さんの手に自分の手を乗せた。

そのままレストランをあとにして、再び赤井さんの車の助手席へと案内されたところでふと思い出す。私が「あっ!」と声を上げたのに赤井さんも驚いたようで、首を傾げてこちらを見ていた。

「どうした? 何か忘れ物でもしたか?」
「あの、お会計……」
「あぁ、そんなことか。君は気にしなくていい」

赤井さんは助手席のドアを開けると、涼しい顔をして車に乗るようにと促している。

「え!? だめです、私も払います!」
「俺が無理矢理誘ったんだ。ほら、早くしないと帰りが遅くなる。明日は仕事だろう?」

赤井さんに逆らうことはできず、言われるがまま助手席に乗り込むと赤井さんはすぐに運転席に座った。大きなエンジン音を響かせ、車はゆっくりと走り出す。

「あの! じゃあ今度は私にご馳走させてください!」

私がこれ以上何かを言ってもきっと赤井さんはお金を受け取ってくれはしないだろうし、折れるつもりもないだろう。そう思った私は、反射的に代替案を提案していた。

「ホォー? では次もあると期待していいんだな?」

赤井さんは口元を緩ませ、それはもう楽しそうな笑顔を浮かべていて。まるで私がそう言うのを待っていたかのように、赤井さんは笑っていた。私はというと、勢いに任せて口走った言葉の意味をようやく理解し、弁解しようとするけれどもう遅い。今さら「そんなつもりじゃない」「誘ってる訳じゃない」なんて言ったとしても、"ご馳走させてほしい"と言ってしまったことには代わりない。

「……はい」

もうどうにでもなれ、という気持ちで思い切って肯定をしてみると、赤井さんの手が私の頭上へと伸ばされた。

──この手がずっと離れなければいいのに。

赤井さんの手の温もりを感じながら、そんなことをぼんやりと考えていた。





あの日のデートを境に、私たちの関係、そして私の気持ちには少しずつ変化が訪れていた。あんなに二人で会うことに対して緊張していたはずなのに、赤井さんに会いたいという気持ちが募る。

赤井さんがお店に来るのは相変わらずで、決まったコーヒーを買って帰るだけだけど、以前よりも仕事後に待ち合わせることも増え、連絡を取り合う回数も多くなった。何よりも大きな変化は、私からも赤井さんに連絡をするようになったことだ。

『私にもご馳走させてください』

そう言ってしまった以上、こちらから連絡をしないわけにもいかないだろう。私から連絡をして会うことにはなっても、赤井さんはいつの間にか支払いを済ませていたり、何かと理由をつけたりで、結局財布を出させてはもらえなかったけれど。

でもこうなってくると、ますます分からないのが私と赤井さんの関係性と、赤井さんの気持ち。私が彼に恋愛感情を抱いているからか友人とは言いがたいし、かといって付き合っている訳でもない。赤井さんはどういうつもりで私と会ってくれているのだろう。

赤井さんに直接確かめたいような気もするけれど当然そんな勇気はないし、余計なことを聞いてしまってこれから先会えなくなるのも困る。ましてや自分の気持ちを自ら口にするなんて到底できるはずがない。今の関係を壊さないためにはこのままの関係を続けるしかないのだ。

しかし、それも長くは続かなかった。


ある日の通勤途中、正面からこちらに向かって歩いてくる赤井さんに気がついた。多くの人が行き交う人混みの中でも見つけ出してしまうほど、私は赤井さんのことを気にしているらしい。
朝から会えるなんて今日はツイていると思い、声をかけようと前に足を進めると、人々の隙間から見えたのは赤井さんの隣を歩く女性の姿。

「え……?」

赤井さんの顔には笑顔が浮かんでおり、二人の楽しそうな様子が見てとれる。私は見つかるまいと咄嗟に横道に入り、並んで歩く二人をやり過ごした。

今のは誰……? もしかして彼女……?
二人の姿が鮮明に脳に焼き付いており、思い出す度にズキンと胸が痛む。

──赤井さん、彼女いたんだ。
見た目もさることながら、中身だって紳士的で大人な男性なのだ。彼女がいてもおかしくないだろう。もしかしたら私にも少しくらいチャンスがあるかも、と思っていたけれど、私なんかが赤井さんと釣り合うはずがなかったんだ。

じゃあどうして頻繁に会ってくれていたの?
そんなことを考えてみたところで答えが出るはずはなく、その真意は赤井さんにしか分からない。からかっていただけなのか、単なる気まぐれだったのか、もしくはお遊びだったのか。可能性としてはどれも当てはまる。

いや、そもそも恋人関係にあったわけでもないのに、赤井さんを責めることなんてできない。想いを伝えることを諦めた以上、私に何も言う権利はないのだから。

考えれば考えるほど、胸の痛みは強くなる。私、いつの間にかここまで赤井さんのことを好きになっていたんだ。自分でも気付かないうちに膨らんだ思いは行き場を失い、胸の内側からチクチクと突き刺してくる。

このままの関係でいられればいいと思っていたはずなのに、この関係さえも続けることができない。……本当は、このままでいいなんて思っていなかった。できることならもっと赤井さんといたい。高望みしすぎかもしれないけど、もし許されるのであれば赤井さんの彼女になりたい。

そう思えるような人に初めて出会えたのに。自分の気持ちに嘘をついて誤魔化そうとしたせいで、一番見たくなかった現場を目撃してしまった。そして、自らその思いを伝えるチャンスを手放してしまった。自業自得だ。

重い足を引きずりながら、頭の中でぐるぐると負の感情だけを抱きながら、ゆっくりと職場へと足を運ぶ。


今日赤井さんは、お店にはやって来なかった。




PREV / NEXT

BACK TOP