チョコより甘いひとときを
「秀一さん! 今日が何の日かもちろん知ってますよね?」

俺の部屋に来て早々、ソファーに腰を下ろすこともせず第一声。名前は嬉々として俺に問いかけた。花が舞いそうな程満面の笑みを浮かべて。とりあえず座れと促し、彼女の問いに答える。

今日が何の日か。こんな大事な日を忘れるはずがない。

「君と恋人になった一年目の記念日、だろう?」
「ふふ、そうです! そして今日はバレンタインです!」

ちょうど一年前の今日。バレンタインというイベントに乗じて、チョコレートと共に彼女の気持ちを俺に伝えてくれた。とは言っても、元々名前に好意を持っていた俺が先手を打ったので、彼女はそれに答える形となった訳だが。

「ということで、ハッピーバレンタイン! これからもよろしくお願いします」

そう言って差し出したのはどうにも大きな縦長の袋。バレンタインだと言うくらいなのだから今年も手作りのチョコを用意しているのかと思ったが、この大きさ、この形、そして重さ。どれをとってみても間違いなくチョコではない。これはまさか。

「酒……か?」
「すごい、よく分かりましたね! ウイスキーです! ……秀一さん、チョコ嫌いでしょ?」

チョコレートが特別好きだという訳ではないし、甘ったるい物はどちらかと言うと苦手な部類に入るが、食べられない訳ではない。寧ろ愛しい恋人が心を込めて作ってくれた物であれば何であれ喜んで頂く……のだが、去年甘い物は苦手だと他のやつに話しているところを見られてしまったため、今年はそんな俺に気を遣ったのだろう。

あれは甘い物が苦手だという口実を使っただけにすぎない。去年頬を赤く染めながら俺のことを一日中チラチラと見ては、目が合いそうになる度に逸らしていた彼女。自惚れだと言われようとも彼女がそのつもりでいてくれるのであれば、それ以外のやつから貰うものは全て断ろうと決めていたのだ。そもそもこれは日本の文化。男にチョコを渡すやつが大勢いる訳でもないので、口実としては十分事足りた。

しかし名前はそれを一年経った今でも知ることはなく、本気で俺がチョコを苦手だと思っている。普段なかなか手料理を披露してくれることもない彼女が、この日だけは俺のために手作りをしてくれる。彼女の作るものを食べられるいい機会だと思っていたのだが、その期待は儚く消え去った。

「ありがたく頂こう。だが嫌いだと言った覚えはないが?」
「え、でも苦手だって言ってました、よね……?」
「ああ、あれは……名前以外の女性から受け取る必要性がないと判断したからだ。流石にいらないと言うのは気が引ける。去年も美味しく頂いたよ」

まぁ、結局“好意を持っている女性がいる”と伝えたのだから差異はないが。それにしても、やはり名前は大きな勘違いをしていた。一年越しに彼女の誤解を解くと、驚いた顔をしながらもほっと安堵の表情を浮かべる。そして自分の鞄に両手を突っ込み、赤いハート型の箱を取り出した。予想外のものが彼女の鞄から姿を見せ、俺も先程の彼女につられるように大きく目を見開いた。

「あの、実は……一応、作ってみたんです。もらってくれますか……?」

恐る恐るその手を俺の方へと伸ばし、顔色を窺うように下からちらりと覗き込む。少し不安げな上目遣いは、俺がその箱を受け取るとすぐに笑顔へと変わった。

「当然だ。ありがとう。開けてもいいか?」
「ビターチョコで作ったので、甘すぎないとは思いますけど……」

こくこくと首を縦に振ったのを確認してから蓋に手をかけると、小さなカップに入ったトリュフチョコレートが数個並べられていた。手先が器用なのか綺麗に丸められたそれは既製品と何ら遜色ない。早速一粒頂こうと手を伸ばしかけたが、ここで小さな悪戯心が芽生えた。

「名前が食べさせてくれないか?」
「…………え」

俺の提案があまりにも突拍子のないものだったせいか、彼女は全身の動きを止めて固まったように動かない。やっと瞬きをしたのは、俺がチョコの入った箱を名前に差し出したときだった。

「えっ、秀一さん、まさか本気で言ってますか?」
「俺はいつも本気だ。どうした? せっかく作ってくれたんだろう。食べさせてくれないのか?」

意地悪なことをしている自覚はある。だが彼女が困っている顔も、恥ずかしがって赤面する顔もあまりにも可愛くて、そんな顔をさせたいというちょっとした加虐心が込み上げてくるのだ。

「……もう! 分かりましたっ!」

とうとう根負けした彼女は、箱と同じくらい真っ赤な顔をして俺の手から自分が渡した箱を取り上げた。いつももっと恥ずかしがるようなことをしているというのに、こんなことでも照れている名前が本当に愛らしくて、口元が緩みそうになるのを必死で堪えた。そこから自分が作ったトリュフを震える手で一粒掴み、ゆっくりと俺の方へと差し伸べる。

彼女の手がやっと俺の口元へと運ばれたところで、それに合わせて口を開けた。俺の口へと放り込む前に名前の細い手首を掴み、逃げられないように固定する。「えっ!?」と驚く彼女に見向きもせず、彼女が手にしているトリュフをぱくりと口に含んだ。もちろん彼女の指ごと。

「っ、ひゃっ……! ちょっ、しゅ、いちさんっ……!」

その一瞬の間に指先をぺろっと舐めてから彼女の手を離してやると、すぐに自分の手を引っ込めて真っ赤な顔をして俺のことを睨み付けた。睨む、と言っても潤みを帯びた瞳で見つめられているだけで、怖いどころか寧ろ誘われているような気にさえなるのだからある意味恐ろしい。

「こんなに美味しいトリュフは初めてだ」

カカオのいい香りが鼻に抜け、彼女が言っていたように甘すぎないビターチョコはまさに俺好み。名前が先にくれたウイスキーとも合うだろう。
彼女が食べさせてくれたのだからより一層美味しく感じられ、つい笑みがこぼれた。

「良かったぁ……」

彼女もさっきまで睨みを利かせていたのに、すぐ目尻を下げて一瞬で笑顔になるのだからそれもまた単純で可愛い。そんな彼女の頬に手を伸ばすと、俺の手が冷たいのか肩をびくっと震わせて首をすくめた。
だがそんな彼女に構うことなく顔を近づけると、彼女も察したように瞼を閉じる。なので遠慮することなく唇を重ね、何度も触れるだけのキスを送った。そのうちに舌を絡ませ、彼女を存分に味わう。ポケットに忍ばせていた物を取り出し、彼女の右手を探るように触れながら。

「こっちの方が甘いな」
「も、秀一さん、そんなこと……あれ?」

余程キスに集中していたのか、俺の手の動きにも無機質な感覚にも気づいていなかったようだ。何が起こっているのか全く理解できていない彼女は、自分の右手薬指に嵌められたシルバーリングをじっと眺めながら、ぱちぱちと瞬きを繰り返している。

「えっ、指輪……何で……?」
「アメリカではバレンタインは男性から女性にプレゼントする日だ。それに、一年の記念日だと言っただろう。これからもよろしく頼む」
「……っ、ありがと、ございます……っ!」

余程嬉しいのか涙ぐみながら、そこに存在している物を確かめるように何度も指輪を左手で触っている。とびきりの笑顔を浮かべて。

次は左手の薬指に似合うものを用意する。
だから、もう少し待っていてくれ。



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