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女子トークに花が咲く、お昼休みの休憩室。お弁当を広げながら、やれ、あの俳優がかっこいいとか、あのモデルさんの彼氏がどうとか、今イチオシのドラマの話とかきゃあきゃあと話し込む



「そういえば、今日宮くんお休みなのよねー。」



一人の女性社員が放った言葉に、どきりとした。咀嚼していた卵焼きを何とかお茶で流し込んで、話に入ることはせず、ただ聞き耳を立てる



「営業部の園田さんが落ち込んでたわー。花がないって。」


「いいじゃないのー。営業部には日向くんもいるでしょ。法務には誰もいないんだから。」


「日向くんは花ではないでしょー。弟みたいな感じだし。」


「確かにそうね。それにしても、宮くんがお休みなんて、初めてじゃない?」


「そうなのよー。」


「何、用事とか?」


「体調不良ですって。」


「え?」



思わず発してしまった、一音。それはすぐに別の話題に移った女子トークに紛れて、誰にも拾われることなく霧散した


宮さんが、体調不良?


まさか、あのバレー馬鹿が?ていうか、昨日あんだけ元気だったのに、今日急に体調悪くなる?普通。もしかして、昨日のことがあって、わたしと顔を合わせたくなくてズル休み?そっちの方が、信憑性がありそうな気がするが、今日だって練習はあるわけで、まさかそんな理由でバレーボール大好き人間の宮さんが休むとは考えられなかった。では、やはり、本当に体調不良なのだろうか?体調管理はしっかりしているように見えたけど。まあ、佐久早さんほど神経質ではないにしろ、そこはプロとして気を遣っているものだと思ったけどなあ



「いや、わたしには関係ないし。」


「ん?都築さん、どうかした?」


「あ、いや、何でもないです!」



とは言うものの、少し気になってしまう。あんなことされて許すほどお人好しではないと思うが、大丈夫か気になっている時点で十分お人好しだなとも思った

お昼休憩の時間はあっという間で、いつの間にか午後の業務開始時間が迫る。女子トークもほどほどにみんな休憩室から出て解散。それぞれの島へ戻って、業務開始だ。わたしもみんなに倣って、ロッカーに空のお弁当箱を仕舞い込んで、経理部の島へ。河村さんと少し会話をして、積み上がっている営業部からの売上伝票を見ながら電卓をカチカチと叩いて売上処理。契約と相違ないか、計算は間違っていないかをチェックして、仕訳するのが仕事だ。営業事務のお姉様方を通してのダブルチェックなので、滅多に間違いはないが、滅多に、ということはたまに間違いも発生するわけで



「日向…足し算間違ってるよ!」


「あはは。日向くん、また?可愛いじゃないの、日向くんだもの。」


「河村さんは日向に甘すぎます!今月3回目ですよ!!」


「だって日向くんは弟みたいで可愛くって。それに本業じゃないから多めに見てあげて。」


「弟みたいで可愛い…そうですか…?ちょっと営業部に行ってきます。」


「はーい、いってらっしゃい。」



お昼休みにも同じようなこと言われてたな…と思いつつ、これを処理しないと今日の仕事は終わらない。修正をお願いしに営業部へ足を運ぼうと河村さんに声をかけて、一つ下のフロアへ。一つ下の階だし、ヒールをパカパカ鳴らしながら階段で移動する。ICカードで扉を開けて中に入れば、目立つオレンジの頭が広いこのフロアでもよく見えた



「日向!」


「う、わっ。な、なんだ都築さん、びっくりさせるなよ!」


「あんた今月3回目の計算間違い!どうにかしてよ!」


「うえ?!わ、悪い!どこ?」


「ここ!」



売上伝票の数字間違い箇所を指差して直しを要求すると、「今やる!すぐやる!!」と言って慣れない手つきでパソコンを操作し始めて、ヒヤヒヤしながらわたしはそれを見守った。何とか修正してプリントアウトされた売上伝票に判子をもらって、それを受け取りつつ、ふと気付く



「あれ…午後だよね、今。日向、練習は?」


「これから!宮さん今日休みだから、宮さんの分の仕事してたらこんな時間になっちゃって。」


「あー…宮さん体調不良って聞いたけど。」


「そうなんだよなー。なんか風邪引いたんだって。」


「本当に?」


「何だよ、本当にって!」


「…いや、何でもない。ありがとね。じゃあ、練習頑張って。」


「?おー、サンキューな!」



ひらひらと日向に手を振ってお別れ。もらった売上伝票を片手に経理部を目指しながら、やっぱり本当だったんだ、と思案する


だから、わたしには関係ないって。


風邪を引いた経緯は知らないけど、自業自得だ。人に酷いことするから…とは思いつつもやはり考えてしまう。一人の時の体調不良ほど辛いものはない。体は思うように動かないし、精神的にも参るもんだ



「わたしも大概お人好しだなあ、もう。」



そんな都合よく家にイオン飲料などがあるわけでもないし、食事だってまともに食べているか怪しい。具合が悪いのを知っていながら、放置して、挙句隣で野垂れ死にされたら夢見が悪い。だから、仕方なく、だ。そう自分に言い聞かせて、今日の帰りに寄ってあげるか、と溜め息を一つ吐き出して、ICカードを翳した



***



「宮さん?宮さーん。」



無反応。何度目かのチャイムを鳴らして、どうするか考える。寝てるのか…寝ているのであればいいが、中で倒れていたら大変だ。いつも宮さんがしているように、ドアをどんどん叩いてみれば、のそりのそりと廊下が軋む音が聞こえ、次いで、がちゃりと開くドア



「……真緒ちゃん?」


「あ、生きてた。」


「生きてたって…何しにきたん。」


「誰かさんが野垂れ死にそうだと聞いたので。」


「誰がそんなこと言ってたんや。」


「話す元気はあるん、わっ、ちょ、ちょっと!」


「あー、すまん。ちょっと、フラついて。」


「……熱っ!あの、熱ちゃんと測りました?今何度です?」


「知らん。」


「知らんて!」



何言ってんだ、この人は!


話している途中で倒れ込んできた宮さんの体を何とか支える。体格差がありすぎて支えるのも一苦労だ。勘弁してよ…と思いながら、その体を押し返そうとして、体の熱さにびっくりした。体感温度的には39度を回っている気がする。熱は何度か聞いても知らんなんて言われてほとほと呆れ果てた。そもそもこの家に体温計はあるのか疑問に思えてきたぐらいだ

仕方がないので、宮さんの体を支えながら中にお邪魔する。熱で力が入らないらしく、宮さんの体重がわたしの体にのしかかって押しつぶされそうになりながら、「寝室あっちですか?」と聞き、「ん」と指差しで案内された寝室まで運び、放り投げるようにベッドに横たえると「もう少し優しくしてくれへん…?」と言われたので「昨日の今日で優しくしてもらえると思ってるんですか?」と言い返せば、宮さんは困ったように笑って、それ以上何も言わなかった



「何だって急に風邪引くんですか。」


「あー…昨日、冷水シャワーを浴びて。」


「冷水シャワー?!修行僧なんですか?!馬鹿ですか!!」


「自分でもそう思うわ…。修行僧ほど高尚ちゃうし。むしろ煩悩だらけ…。」


「何言ってんの?…はあっ。もー…ご飯食べました?」


「あはは。」


「誤魔化せてないし…今、おかゆ作ってくるんで、これ飲んで寝ててください。」


「あ、真緒ちゃんっ。」


「何ですか?」


「……おおきに。」


「許したわけじゃないですよ。野垂れ死にされたら夢見が悪いからです。」



それだけ言い残し、買ってきていたイオン飲料を押し付けて部屋を出る。背中越しに「すまん」と謝罪する小さな声が聞こえたが、聞かなかったことにした。



今はただ、目を瞑る
十分お人好しだな、と自嘲した


(なっ、お米ないし!調理器具皆無か!!ちょっと宮さん、どうやって生活して…。)
(………。)
(あ、寝ちゃったの。)
(ふ……。)
(はあ…仕方ないなあ。)


寝室を覗けば、ベッドで寝息を立てている宮さん。やれやれと肩を竦めながら、布団をかけ直して、おかゆを作るために一度自分の部屋に戻る。確か冷蔵庫に卵と青ネギもあるはず。タマゴ粥ができるな、と考えながら、自分の部屋の玄関で靴を脱いだ。パタパタと小走りでキッチンに向かい、ミルクパンに水を張って火にかけ、出汁を入れる。炊飯器からご飯を適量ボウルに移して、水が沸騰するのを待った。おかゆを作りながら、自分はどんだけお人好しかと自嘲する。宮さんのことが言えないくらいのドMなのかと少し落ち込んだ。でも、放っておけなかったんだもん、と誰に言うでもなく呟いた独り言が沸騰した水の蒸気と一緒に消えていって。たくさん文句を言ってやるつもりだったのに、調子を狂わされたな、と不満をぶつけるように卵をかき混ぜた。


スポーツマンの食生活は大変そう。



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