03


「今日から派遣できてもらう都築真緒さんです。未経験ということでみんなフォローしてあげてください。」


「都築真緒です!未経験のためご迷惑をお掛けすることもあるかもしれませんが、精一杯頑張りますのでどうぞよろしくお願いします!!」



初出勤。部長の横に並び、これからお世話になる部署の方々に挨拶をし、頭を下げて回る。きみのデスクはここだよと案内されたところに座り、隣には仕事を教えてくる先輩社員。なんかすごくOLだ、なんて少し浮き足立ってしまう


まさか、一発で面接、というか、面談が通るなんて…!


つい先日のこと。面談という名の面接を行い、まさかの1社目で派遣先が決まった。採用が決まった連絡を担当の三木元さんからもらったときは夢かも、なんて思って頬を抓って確認したくらいだ。当たり前だけど抓った頬は痛かった

受かった場所は日本の自動車部品メーカーの経理部のお仕事。日本メーカー企業ということで、市場のシェア数は高いなかなかの規模の会社だ。そんな会社にまさか採用が決まるとは思っていなくて、心が躍る。大学の時にたまたま取っていた簿記の資格とタイピングの速さで採用が決まったらしい。簿記なんて久しく触れていないから入社までに少しサラッとおさらいしたぐらいで知識的に多少の不安はあれど、挨拶をした先輩方がみんな笑顔で迎え入れてくれていい人そうで何とかやっていけそうだ。それに女性社員は制服らしく、OLって感じがさらにわたしの心を踊らせた



「都築さん、まずは現預金の管理について教えるね。」


「あ、はい。」



朝、出勤前にコンビニで買ったノートとボールペンを鞄から取り出し、挨拶もそこそこに仕事のレクチャーを受ける。経理部、のお仕事だと聞いていたからすごく難しいと思っていたが、初日、また未経験ということもあって、わかりやすいところから順に教えてもらった

小口現金が入っている手提げ金庫を開けて、教えられた通りにお金を数える。金種ごとに数えては、結果を表計算ソフトで作られた金種表に打ち込んでいった。硬貨の枚数も数え、打ち込み終わって報告をする。合計金額は表計算ソフトに数式が埋め込まれているから自動計算してくれるので電卓要らず。ダブルチェックをした先輩社員に教えられるまま、金種表を印刷して、自分のシャチハタを作成者欄に押印。そして課長に判子をもらう、という流れだ。シンプルでわかりやすい。



「課長、判子をお願いします。」


「おー。」



課長に金種表を手渡すと、引き出しからシャチハタを取り出して、承認欄にポンと判子を一つ。確かに押された承認欄に判子が押された金種表を受け取り、自席に戻って先輩社員に報告、提出して一つ完了。初めての事務仕事。会社に勤める、仕事をするという一つ一つが新鮮でひどく胸が高鳴った



「じゃあ、次は預金の確認…の前にお昼の時間が来るね。少し時間があるから書庫に行って、このファイルを取ってこようか。」


「あ、はい。」



経理部で処理した書類は書庫と呼ばれる別室に保管されているらしい。鍵棚から、書庫の鍵を取り出して先輩社員の後を追いかける。執務室のすぐ隣に書庫があって、そこは少し狭くて、少し古くなった紙独特の図書館のような匂いがした。あ、これこれ、と先輩社員に指を差された奥の棚の上の方のファイルに手を伸ばす。なかなかに高い場所にあるそのファイル。うーん、と言いながら背伸びをして何とか指先にファイルの背表紙に触れ、そのまま引き抜こうとして前のめりになった瞬間、履き慣れないヒールのあるパンプスに体勢を崩し、前に傾いていたはずの体が後ろに倒れていく。あ、やばい、なんて思ったところでここから体勢を整えられるほど体幹が鍛えられているわけもなく、お尻への強打を覚悟して目を瞑った



「おっ、と。」


「あら。」


「え?」



三つの声が重なって書庫の中にこだまする。一つは先輩社員の声。もう一つはわたしの声。残りは…



「大丈夫…って、え、あれ、自分…。」


「え、なんか聞き覚えある。」


「宮くん、今日出社日だったの?」


「あ、はい。この後お昼食べて、練習です。」


「この間試合があったばっかりなのに、大変だね。また頑張ってね。応援してるから。」


「え、宮?」


「あ!やっぱり自分、飛雄くんの…!」


「あれ、都築さんと宮くんって知り合いなの?何でもいいけどとりあえず、一旦離れたら?」


「あっ、ごめんなさい。ありがとうございます。」


「あ、ああ。」



背中を抱き留めてくれていた宮さんにお礼を言ってくるりと振り返る。やっぱり、と思った通り、目の前にはスーツを着ている宮さんの姿。たぶん、お兄さんの方だ。先輩社員の発言からして宮さんはここにお勤めらしい。試合、とか、練習とか言っているということは、バレーのことで…あれ、宮さんって確かV1のチームに入ってたし、飛雄とも対戦して……



「自分、敵情視察か何かなんか?」


「いや、派遣で…って、えっ、あれ、もしかして、ここって。」


「は?自分そんなんも知らんとここに入社したん?飛雄くんは何も言わへんかったんか。」


「飛雄?」


「この子の旦那ですよ。この間試合したシュヴァイデンにいるセッターの影山飛雄。」


「え、都築さんの旦那さんってあの日本代表の影山くん?!ていうか結婚してたのね!」


「元、です!」


「は?元??」


「えっと、あの…離婚したんです、先日……。」


「え、そうなん?」



怪訝そうな顔をする宮さん。とりあえず、これやろと言ってわたしが取ろうとしていたファイルを取ってわたしの手にぽんと乗せる。そして、わたしの指に指輪がはまっていないことを確認して「へえ、ほんまやんかあ」なんて言って頷く


宮さんにまでバレてしまった…ていうか、ここ、ムスビイブラックジャッカルの。


株式会社ムスビイという会社名でなんでわからなかったんだ…!日本の自動車部品メーカーだし、完全にそうじゃん!わたしの間抜け、あほ。なんでまた飛雄と関わりの深い場所に、関わりの深い人たちが所属する企業に入社しちゃったの。いや、でも、ここしか面談してくれなかっただろうし、わたしには選べる権利なんてなかったけど、でもでも。ぐちゃぐちゃになるわたしの頭の中を駆け抜けていった一つのチャイム。お昼の時間を知らせる鐘だ



「あ、お昼の時間だね。」


「あ、はい。」


「そうや、すんません。この子、借りてもええですか?」


「ん?お昼の時間なら大丈夫だよ。終わりの時間にはちゃんと戻ってきてね。あ、都築さん。ファイルはわたしが持っていってあげるよ。」


「あ、いや、えっ、ちょ、ちょっと、み、宮さん!」


「んじゃ、ちょいと借りますわー。」



ひらひらと手を振って送り出してくれる先輩社員。いや、これは軽く誘拐のようなものですよ!笑って見送らないで助けてほしい!!そんなわたしの心の叫びは届くことなく、伸ばした手は虚しく空を切った



「み、宮さん!借りるって、ちょ、どこに!」


「んー、お昼やろー?飯行こうや、飯。」


「あっ、じゃあ、鞄。」


「離婚祝いに奢ったるわ。」


「離婚祝いって!……もう。」



脱力。これ以上何か言ったり、抵抗するだけ体力の無駄だ。面倒なことになったなあ、と溜め息を一つ。仕方ないので、自分でちゃんと歩けますから、と言って腕を解放してもらう。ずるずると引きずられていると目立って仕方ない。ただでさえ宮さんは身長も、容姿もあって目立つ存在だから。さっきから「誰あの女?」と指を差されて居た堪れない気持ちになった。初出勤早々目を付けられちゃ堪ったもんじゃないよ!

宮さんとオフィスのビルを出てしばらく歩く。お洒落なカフェが立ち並ぶその中で、少し浮いている定食屋さんの扉を開けてずかずかと入り、空いている席にどかりと腰掛ける。そんな宮さんに店員さんは至って普通に接客。今日は女の子連れなんて珍しいねなんて声を掛けられていた



「好きなもん頼みや。」


「あ、はい。」


「おばちゃん、おれいつものネギトロ丼定食なー。」


「はいよー。お姉ちゃんは?」


「え、あ、か、唐揚げ定食お願いします。」


「はいよー。トロ定、唐定ー。」



キッチンの方へと声を掛けて、わたしたちが座るテーブルにお茶を置いて去っていくおばちゃん。置かれたお茶を手にして、一口ズズッと啜る宮さんと、それに倣ってわたしもお茶を一口啜る


何だろう、この空間……。


一種の拷問かと言いたくなる。ぶっちゃけ宮さんとそんな交流、ないし。あるにはあるが、特別親しいわけじゃない。飛雄に付き添って何度か顔を合わせて会話したぐらい。食事だって大人数で、だ。共通の話題と言ったら、一つしかないし、気まずさ大爆発だ



「自分めっちゃ気まずいですー、って顔に書いてんなあ。」


「えっ、あ、ごめんなさい。正直本当気まずい…。」


「ははっ、自分めっちゃ正直者やな。あー…今、何さんなん?」


「え?」


「苗字。」


「都築です、けど。」


「真緒ちゃん、何、飛雄くんとなんかあったん?」


「…別に。ていうか苗字聞いた意味。」



なんで、そんなこと宮さんに教えなきゃいけないんだ。

そう思っていることも勿論バレバレで、宮さんは面白そうに笑いながら、影山の弱みネタでも提供してもらおう思て、なんていけしゃあしゃあと。わたしが対戦相手だったわけじゃないから、別に宮さんのことは何とも思ってないんだけど、流石に自分のことが飛雄の弱みになるのはなんか嫌だ



「ま、ええけど。あ、真緒ちゃん、今晩空いてる?」


「は?」


「丁度ええし、歓迎会開いたるわ。」


「丁度いいって何ですか。ていうか、結構ですし。」


「ぼっくんたちと飲むだけやし、遠慮いらんで」


「遠慮してませんけど?!」



「ええから、ええから、おれに任せときや」なんてにっこり笑いながら、「特別に就業時間終わりにお迎えに上がったるわ」とか言われて拒否権なし。勘弁してよ!と文句を言う口は熱いお茶を飲み干して火傷をした



平行線の交点
交わるはずのない、線が徐々に。


(他人のそういう顔、ほんまええわあ。)
(何この人、ドSなの?)
(自分ええ反応やからからかい甲斐があるわあ。)
(嫌な人だ、この人!)
(はっはっは。)


面白い玩具でも見つけたかのように、楽しそうに笑う宮さん。面倒な人に捕まったもんだとがっくり項垂れる。きみのいない風景を生きるのだと決意を固めたのに、またわたしはきみの近くで生きようとしている。別に関わろうと思って関わったわけじゃないけど、でも、結局こうなった。別の道を歩くために離れたのに、また同じ道へと交わろうとして、馬鹿みたい。しかも、バレーから離れるはずがもっと近付いてる。溜め息をこぼせば、目の前の嫌味たらしい笑顔を浮かべた宮さんが「溜め息なんて吐いとったら幸せ逃げるで」と一言。「いいんです、もう既に幸せなんてないし」とやけくそのように言い放って唇を尖らせるわたしを見て大口を開けて笑った

あとがき


きっとリーグがない時は宮さんも働いてるはず。



back to TOP