「篠山、ちょっと。」


「何ですか?」


「二口はどうした?」


「さあ…知らないですけど。」


「お前らいつもニコイチのハッピーセットだろ?」


「何ですがそれ…いつも一緒にいるわけじゃないですよ。」


「そうか。ちょっと探してきてくれねえ?」


「あー…はい。」



面倒だなあと思いながらも、茂庭先輩からのお願いだから仕方なくといった感じで頷くと、茂庭先輩は「そんな嫌そうな顔すんなよ…」と一言。その言葉に「ははは」と渇いた笑いを返して、くるりと踵を返す。手にしていたドリンクボトルを舞ちゃんに手渡して、鎌先先輩の声がやたらと響く体育館を後にした


そう言えば、今日は「部活行くぞ」って言われなかったな。


いつもだったら、放課後のチャイムと同時に二口がわたしの席の目の前まで来て、早くしろと言わんばかりの顔で「部活行くぞ」と急かすのに。別にいつも一緒ではないし、別々に行動することもある。今日は気付いたら教室にいなかったし、もう部活に行ったもんだと思っていたけど、どうやらそうではなかったらしい



「あ、中村!」


「おー、篠山。どうした?」


「二口見なかった?部活、来てなくて。」



探しに出て数分。目の前の廊下の先を横切って行ったクラスメイトの姿に急いで声をかける。不思議そうな顔で足を止めた中村がわたしの問いかけに、うーん、と唸り、次いで「ああ!」と何かに思い当たる顔



「二口ならさっき一年生の女子とあっちにいたけど。」


「一年生、女子?」


「えっと…あれ、この間クラスに来てた子、だったかな。」


「……ああ。」



一年生女子、と言われてすぐに思い浮かんだ一人の女の子の顔。中村からの追加ヒントにやっぱりと思った


ああ、嫌だな。


もしそれで向こうに探しに行ったら、きっとその場面を見てしまう。何をしているのかはわからない。二口と倉田さんの二人で何をしているかはわからないけれど、二人が並んで立っている姿を見るのは、何だか嫌だな、と思ってしまった。そうは思っても、茂庭先輩に呼んで来いと言われているから行かないわけにはいかないんだけども

訝し気な顔で「どうした?」と聞いてくる中村に「何でもないよ。情報提供感謝であります!」と言って、別れを告げる。そして、くるりと中村に教えてもらった方向へ踵を返して歩く廊下。ぺたぺたと上靴特有の音が響いて、次いで聞こえる甘い声



「…で、……な…です。」



ここからではよく聞き取れない。何を話しているのか聞きたくないとも思った。ゆっくり速度を落としていく足。ぴたりと止まった時、少し先にある目的地の階段の方からぱたぱたと誰かがやってくる。誰か、なんてこの先にいる人しかいないのに

突如姿を現した二人組。当たり前だけれど、やっぱり二口と倉田さんの二人の姿がそこにはあって、胸がちくりと痛み出す。原因のわからない痛みに眉間に皺を寄せて立ち尽くしていると二口がこちらを振り向き、ばちりと合う目



「何やってんだ、篠山。」


「篠山先輩…?」



何やってんだ、はこっちの台詞だけど。

そう言ってやろうと思ったのに、喉につかえて出てこない言葉たち。その間に倉田さんが二口の言葉にぴくりと反応。不愉快そうな顔でわたしを見遣るその姿に、随分と嫌われているな、と苦笑した。この状況に何も感じていないのか、鈍感が過ぎる二口がずかずかとこちらに歩み寄って来て、ギョッとするわたしの脳天にチョップを一発。まあまあの高みから振り下ろされたそのチョップの衝撃に追撃を防御するかのように脳天を押さえながら二口を睨みつければ、なぜか満足そうに笑う



「な、にすんの!痛いんですけど!!」


「おれの質問に答えない篠山が悪い。」


「どんだけ!頭が二つに割れた気がする。」


「何言ってんだ、あほか。」


「ああ?!」


「ははは!…で、何やってんだよ。部活の時間だろ。」


「それはこっちの台詞ですけど!部活の時間になっても二口が来ないから、茂庭先輩に探してこいって言われたの!」


「あー…悪い悪い。今行くわ。」


「…うん。」


「じゃ、おれ部活行くわ。」


「はい。」



キッと睨みつけながら、二口にここにいる理由を告げれば、バツが悪そうな顔で頬を掻きながら、悪いと言い、次いでくるりと踵を返して、後ろにいた倉田さんを振り返った。じゃ、と言って手を挙げる二口に、にこりと笑って手を振り返す倉田さんの姿。ちくちくと痛み出す、わたしの胸。訳のわからない痛みに首を傾げる


見たくないな、これ。


見たくなかった。何だろう。まるで恋人みたいなやり取り。それをわたしは見せつけられている。それがひどく嫌だなと思った。見たくないと思った。何でそう思うかはわからないけれど、わたしには関係ないはずだけれど、ひどく嫌だと思って、何かが堰を切って飛び出してきそうな唇をグッと噛み締める



「おら、ぼさっとしてんなよ。行くぞ。」


「あっ、ちょ、ちょっと待ってよ二口!」



ぽん、とわたしの後頭部を叩き、自分のことを棚にあげて早くしろなんて言う二口。むっとしながらも歩き出してしまった背中を追いかけるために一歩。歩幅の違う一歩と一歩。どんなに忙しなく足を動かしても少しずつできる距離になぜか泣きたくなって、少しずつ減速

大体、何でいつも歩幅を合わせてくれないんだろうか。いつもいつも。普通に考えたらわかるはずなのに、いつだってそうだ。コガネですら、隣を歩く時はわたしの歩幅に合わせてくれるのに、この男といったら。ぴたり、と足を止めてみても、前を歩く二口はそのまま廊下の先へ進んでいってしまう


倉田さんが隣だったら、どうするんだろう。


どうやって歩くの?もしわたしじゃなくて倉田さんが二口の隣を歩く時は。想像、したくないな。グッと拳を握り締めて、歩き出さなきゃ、部活があるから、足を動かさないと、俯いた顔を上げて、ギョッとする



「なっ、急に顔上げんなよ、びっくりすんだろうが!」


「わたしもあまりの近さにびっくりだよ!」


「篠山が早く来ねえからだろ。何止まってんだよ。」



先を歩いて行ってしまったのは二口の方なのに。歩幅が違うことにも、わたしがついてきていないことにも気付いていなかったくせに。

唇を尖らせて文句の一つでも言ってやろうかと思案する。結局何も言えず、ただ「ちょっと、靴が脱げただけ」なんて苦しい言い訳。何言ってんだこいつと言う顔をする二口の横を通り抜けて、次はわたしが二口を置いていく番



「あ、待てよ!」


「嫌でーす。」



今、二口と二人でいたら、余計なことを口走ってしまいそう。


放課後で人がほとんどいない廊下。二口の声が響き、それをスタートの合図にわたしは廊下を走り出す。先生に見つかったら怒られちゃうな、と思いながらも後ろを振り返らずに廊下の先にあるバレー部が占拠する体育館を目指せば、背後に聞こえていた足音がいつの間にか真横で聞こえて、次いでパシッとわたしの手を掴んだ。結構本気で走ったのに、いとも簡単に追いつかれてこれが身体能力の差か、と歯噛みしたくなった



「何逃げんてんだよ!」


「逃げてなんかないし。」


「あ?待てって言ったのに走って逃げただろうが。」


「逃げてないって!手、離してよ!!」



強めに言い返せば、しんと静まり返った廊下にわたしの声が大きくこだました。いつもとは違うわたしの様子に二口が戸惑ったような顔をする。いつもどこか飄々として憎たらしい顔ばかりなのに、そんな顔をすることもあるんだ、とこんな状況なのにどこか感慨深い。「何だよ…」と唇を尖らせて、少し拗ねたような態度に、何だか悪いことをしているような気になって、はあ、と溜め息を吐けば、バツの悪そうな二口



「探させて、悪かったな。」


「は?」



熱でもあるのか?と疑いたくなるような真面目なトーンで謝られて目が点になる。そんな風に謝られると何かこちらの方が申し訳なくなるんだけれど。だって、八つ当たりみたいなものだもん。この胸がもやもやしていたから、走って逃げて、追いつかれて理不尽に怒りをぶつけたのに。しゅん、とした顔でわたしを見下ろす二口に動揺

いつもの二口になってくれないと調子が狂っちゃうんだが?

振り払おうとしていた手をぴたりと止めて、次はわたしがバツの悪い顔をする番。誤魔化すように先程食らったチョップのお返しをしようとしたけれどターゲットの脳天が随分と高い位置にあってそれは諦めた。なので、「仕方ないなあ」と言って、二口の胸元をこつんと叩いて手打ちに。「痛えな!」と言う二口はわたしのよく知る二口でちょっと安心した



「ほらほら、行こ。」



さっきとは逆に、次はわたしが早く行くぞとせっつく。その言葉に少しムッとした顔をしながらも、握り締めていたわたしの手を離して歩き出す二口。離れた手に少しだけ寂しさを感じながらも、二口の背を追いかけ一歩、踏み出して既視感

あれ、前もこんなこと。



「いっ。」



頭が、痛い。

急に、頭に襲い掛かる激痛。痛みだして、目尻に涙が浮かぶ。耐え切れないようなその痛みに思わずわたしはその場に蹲る。額が床と接着。ひんやりとした感覚が額いっぱいに広がって少しだけ楽になりそうで、でも、まだ痛い

あまりの痛みに息が上手くできなくて、苦しくなった胸を掻き抱いた。ぐっと首を絞めるかのように喉元を強く押さえて、自分を落ち着かせようとしたけれど、上手くできない。息が、苦しい。次いで、くらり、と揺らぐ視界



「小夜?」



一人きりの廊下で響いた声。もうずっとその声で、その呼び名を聞いていない。久しぶりに聞いたその声に顔を上げれば、瞳の中に飛び込んでくる心配そうにわたしを見つめる二口の顔



「あ……。」



その顔を見た瞬間、うずくまるほどの頭痛が一気に引いた。不思議なくらい、跡形もなく



「どうした?篠山、大丈夫か?」


「あ、うん。ごめん、ちょっと目眩がしただけ。」


「何だよ、あんま無理すんなよ。」


「うん、ごめん。ありがと。」


「早く行くぞ。あ、いや、べつに急がなくてもいいから、その。」


「大丈夫。行こう、二口。」



にこりと笑って言えば、「そうか?」とまだ少し心配げにわたしを見る二口の背中をドンッと押した。「ほら、みんな待ってるよ!」と二口を追い越せば、「痛えよ!」なんて言いながらわたしの頭をぽんと叩いて、わたしを軽々追い越していく二口。その背中を見つめながら、一度足を止めて振り返った



「気のせい、だよね。」



ぽつりと呟いたわたしの声は、どこまでも続いていそうな廊下の、また先へと消えていく。浮かんだ一つの疑問はもう元通りの頭を勢い良く左右に振って掻き消して、急いで小さくなっていく二口の背中を追い掛けた



静かなる水に、波紋一つ
よくわからないけれど、変な感じがしたんだ。


(篠山でも具合悪くなることあんだな!)
(どういう意味よ、それ!)
(ばかはなんちゃらって。)
(黙れ。)
(いってえな!)


本当に、気のせいだったのだろうか。掻き消した疑問。あの時、きみがわたしの名前を呼んだ時、違和感を感じたの。もしかしたらそれは頭が痛かったから、そう思ったのかもしれない。だって、ちゃんとあそこに、わたしの目の前にきみはいたのに、それなのに、わたしの名前を呼んだきみの声が後ろの廊下、ずっと向こうの方から聞こえたなんて、どうかしているに決まっている。わたしはそう決め付けて、みんなが待つ体育館の扉を大股一歩で潜るんだ


ちょっと生意気な二口が急にしゅんとしたらドギマギしそう。


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