02




「南川さん。」


「あ、北くん。また来たん?」


「今回は焦がしてへんみたいやな。」


「そ、それは大丈夫やし!」


「はは、そうみたいやな?」



がらりと開いた化学科教室のドア。その向こうにはやっぱり何故かここでチョコレートと格闘しているクラスメイトである南川さんの姿。おれは、この光景も見慣れてきなあ、なんて思いながら、スツールを引っ張り出して定位置と化した場所に腰掛けて、レシピ本片手に腕を組み、悩まし気な表情の南川さんに声を掛けた



「どうかしたん?」


「あ、いや、別に大したことじゃないんやけどな。」


「うん。」


「北くんに言われたから、そろそろ何作るか決めよ思て、レシピ本見てるんやけど…ほら、わたし、宮くんとあんまり接点あらへんし、よく知らへんからどういうチョコレートのお菓子がええのか、やっぱりわからへんくって。」


「まだ悩んでたん?」


「そうなんよねえ…困った。」


「…そもそも、南川さんは何で侑のこと好きなん?」



あの日から、ずっと疑問だった。南川さんは何で侑のことが好きなのか。南川さんが言う通り、南川さんは3年生で、侑は2年生。確かに侑は目立つから、好きになる機会なんてたくさんあるのかもしれないけれど、南川さん本人が接点はあんまりないと言っていて、それなら何で?と頭に疑問が浮かぶ。南川さんは部活や委員会にも入ってないみたいで、いつもすぐ帰宅していたし


侑は人気やけど、ね。


まるでアイドルみたいに女子たちから黄色い声援を浴びるような存在で。同じ顔をした治も同じように女子たちにきゃあきゃあと言われていたが、侑の方が性格的に目立つから。まあ、同じ学校の奴らは侑と治が喧嘩をしているところを見たり、性格的な部分を色々とよく知っているから遠くから見ているのがいいという感じらしいけど。近過ぎるとどうもダメらしい。確かに、あいつらはまだまだ子供だし

まあ、それでも去年のバレンタインデーのチョコの量の凄さは変わらない。侑なんて月刊バリボーに載ってからは学校外のチョコレートも増えて、食いきれないとボヤいていたし、中には変なもんも入っていたようで、そもそももらうこともやめるなんて言っていたぐらいだ。そんな去年のバレンタインデーを思い出し、何とも言えない気持ちになりながら、南川さんをじっと見据える。きょとんとした顔でおれを見返して、次いで慌てたように顔の前で手を振った。急に慌てだすもんだから、おれにはよくわからない行動だった



「す、好きとかそういうんやないって!そ、それに、こ、こないな話は、北くんが聞いたって、何もおもんないで!!」


「別に面白さは求めてへんけどなあ。」


「で、ですよねー…得もないで!」


「どこから損得の話になったんや?」


「そ、そうですよねー…た、大した話やないんやけど。」


「ええって、そんなん。」


「……わたしな、前に受験で追い詰められて塾に行くの、嫌なって、塾サボってゲーセンで遊んでたんや。」


「南川さんが?へえ。」


「わ、わたしだって息抜きしたいしなあ!」


「ほんで?」


「それで、な。まあ、慣れてないもんやから、それが雰囲気でわかったんやろね。ガラの悪い人に絡まれてな、手掴まれて、逃げられなくて、怖くて動けへんかった。」



その時のことを思い出しているのか、南川さんの顔が暗くなる。ああ、あんなに阿呆みたいにはしゃいでいる南川さんもこんな顔をする時もあるのか、なんて思いながら南川さんの話を聞いて、思わず挟む口



「助けたん?侑が。」


「そ、そう!たまたま通りかかって、助けてくれてん。」


「そうなんや。」


「震えて足が動かなかったわたしに宮くんが、声を掛けてくれて、な。そんで、くれてん。飴ちゃん。もう大丈夫やでって言うて、いちごミルクの飴ちゃんくれてな。それを口に含んだ時の、あの甘い味を今でも覚えてる。」



さっきまでの南川さんの暗い顔はどこへやら。頬を少しだけ赤く染め、熱を持つそこに手を当てて嬉しそうに笑う。それを見ながら、南川さんにとってその飴はただのいちごミルクの飴ではなかったんだな、とか、南川さんは否定してたけど侑のことをその時に好きになったんだな、とか、恋って意外と単純なきっかけだなあ、なんて思った


もっと、ミーハーな理由だと思ったんやけどな。


侑は目立つから、他の女子たちみたいに顔がタイプとか、学校外にいる女子たちみたいにアイドルを追いかけるファンみたいな感じかなとか勝手に想像していたのに、そういうのではないのか、と妙に感心してしまった

照れ隠しなのか、南川さんはいそいそと話を切り上げてレシピ本と睨めっこを始める。それを見ながらおれは苦笑。指を差して南川さんに一言



「それ、逆さまやで。」


「えっ。あ、ああ!ほんまやな?!」


「慌てすぎやろ。」


「い、いや、だって誰にも話したことなかったんやもん…なんか、照れるもんやね、こういうの。」


「そうなん?」


「そうやで。えっと…あ、あのな。」


「何?」


「あのな、わたし、別に宮くんが好きとか、告白したいとかそういうもんのためにチョコレートを渡したいわけちゃうくて。」



南川さんは何を言っているんだろうか?バレンタインデーにそれ以外の目的でチョコレートを渡すというのだろうか。おれにはちょっとわからない。



「ただ、お礼がしたいだけやねん。きっかけがね、これしかなかってん。あの時のお礼、まだしてへんから。」


「そうなんや。」



そんなことを言いつつも、やっぱり南川さんは侑が好きなんだろうと思った。だって、こんなにも幸せそうにレシピ本を見つめる南川さんの目が、顔がそう言っている

おれはそれ以上何も言わず、何も聞かずにただ頷いた。すると、それを見た南川さんが満足そうに笑い、レシピ本を大きく広げて、おれに見せながら、「どれがいいかなあ!」なんて目を輝かせて。何だか少し羨ましくなった。そんな風に一生懸命になれること、キラキラしていること。部活を終えたおれには、今はそんな一生懸命になれるものも、キラキラできるものもない。今は、まだ


南川さんは、何だかころころしとるな。


悲しんだり、喜んだり、慌てたり、膨れたり、照れたり。ころころしている。こんなに表情豊かな人には会ったことがない。少なくとも、おれの周りにはいなかった、かな。まあ、宮ツインズは割と感情豊か、か。それでもこんな風にころころは変わらなかった。やっぱり、南川さんは変な子だなあ



「ふっ。」


「あれ、北くん今笑わへんかった?」


「笑ってへんよ。」


「え?!笑ってたやん、今!」


「うるさい。」


「うるさい?!」



思わず出た笑みに、自分でもびっくりした。でもすぐにいつもの何でもないといった表情に戻したのに、それをしっかり見られていたらしい。素の自分が出てしまったのが、何だか少し恥ずかしくて、急いで誤魔化すも効果はなし。面倒になって否定も肯定もせずに溜め息を一つ。南川さんはそれ以上何も言わずにいたけれど、ニヤニヤとしたその顔が何だか癪に触った



「あ。」


「ん?どうしたん??」


「……いや、何でもあらへん。」


「何それ。気になるやん、教えてや。」



少し考える、その間も南川さんはうるさい。思わず声を出してしまった自分に後悔しながら、そのうるささに観念した。おれは開かれたレシピ本のページを指差しながら、躊躇いがちに、ゆっくりと口を開いて、独り言のように言葉を放る



「これ、ええな。」



小さく呟くようにして落とした言葉。しっかり南川さんは聞き取ってしまったらしい。あわよくば聞こえなければいいのにと思って小さい声で言ったのに、南川さんはしっかりとその言葉を拾ってしまって。「そっか」と呟いた後、何も言わないで、ただニコニコと笑って、またレシピ本を見つめながら楽しそうに鼻歌を一つ

そんな南川さんの下手くそな鼻歌を聞きながら、伸びをする。こんな風にのんびりと過ごす放課後も悪くないな、と柄にもなく思った。



橙色で埋め尽くされた化学科教室の片隅
きみと過ごすその時が、心安らぐ不思議な時間。


(決めた!)
(ん?)
(これにするわ。)
(…作れるん?こんなん。)
(だ、大丈夫やで、たぶん!頑張る!気合い、やー!!)


男らしい発言に、握り拳。燃えるのもいいが、きみは大事なことを忘れている。ここは化学科教室。必要な調理器具がないんじゃないのか、なんていうおれの目を見てどうかはわらかないが自慢げに何かをごそごそと取り出し始める。フライパン、鍋、ハンドミキサーその他諸々エトセトラ。溜め息よりも、笑いが出た。何や、きみは四次元ポケットでも持っているのかな。思わずお腹を抱えて笑ってしまったおれに、きみは珍しいものでも見たかのような顔をして、ぱちぱちと数回瞬きを繰り返し、次いできみも笑う。何だか、心が温かくなった。


チョコ食べ過ぎて太る…



back to list or top