手出し厳禁
「ちょっと退屈してたんだよ。俺が相手してやらぁ」
不敵に笑う黒鋼に、名無の頭上に乗っていたモコナが笑った。
「黒鋼さっきまで楽しんでたー。退屈なんてしてないない」
「満喫してたよねぇ。阪神共和国を」
「どこへ行くにも子供のようでしたね」と名無がファイに続き、
「うるせぇぞ、そこ!」
噛みつかんばかりの勢いで黒鋼が指差していた。
「けど、黒鋼さん、刀をあの人に……」と小狼が表情を曇らせる。
「ありゃ破魔刀だ。特別のな。俺がいた日本国のいる魔物を切るにゃ必要だが、巧断は“魔物”じゃねぇだろ」
ぶっきらぼうに説明した黒鋼に、名無は自分の耳を疑った。
「日本国? 私がいたのも日本です。あなたがそうなのですか?」
「あぁ?」
「“持ち主”なんでしょう?」
「なんの話だ? つか、今それどころじゃねぇだろ」
「これです!」と、首から下げていた箱を持ち上げて見せる。「知っているのではないですか?」
「知らねぇよ。いいから、引っ込んでろ」
「でも、日本に――」
「はい、そこまでー」
後ろから伸びてきた手に口を覆われ、体に回された腕が名無を後ろに引き戻す。
細く華奢に見えるファイの腕はぴくりともせず、密着する生ぬるい温度に名無は正体不明の焦燥感に襲われた。
息苦しくて、首がやけに熱い。
どんなにもがいても変わらず、生ぬるい温度は離れなかった。
「黒ぷー、今忙しいから、また後でねー」
相変わらず悠長にしゃべるファイに、目の前がくらくらする。
「……聞かない、から、離して」
するりと離された腕に、思わずその場にへたり込む。
「だ、大丈夫ですか?」
心配げに小狼が覗き込んでくるも、
「おまえの巧断は何級だ!?」
「知らねぇし興味ねぇ。ごちゃごちゃ言ってねぇで掛かって来いよ」
向こうから聞こえてくる会話も気がかりそうにしていた。
「平気です」と、吐き出した息が熱っぽく、落ち着くのに時間がかかった。
「小狼くーん!」
どうやら電話が終わったらしい正義が駆けてくる。
今の状況に焦りを隠せずにいる正義とは裏腹に、ファイはあくまでも飄々としていた。
「正義くん、あれ知ってるー?」
「この界隈をねらってるチームです! ここは笙悟さんのチームのナワバリだから!」
「あのひと強いのかなぁ」
「一級の巧断を憑けてるんです! 本人はああだけど、巧断の動きはすごく素早くて、それに――」
興奮した正義が語調を強めた瞬間、首魁の男が叫んだ。
「くらえ! おれの一級巧断の攻撃を! 蟹鍋旋回!」
回転しながら突っ込んでくるカブトガニを、黒鋼が軽やかに躱す。
尚も減速しないカブトガニの尾が背後の柱に衝突した瞬間、柱が真っ二つに切れていた。
「切れた!?」と小狼が目を丸くする。
「あの巧断は体の一部を刃物みたいに尖らせることができるんです!」
「いけいけー!」
丸腰の相手に圧制し気分が高揚しているのか、向こうの野次に熱がこもる。
手を緩めることなく立て続けに襲いくる攻撃に、黒鋼はひたすら寸でのところで躱し続けていた。
「危ない!」と思わず小狼が身を乗り出す。
それをファイが手で制した。
「手、出すと怒ると思うよー。黒たんは」
反撃こそできていないが、黒鋼には余裕が感じられる。そもそも武器がないことを承知で買って出たのだ、多少劣勢だったとしても獲物を横取りされる方が気に食わないだろう。
今にも飛び出しそうにしている小狼のやさしさは正しいが、今の黒鋼が欲しているのは刀であって人じゃない。
どうかすると、黒鋼はぎりぎりのスリルを味わっているかのようにも見えた。
――まさに戦闘狂だ
――それにしても……
名無は立ち上がり、衣服をはたくとぽつりとこぼした。
「私には出したくせに」
「あれぐらいじゃ出したって言わないでしょー」
「どれぐらいなら出したって言うんです。基準が緩いのでは」
「緩くないよー。それに、ああでもしないと止まらなかったでしょー?」
――図星だ
「そんなに気になる?」
「気になるというか、そうならば早く返したかっただけです」
ぶら下がった箱の上面に埋まった銀時計は、幾本の針に身勝手な時を刻ませている。
「黒様のものなら、とっくに気づいて言ってるんじゃないかなぁ」
――なんだろう。さっきから図星を突かれてばかりな気がする
「ごもっともです」
縮こまる名無にファイが笑った。