朝、再び目覚めて見たあの巫女の顔を見て俺は驚愕して、それから言い得ぬ苛立ちを感じた。"おはようございます"とさらりと言った巫女の顔は昨日とは違う、女の顔。

「巫女さま、…何かいい事でもあったのか?」
「…いえ?特にこれと言って何ですけどそれよりお加減、だいぶ良さそうですね」

一瞬瞳が揺らいだのを確かに見逃さなかった。起き上がることのできなかった昨日のうちに何があったのか知らないが、気に食わない。あの短い間でこうも変えてしまう様な男が傍に居るなんて想像もしていなかった俺にとって、まるで鈍器で頭を叩かれたかの様な衝撃だった。本当は有り余る程の時間をたっぷりとかけて手に入れようと思っていたがそうもいかなくなった今、少し手荒になるがもうこれしかない。予定も狂ってしまうが行動するならもう今しかないだろう、そう確信した。

「あぁ、巫女さまのおかげですっかり良くなった。本当に助かったよ、ありがとう」
「いいですよ、当然の事をしたまでですから」
「…そこでだ、巫女さま。お礼に何かさせてくれないか?」
「お礼、ですか…?」
「あぁ」

その言葉に少し訝し気な表情を浮かべて此方を見ている。極力、不信感を与えないよう注意地しながら話を進めた。

「実は料理が得意なんだ、…だから巫女さまに馳走したい」
「ですが…」
「このままじゃ、俺の気が収まらない。受け取ってはくれないか…?」
「……そう、言うのなら」

どうやら上手くいったらしい、俺の押しに負けた彼女は少し困った様な表情を浮かべつつも了承した。約束を交わした後家を出て行く巫女の後ろ姿を眺めながら俺の心は歓喜に満ちていた。もう少し、もう少しできっとあの女は手に入る、そう信じて疑わなかった。


****


「料理もお上手なのですね」

その晩、少し迷ったものの約束をしてしまった故、それを破る訳にもいかず少し気を張ってから彼が休んでいる民家へ向かう。そこで振舞われたのはあまり見かけたことのない鍋。戸惑いつつも、口にしてみれば凄く美味いかった。やはりただの気にし過ぎだったのかと思いつつ会話も少しだか弾んでいた。

「いいや、そんなことないさ…ただ長く生きてるからだろう」
「…お幾つなのですか?」

何気なくそう聞いた瞬間、ほんの少しの間だったが彼の表情が変わった。だが、また直ぐに何時もの笑顔に変わる。

「…秘密だ」
「それは残念」
「…歳を知られて菖蒲さまに嫌われたくないからな」

意味深な言葉を残しつつ、いつの間にか呼び方が"巫女さま"から名前で呼ばれていることに気付いたが敢えて何も言わなかった。

「味の方はどうだ?口にあっているといいのだが…」
「えぇ、とても美味しいですよ」
「そうか…そいつは良かった」

そう言って至極嬉しそうに笑みを浮かべた彼の表情がどうにも引っかかっていた。それに先程から箸を口に運ぶたび、なぜか執拗なまでに視線を感じた。

「…菖蒲さまは、八百比丘尼の話を知っているか?」
「八百比丘尼、ですか?話は聞いたことがありますが…」

何故そんな話をするのかと視線を向けた私に、背筋にゾクリと冷たいものが走った。その時の彼の表情は冷たい、冷め切ったもの。思わず疑問をそのまま口にしようとした瞬間私より先に彼の口が開く。

「比丘尼は人魚の肉を食べた為に不老不死になった。そして途方も無い時間を、独りで過ごしてきた…菖蒲さまは、不老不死についてどう思う」
「……」
「分からない、か…まぁ当然だな。そうなった者にしか分からない感情もあるものだ」
「なぜ、今そんな話をするのですか‥?」

様子をうかがいながらそう聞けば、彼はにっこりと清々しいぐらい笑みを浮かべている。普通の笑みにもかかわらず嫌な汗が流れた。

「‥菖蒲さま、少し昔話に付き合ってくれないか?」
「……、」

頭の中で警報が鳴っている。危ない、そう思っていたが何故か体は動かなかった。


***


その男はまだ18になったばかりだった。父は漁師でいつもの様にその手伝いに出ていたそんなある日事は起こった。

「なんだこれは…」

仕掛け網に珍しい魚がかかった。魚と言うにはあまりに歪な、何とも言い表せない生き物だった。だが、ここ数日なぜか漁に出ても魚が捕れない日々が続いていた村の民はその魚らしき何かを試しに捌いてみるとその肉は見事な白身でとても旨そうだったのでつい、村人皆で分け合い食べてみることになった。例外無くその男の家でも食べられた。

「…うまいな」

その肉は今まで食べたものの中で一番旨いぐらいだった、だがその直ぐ後の村は正に阿鼻叫喚だった。ある者は血を吐いて死に、またある者はこの世の者とは思えない化け物になりそれは凄まじい光景、そうあの肉は人魚の肉だったのだ。

「な…なんだ、あれ…っ!!」

生き残った者は居ず村は全滅かと思いきや一人、あの人魚を釣り上げた漁師の息子ただ一人だけ生きていた。彼にだけ肉は適合してしまったらしい、皮肉にも彼は意図せず不老不死になったのだ。それから彼は途方も無い時間をただ一人で過ごしてきた。年をとらず傷を負っても直ぐ治ってしまうそんな男が同じ場所にいつまでも留まる訳にも行かず、今まで各地を転々とし暮らしてきた。
そんな男は数百年ぶりに歓喜していた、何百年も独りで過ごしてきたが今やっと仲間が出来るのだから。今までも何度か同じような奴を生み出そうと試みてきたが何奴もだめで、諦めていたそんな時、腹が減り倒れたときに出会った巫女。とても美しく優しい、そして何よりとても高い霊力を持っている、きっとあの女なら人魚の肉にも耐えるに違いない。今までの奴とは違う、そう信じて疑わなかった。
だから男は喜んだのだ、これからは独りじゃないと。


***



「っ…!はぁ」

走って走って、ただひたすら走った。全てはあの男から逃げるため、恐ろしい話だった彼はどうやら不老不死らしくもう何百年も生きてきたという。にわかには信じがたい話だったが、彼は目の前で自分の腕に傷を付けそれは見る見るうちに治った、そして男は言った”お前はやはり適合した”と。

「待て!お前はもう不老不死なんだ!一人では生きられない、だから俺とともに来い!」
「嫌、です…!それに私は不老不死、などではない…っ!!」

逃げても逃げても追ってくるが今はそれしか無い、そんな時不意に体の力が抜けていくのを感じた。がくんとその場に膝をつく、力を入れようにも何故か入らなかった。

「なに…、」
「…人魚の毒だ、少々手荒だが巫女様が逃げるもんだから仕方ない…」
「!!」
「この毒が効くことが不老不死になった何よりの証拠だ…さぁ一緒に来い菖蒲。お前が生きる道はもうここにしかないのだから」

徐々に意識が遠くなるがこのまま捕まる訳にも行かない、力を振り絞り弓を引く、不老不死とはいえ相手は人間。弓を引く手が震えて射つ事が出来なかった。

「…優しいなぁ、やはりあんたを選んで正解だった」

その事に気付いたのか男はにやりと笑い私に向けて釜を振り下ろした。肩にかけて鋭い痛みが走る。

「っあぁ!!」
「大丈夫だ、痛みはあるが直に治るさ…何てったって不老不死だからな…」
「…っ!く…来るなっ」
「拒むな…もう貴方には俺しかいない」

毒と肩の傷からの出血のためか、意識はどんどん朦朧としてくる。近付いてくる手から逃げる事はもう出来ず諦めたそのときだった。

「う、うわああぁっ!!」

ずるりと倒れた男の後ろから姿を現した思いもよらぬ姿に私はただ驚いた。

「せ…しょう、まる」
「…何があった」
「よかっ…た、」
「!」

男が倒れたからか、それとも彼が来た事による物なのか分からなかったが私は安心からそのまま気を失ってしまった。
 
 
 


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