海の底へと連れてって

案内された客間で頂いた紅茶を啜ってしばらく、邸宅の持ち主であるレオンさんがボディーガードのヘッズリさんを率いてようやく扉を叩いた。毛利さんと軽く挨拶を交わして、レオンさんの視線は流れるように工藤くんへと逸れる。「そしてキミが、高校生探偵の工藤新一さん」あちこち飛び回っているらしい工藤くんの肩書きも伊達じゃないようだ。

「キミは探偵というよりはマジシャンのようだね」

フッと笑って言ったレオンさんの言葉に、向かい側のソファに腰掛けている工藤くんが意表を憑かれたとばかりに僅かに目を見張った気がした。ズズっと紅茶を飲めば、間の抜けた音が思ったよりも響いたので静かにカップをソーサーに置く。

「キミの指だよ。細くてしなやかだ。」

揃って工藤くんの指に視線を向けた。たしかに、長くて細くて羨ましいくらいだけれどマジシャンみたいといわれても残念ながら綺麗な指だなあという感想しか浮かばなかった。

「探偵と言っても、腕っ節より頭脳ココで勝負するほうなんでね」
「なるほど」

得意げに額を指し示した工藤くんにレオンさんはひとつ頷いて、それから中庭が一望できる窓際にいた園子ちゃんに興味がうつったようだ。

園子ちゃんとレオンさんが挨拶を交わすのを眺めていればバタバタと廊下から慌ただしい声が聞こえてきた。視線を向ければ、お爺さんがスーツ姿の護衛を引き連れて入ってくるところだった。お爺さんは毛利さんの大ファンらしく、恍惚と両手を握ってツーショットを撮ると紺青のフィストを見て欲しいと金庫までの案内を買ってでた。

「ねぇ蘭ちゃん、あのお爺さんだあれ?」
「あの人は紺青の拳の所有者、ジョンハン・チェンさんだよ。オメー、話ちゃんと聞いてたのかぁ?」

金庫までの道すがら、こっそりと蘭ちゃんに聞いたのに答えたのは何故か工藤くんだった。関心の薄いわたしに工藤くんがやれやれとでも言いたげに呆れたように肩を竦める。そもそも、先程から話題にあがる紺青の拳がなんなのかがわからなかった。それを工藤くんに伝えたら話を聞いてなかったのがバレてしまうし、きっと馬鹿にされるので大人しく口を閉ざす選択をする。厳重に金庫に保管されているようだし怪盗キッドが狙っているというので貴重な物に違いはなさそうだけれど。まあ、どちらにせよもうすぐご対面できるのだ。

複数人の靴音が、大きな扉の前で止まった。扉というよりも戦隊アニメのロボットの搭乗口のようで、数本の鉄パイプが窓ガラスのような大きな液晶画面のついた突出した機械に杭のように刺さっていた。レオンさんが液晶画面に掌を翳すとプシュッと音を鳴らして順に鉄パイプが抜かれて、扉が大きく口を開いた。

中は、八角形の筒のような部屋だった。耐熱合金でできた支柱には操作パネルが組み込まれていた。ヘッズリさんが操作すると、一部の外壁が動いてまるで機械式駐車場のように赤く指定された壁が上からゆっくりと降りてきた。目が回りそうな光景にすこしだけ瞳を閉じて、緩慢に瞼を開ける。壁から引き出しのように飛び出してきた物を覗けば、青い宝石が埋め込まれたチャンピオンベルトが鎮座していた。

「これが、海賊王の証といわれた紺青の拳と呼ばれる宝石です」

キラキラと輝く深い海のような宝石に、蘭ちゃんと園子ちゃんが感嘆の声をあげた。アーサーくんを抱き上げて、わたしも食い入るようにみつめる。深い深い海の底で静かに眠っていた宝石はたしかに綺麗だった。でも、海中から光を浴びた水面をみるような、いくつもの光の筋と水泡が舞う幻想的な光景のように、ブルーサファイヤ以上の綺麗な輝きが存在することを知っているわたしには蘭ちゃんたちみたいな感覚が生まれそうになかった。「···コナンくんの瞳のほうがずっとキレイだ」ぽつりと吐いた言葉に、アーサーくんが顔をあげたような気がした。

「なるほど、ここにある限りいかにキッドでも手出しはできんでしょうな!」
「それがそうもいかないのですよ」

神妙に切りだしたレオンさんの話を耳に入れながら、そうっとアーサーくんを床に下ろした。なにか言いたげに見上げてくるアーサーくんに軽く小首を傾げれば「んーん、なんでもない」と頭を振ってレオンさんに身体を向けてしまった。

「明日からの空手トーナメント開催中は、会場にベルトを展示する決まりになっていましてね。つまり、大会期間中は会場の別室に保管することになっているのです。厳重な警備体制を敷きますが此処よりは劣る」
「なるほど。つまり、キッドはサファイヤが会場に移されるのを待っている、とお考えなんですね?」

人差し指を立てて説明をするレオンさんに、工藤くんがカツカツと歩み寄った。

「その通り。此処を狙うのはリスクが高すぎる」
「ですね。僕も微力ながら宝石の警護に協力させて下さい」

そう言って、工藤くんはレオンさんに右手を差し出した。意図を組んだレオンさんが、しっかりと工藤くんの手を握る。つまりこの旅行中、工藤くんは毛利さんと一緒に怪盗キッドから宝石を守る警備に加わるということだ。工藤くんにとっては事件が休暇みたいなものだし当然の反応だよねぇなんて思いながらも、怖くて園子ちゃんと蘭ちゃんの反応はみれそうになかった。

ぞろぞろと並んで金庫室を後にしたわたしたちは、ホテルまで送迎してくれるというのでそのあいだ客間で待機することになった。レオンさんは一度自室で用事を済ませ、また帰る頃に顔をみせてくれるようだった。

「なまえ、なまえったら!ちゃんと聞いてる?」
「え、ごめん園子ちゃん。なんのはなし?」
「だあから、ご飯食べたら屋上のプールでちょっと遊ばない?って聞いてたのよ」
「あー、プールだね。プール。うん」
「ちょっと、どうかしたの?いつも変だけどいつも以上に変よ」
「なまえ、どうしたの?なにかあった?」

ソファに腰掛けてぼんやりと宙を見つめていれば、園子ちゃんと蘭ちゃんが近寄ってくる気配がした。眉を顰めたふたりの顔を視界に入れたことで、しゃぼん玉が弾けるようにパチンと意識が浮上する。「あ、ごめんね。怪盗キッドのこと考えてて」へらりと笑ってそういえば、各方向から視線が一気に集中してしまった。

「なによアンタ、ほんとにキッド様にお熱なの?!」
「ううん。そうじゃな···いこともないんだけど」

瞳を光らせた園子ちゃんにさらりと否定しようとして、扉の近くに京極さんが見えたので曖昧に笑っておく。正面に座っている工藤くんをちらりとみれば、一瞬だけ視線が合った。ひとりでもんもんとしても心配させてしまうだけだし、隠す必要もないのでゆっくりと口を開く。

「ねぇ、蘭ちゃんと園子ちゃんは怪盗キッドが本当に此処に来ないと思う?」
「来ないんじゃない?レオンさんが言ってたじゃない、リスクが高いって」
「トーナメント会場のほうが警備が薄いって言ってたし、私も来ないと思うな」

それがどうしたの?と二対の双眼に見詰められて、ちょっとだけ居住まいを正す。みんな黙ってわたしたちの会話に耳を傾けているようで、それに気づけばすこしドギマギしてしまった。

「でも、あの怪盗キッドだよ?わざわざ予告状をだすような人が、警備が手薄なほうを狙って盗むかな?」
「それもそうね」
「たしかに、どれだけ警備体制を敷こうがキッド様には意味ないと思うけどさ!まず宝石が此処にあるってこと知らないんじゃない?トーナメント会場にベルトが展示されるってのは誰でもわかると思うし」
「それも、そっか···?」

園子ちゃんの言葉に、曖昧に首を傾ける。調べれば此処にあることなんて分かりそうなものだが、怪盗キッドの情報収集力なんて知らないのですっきりとしない気分だったけれど納得したようにもういちど頷いておいた。

「それよりプールよプール!キラキラとネオンに輝く街並み!ああ!好きな人と観れたらロマンティックよねぇ〜」

両手を胸の前で重ねて恍惚とする園子ちゃんの言葉を皮切りに、みんなの注目が逸れていった。はいはいと呆れた口調で、それでもどこか楽しそうにする蘭ちゃんをぼんやりと見ていれば口許に掌を添えた工藤くんがこっそりと声を投げてきた。

「オメー、サファイヤの心配してんのか?」
「え、いや、それはぜんぜん」

首を振れば、ふーん。と納得のいかないような表情で工藤くんが頬杖をついた。正直、あの宝石にあまり興味がなかった。かといって怪盗キッドに興味があるというわけでもなく、盗みに来ないと決めつけているのが気になっただけなので、探るような視線を向けてくる工藤くんにちょっとだけ考えるように顎に手を当てる。

「うーん、なんだろう。あの怪盗キッドって人、派手なのが好きというか、難しければ難しいほど燃えるタイプって感じがするというか。なんか、自分の技術に酔いしれる変態っぽいなあって」

そう言えば、工藤くんが頬杖から顎を滑らせてソファの下にずり落ちた。派手な音を立てて視界から居なくなった工藤くんにぱちぱちと目を瞬かせる。「ちょっと新一、大丈夫?」駆け寄ってきた蘭ちゃんに「な、なんでもねーよ」と答えた工藤くんからじとりと責めるような視線を向けられたので、え、なんかごめんね。と心の中で謝っておいた。