03

「オレが治療した患者だ、!!最後まで治療する責任があるんだ!!」
「ああ、もう分かったわかった!!」
「そうね⋯。この猫をひろってきたのはうちの船長だし⋯とりあえずこの件はあとよあと!とにかくいまはメリーに行かなくちゃ」
「猫っつーか⋯」
「パンダだな」
「アァ、パンダだ」
「それはあんたたちのせいでしょーがっ!」


魅入られた。それはもう、猛烈に。見るからに満身創痍で、焦点の曖昧な双眸を、それでも前だけを見据えて喰らいつく折れない瞳と、ぶれない真髄に、胸骨の内側を、眼球の根っこを鷲掴みにされたようにまるで微動だにできなかった。
脚は小鹿のようにガクガクで、繰り出すパンチは銃弾よりも遅く、どんな神経をしていればまだ立ち上がれるのか。


皮膚が、焼ける音がする。爪が割れたのだろう、段々と赤く染まっていく布を視界に、ナマエは慎重に岩の窪みに指を引っ掛けた。両手の感覚は無かった。


それと、噎せ返るような血と、汗の匂い。はぁはぁと


ぐるぐると両手足に巻き付けたブランケットなど意味をなさず、元々感覚など無いに等しかったというのに、それを上回るような熱と痛みが無慈悲にナマエからあらゆる神経を奪っていた。もはや、熱いのか冷たいのかさえも分からない。それでも、奥歯を噛んでナマエは進んだ。ブランケットに染みた血のせいで、何度とバランスを崩しながらも、そこに何かがあると信じてナマエは上へと登り続けた。じっと死を待つよりかはよっぽどマシだ──ここまでくれば意地だった。

そうしてやっとの事で頂上に辿り着いた時、ナマエの目に映ったのは一面に伸びる砂丘でも頭上に広がる蒼天でもなく、そよそよと風に遊ばれて鍔を靡かせる黄色い帽子だった。てっぺんに三本の縫われた痕跡がある、古びた麦わら帽子。風に攫われることも無く、熱した鉄板のような岩肌に焦げることもなく、尖った岩の部分に引っ掛かって、静かに持ち主を待っている。

ナマエは拾い上げようとして、しかし、自分の両手が赤く濡れていることにようやく気が付いた。ぽたりぽたりとプランケットから染み出た鮮血が、雨のように地上へと落ちていく。どうしよう。ナマエはすこし逡巡して、頭に被っていた残りのブランケットを脱いだ。歯を使いながら、器用に左手にぐるぐると巻いていく。そうした所で、ナマエはようやっと左手で帽子を掴んだ。これで、当分は大丈夫だろう。あとは血が染みるまでに早急に下りるだけである。
ナマエは恐る恐る下を見た。決して高いところが苦手な訳じゃないが、不安定な足場にいることもあってナマエは僅かに戦慄した。足を踏み外したら、骨を折るだけじゃ済まないだろう。単純だと、友人に言われた言葉が今になって痛いほど身に染みる。

「⋯⋯何やってんだろ、俺」

ぼろぼろになってまで登った成果が、たかだか帽子ひとつ。食べ物でも飲み物でもなく、たかが帽子の為に必死になってまで登り、そして、汚れないように大事に持ち帰ろうとしているのだから、我ながら笑ってしまう。だというのに、ナマエは何故かそれを手放す気にはなれなかった。捨てれば、両手を使えるというのに、まるで宝物のように胸元へと抱え込んだまま、ナマエはゆっくりと下り始めた。「んん?なにやってんだ、お前」──そうしてあと半分という所まで到達した時だった。

「──⋯え?」

突如、掛けられた声にナマエはひどく瞠目した。今度は鳥でも動物でもなく、間違いなく人の声だった。低い、けれどどこか幼さを感じる声色にナマエは勢いよく下を向く。が、その拍子にずるりと脚が岩から滑り、あっ、と思った時にはぐんぐんと砂が迫っていた。

ぶつかる⋯っ!!ナマエはギュッと固く瞼を瞑った。帽子を守るように丸めた身体は、しかし、ぽすりとゴムのような衝撃に受け止められた。「お前、ドジだなァ〜」思ったよりも軽い衝撃に、首を捻るナマエの真上に落とされた笑い声。恐る恐ると目を開けたナマエの視界いっぱいに広がったのは、太陽のような眩しい笑みだった。

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