03
不安だ。とてつもなく不安だ──単独飛び出した船長により、麦わら一味の心境はいつになくぴったりと一致していた。サンジの足元には吸い切っていない煙草の吸殻がいくつも地面に転がっていたし、珍しくゾロの目蓋も冴えていた。
元凶は未だ、行方不明。常日頃から追い、追われる身としてはただじっと待つという行為はあまりにも酷だった。じりじりと浪費していくだけの時間と、茹だるような暑さに一味の苛立ちはぐんぐんと鰻登りに上がっていく。「ルフィ、大丈夫かなァ⋯」と、純粋に心配しているのはチョッパーばかりで、ナミに至っては、ギリギリと般若のような形相で爪を噛み締めていた。
やっぱり、誰か付ければ良かったかしら──そう後悔しても、時すでに遅し。あの時は、珍しく狼狽えるルフィに、つい見送ってしまったが、あの単細胞なルフィが、ちゃんと、真っ直ぐ此処に戻って来れるのかはどうにも怪しいところである。
ナミは、抱えた膝に額を擦り付けるようにして座っているビビをチラリと見た。いくら気丈に振舞っていても、その心情はナミには到底、計りし得ないものがぐすぐすと燻っていることだろう。ビビは、強い。国の為に戦い、民の為に立ち上がれる、気高き女性である。それでも、ナミから見れば、無邪気に笑い、泣き、怒れる、普通の少女だった。たとえ今、泣き喚いたって誰も咎めはしないだろうし、帰ってきたルフィを一発殴ったって止めやしないだろう。だけど、誰かの為に心を砕ける優しい彼女はきっとそうはしないだろうから、ナミは代わりに二、三発殴ることを心に決めて睨めるように砂漠を見詰めた。
「⋯これでもし、帽子が見付かって無かったらタダじゃ済まさないんだから⋯!!」
そんなぐつぐつと怒れる鬼の気迫に、ウソップはぞぞぞと背筋を震わせた。後ろは見るな、見たら死ぬぞ。ずももももと、剣呑立ち籠む背後の空気に知らぬ存ぜぬを貫いて、ただひたすら砂丘を見渡すのみ。
「(頼む、ルフィ!早く帰ってきてくれェ〜〜〜 !)」
そんな願いが届いたのか、ゴーグル越しの視界が、ようやく、砂以外の物体を捉えた。
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「どうだ?!チョッパー!!」
頭上から降り注ぐ焦燥の声色に、チョッパーはギュッと渋い顔を作ったまま、ゆっくりと聴診器を耳から外した。チョッパーの献身的な治療により、見下ろす男は今のところ穏やかな表情で瞑目している。
打ち身に擦り傷、果てには両手の皮膚は焼け爛れ、爪のほとんどが根元からパキリと割れている──。男の怪我は、見るからに酷いものだった。そもそも、この灼熱の砂漠を、こんな薄着で渡ろうとすること自体、正気の沙汰とは思えない。その上、見たところ持ち物は草臥れた砂まみれの布だけのようで、水や食料、砂漠を横断するのに最低限の荷物さえ携帯していないのだから、いよいよもって怪しさは募るばかりである。
「ビビの国の人?」
「いいえ⋯。私も、国民全員の顔を覚えている訳じゃないけど⋯⋯でも、こんな格好で砂漠越えする人なんていないわ」
「んじゃあ、コイツは一体誰なんだ?」
険しい表情で首を振ったビビに、一味はますます首を捻った。連れてきた本人に聞けば良いのだろうが、当の本人といえば「チョッパー!コイツ見てやってくれ!!」大慌てで戻ってきたかと思えば、どうだ??治るか??大丈夫だよな??と忙しく治療をはじめたチョッパーの後ろを執拗に付け回しては、チョッパーから「気が散るだろ!!」とお咎めを食らっている。
そんなやり取りを二、三回、繰り返した所で全ての診察が終わったのだろう、チョッパーが男の手首をから蹄を離した。
「脈も、呼吸も、今のとこは安定してる。両手は、当分、使えないだろうけど、でも、ちゃんと治療すれば引き攣ったりもしないはずだ」
「そうか、よかった⋯!」
ぐるぐるとグローブのように包帯が巻かれた両手を見下ろして、神妙に告げたチョッパーにホッと息を吐いたのはルフィだけだ。クルーからすればどこの馬の骨かも知らない男の容態よりも、一刻も早くユバに、という気持ちの方が遥かにでかい。もちろん、心配じゃない訳では無いが、素性の分からない男よりも、仲間であるビビの問題を片付ける方が圧倒的に優先順位が高いという話である。
「そう、なら早くユバへ向かいましょ!」
「待て待て。向かうのは勿論賛成だが、コイツはどうすんだァ??」
「どうするったって⋯⋯⋯どうする?」
「遊びに行く訳じゃねェんだ。此処に置いてけ」
「だ、だめよ!砂漠の夜の気温は氷点下になるの。意識が無いのに置いていくのは危険だわ」
「知るか、てめェで撒いた種だろ。ただえさえこっちは水も食料もねェっつーのに、わざわざ荷物を増やす必要もねェだろうが」
「まァ⋯⋯⋯クソほど癪だが、今回ばかりはオレもマリモに賛成だな。ビビちゃんの国が一大事なんだ。こうしてる間にも、暴動が始まっちまうかもしれねぇし、今は野郎なんぞに構ってる暇はねェさ」
「そ、それは、そうだけど⋯⋯」
貴重な包帯も、薬も使ってやった。それに、ルフィ達は海賊であって、慈善団体でも旅芸人でもなんでもないのだ。見たところ男はアラバスタの民でも海兵でもないようだが、格好からするに、追い剥ぎにでもあったか追われているのか───兎に角、軽装で砂漠を渡らなければならない程の、やむを得ない事情があったという事だ。本人から頼まれたのならまだしも、進んで厄介事を抱え込む義理もなければ余裕も無い。
じゃあ⋯⋯⋯置いてく?一味の意見が、そう傾いた時だった。
「ダメだ!!!」
吼えるような制止に、ビクリとウソップの肩が飛び上がった。思わず揃ってルフィを見たが、当人は真剣な表情で男を──いや、正しくはチョッパーを見下ろしている。
「ど、どうした、チョッパー?」
「置いてったらダメだ。どうしてもって言うならオレが此処に残るよ。オレは、患者を見捨てて行けない」
「で、でも、治療は終わったんでしょ?」
「コイツ、ひどい脱水症状を起こしてるんだ。本当は、直ぐにでも水を飲まさないと───」
「み、水って言っても⋯⋯」
グッと口を噛んだチョッパーに、ナミたちは顔を見交わせた。てっきり治療は施したからそのうち目が覚めるものと思っていたが、容態は思ったよりも深刻のようだ。とはいえ、サギに奪われた今、此処に、分け与える水はないし、なにより船医を置いては行けない。紫色に変色した、男の乾いた唇を見下ろして、一味はう〜〜〜んと低く唸った。
「わかった。なら早く行こう」
「行くって⋯えっ、ちょっとルフィ?!」
突然、男の腕を取り、背中に担ぎ出したルフィに一味は揃って瞠目した。今のいままで黙りを決め込んでいたルフィの奇行に、ナミが慌てて待ったを掛ける。
「行くったってアンタ、まだ砂漠は長いのよ?!マツゲにも乗せられないし⋯」
マツゲ、とは、大トカゲから追われていたナミ命名のラクダである。大トカゲを倒すついでではあったが、砂漠を越えるまで乗せてくれるというラクダに、一味は大いに喜んだ。が、如何せんサンジのようなラクダだった。男は乗せんという謎のポリシーを持つラクダに、男連中から盛大なブーイングを食らっていたのはまだ記憶に新しい。
「いいよ、オレが背負うから」
けろりと言ったルフィにナミはあ〜もうっ!と額を抑えた。砂漠の熱さに、アーアーと情けない声を上げていたとは思えない飄々とした表情である。しまいには、チョッパーまでもがいそいそと、ルフィごと、男の背中にルフィの上着を羽織らせたのだからナミはどっぷりとした落胆の息を吐くしか無かった。こうなった船長はテコでも引かないのだ。
「⋯⋯まっ、仕方ねぇか」
「おおお、おいルフィ!オレは代わらねェからな!」
「なぁ、ビビ。ユパには水があるんだろ?」
「ユバね、ルフィさん。⋯ええ、ユバはオアシスの町なの。ユバに着けば、水はたくさんあるわ」
「そっか。なら早いとこ着かなきゃな」
固い表情を緩めて頷いたビビに、ルフィはにししと笑った。ナミとビビはマツゲに、ルフィは男を背負い、チョッパーが気を引き締め、サンジとウソップが後方に続く中、「おい、ルフィ。分かってんだろうな」さあ行くか、という雰囲気を一蹴するような、突然、ゾロの鋭い声が飛んだ。男を背負ったまま、ルフィが振り向く。
「Mr.2っていう例もある。こっちは敵の顔も知らねェんだ。その男が、敵じゃねェって保証はあるんだろうな」
「もしかしたら敵かもしれねェっつー事か?!ル、ルフィ!悪いことは言わねェ!!今すぐ置いてけ!!」
「ダメだって言ってんだろ?!」
ヒィ!と青ざめるウソップを置いて、一味はいやに冷静だった。ゾロの言葉は、ウソップや船医のチョッパーは兎も角、ナミやサンジは少なからず可能性として頭に過ぎっていた事だった。だらりと脱力した四肢はぽっきりと折れそうな程に細く、鍛えているとは到底思えない貧弱な見た目からして、一味の脅威にはなり得そうもない。が、見た目だけでいうならルフィやサンジだって、一見、ただの好青年に見えないことも無いのだ。誰が、どう見たって、ただの一般市民のような男が、実は海賊でしたっていう話がごろごろ転がっているのがこの大海賊時代である。敵か、はたまたただの行き倒れか。蓋を開けてから分かったのでは、もう遅いのだ。
「心配すんな。コイツは敵じゃねェよ」
で、あるのに、きっぱりと言い切ったルフィに一味は閉口した。ゾロがぴくりと片眉を上げる。
「⋯⋯根拠は」
「勘だ!!」
「毎度毎度、その勘を信用しなきゃならねェオレたちの身にもなってくれよォ⋯⋯頼むから⋯⋯」
さめざめと泣いて呟くウソップをルフィはカラリとした笑みで笑い飛ばした。堂々と言い切ったルフィを、それでも否定しないのは、船長の直感がなかなかに侮れないことを一味全員、身を持って知っているからだ。ナミもサンジも、ヤレヤレと呆れた表情をしながらもその顔はどこか清々としている。
「⋯⋯ソイツが敵だった場合には、たたっ切るからな」
「おう!」
緊張感の溶けた一味に、チョッパーがほっと息を吐いた。そもそもゾロとて、一味の安否を考えた上での発言であって、船長がそうしたいというなら反対する気は元々無かった。自分が警戒していたらいいだけの話しだ。
チョッパーを乗せた木製のソリを引っ張りはじめたゾロに、ビビがキュッと表情を引き結ぶ。
「それじゃあ、行きましょうか⋯ユバに」