わたしだって願うはいっしょ

「 駄目だよ!それだけは絶対にだめ!」

ガタンッ、と食堂に甲高い音が鳴り響く。それは立ち上がった拍子に勢いよく倒れた椅子であり、お行儀よくテーブルに並んだ食器同士がぶつかる音であり、喉から押し出されたよく通るフォルティシモの声であった。地鳴りのような不調和音を最後に、世界から音が消える。ぐわんと暴力的な音の破裂をいまだ鼓膜に響かせながら、わたしはただ愕然と赤松さんを見つめていた。
「あっ⋯」やってしまった、と。そう眉を深めたのは一瞬で、テーブルについた五本の長い指をゆっくりと剥がして彼女は弱々しく首を振る。「それだけは、駄目。」一音一音、区切るように放ったそれは杭を打つように重く、背後で椅子を立て直した東条さんの、優しく肩に触れた気遣う手のひらに促され、再度、腰を据えた彼女の瞳にもう迷いは見受けない。いや、そもそも迷いなど彼女の中にははじめからなかった。頑なな意志と、折れない覚悟。崩れた道に橋を架けるように、あるいは嵌った穴から掬い上げるように、いつだって赤松楓の声が、指が、導いてくれていたことをわたしは知っている。
だからこそ気遣わしげな視線も、怯えをうつす表情をも跳ね返す、正義感に満ちた虹彩にわたしはひどく戦慄した。生気の失せた、彼女の姿が瞼に走る。

「みんなで此処から出ようよ!誰ひとり掛けることなくさ、みんなで笑って此処から出よう!連れて来られたんだから出口だって絶対どこかにあるはずだし、あの地下道だって、みんなで協力し合えばきっと攻略できると思うんだ!」
「そうだな!赤松の言う通り、俺たちは仲間なんだ!コロシアイだかなんだか知んねーが、アイツらに従う必要なんかねー!!」

これじゃあ、堂々巡りだ。昨日の探索で、出口はおろか、まるで鳥籠のように学園をぐるりと囲う果てのない壁の存在をありありと見せつけられた上、結局地下道の出口は様々なトラップが仕掛けられたデスロード。たとえ、あの先に出口があったとしても"全員揃って"を望むなら些かリスクが高すぎるだろう。それに、ちいさな希望をちらつかせ、何度も挑戦する様をゲラゲラと嘲笑うだけのモノクマにみんなの地下道への期待は着実に薄れている。「だーかーらーさぁー」無駄に間延びした、気の抜けた声にピタリと鼓舞が止んだ。

「またみんなで挑戦しましょうって?昨日散々やって、無理だってわかったじゃん。あれ?オレ、言わなかったけ?言ったよねー?諦めるなって押し付けはしんどいだけだって。あっ、そっか!赤松ちゃんって楽譜しか覚えらんないんだっけ!それってどっかの小豆洗いロボットより悲惨だね!」
「ちょっと!ボクを引き合いに出さないでください!!それにボクは小豆洗いロボットじゃありません!!」
「ええー⋯さっきは寄って集って責めるなって言ってたのに、言ってることが地味に変わるね⋯」

ゆるりと弧を描く唇は、実に楽しげだ。的確に、確実に。相手の痛いところを突く王馬くんにサッと赤松さんの表情が固くなる。

「これだから男死は⋯ッ!!いかにスカートの中を覗くか考えるだけの無駄な脳しか無い分際で、赤松さんの純粋な思考を語るなんてこの転子が許しません!!」
「え、なに?覗いて欲しいって?」
「あぁー?!なんだツルショタ!この可憐でナイスバディな天才美少女のオレ様のいやらしいパンツが見てーってかぁ?!!」
「そうだね!入間ちゃんのパンツを見るくらいならフルチンで校内一周するほうがよっぽどマシだね!」

ああ、収拾がつかなくなってきた。きっぱりと言い切った王馬くんの言葉になぜだかくねくねと悶える入間さんを遮断して、わたしはそっとこめかみを抑える。コロシアイは駄目、地下道も無駄。子供同士の小競り合いような会話にやれやれと呆れた眼差しを向ける大半の人も、どれもこれも前回とおんなじ。どくどくと鼓動を打つのは懐かしさではなく刻み込まれた絶望からだ。会話のひとつひとつ、彼らの行動すべてを覚えているわけじゃないのが余計にわたしの頭を重くする。楓ちゃんはいつから覚悟を決めていた?

「ち、ちょっと待って!そうじゃなくって⋯!」
「いーねぇーいーねぇー!見事なまでにバっラバラのぐっちゃぐちゃだね!手繋ぎ同盟も所詮はバベルの塔だったってことだね!」

突如、モノクマが、現れた。いやぁーあついあつい!と、指のないまあるい手のひらで顔を仰ぎながら絶妙なタイミングで登場したモノクマの姿にひぃぃっと驚愕の声が響き渡る。赤松さんは声を忘れてしまったのか、まるまると瞳を見開いてモノクマの後頭部を凝視していた。

「ちょ、ちょっと、いきなり出て来ないでよ!心臓への負担が甚大だよ!」
「あ、ごめん。脅かすつもりはあったんだ」
「⋯あったんじゃな」
「で、なにしに来たんっすか?」

天海くんの問い掛けに、モノクマは一層笑みを深めた。楽しいと、愉快だと。抑えきれない笑みをそのまるい手の隙間からぽろぽろとこぼれ落としては、わたしたちの不快を煽る。

「親切なボクはね、オマエラに言い訳を与えに来たんだよ」
「⋯言い訳?」
「そうだよ。人を殺す言い訳だよ。つまり、動機、だね」

眉を歪めた春川さんにモノクマはそう言うと、まるで此処が己のステージだとでもいうように仰々しく腕を広げてみせる。

「ぐだくだくだくだ無駄に時間と空気を汚すだけのオマエラが気持ちよくサクッと人を殺せるようにしてあげようと思ってね。これがあれば大好きなあの子を殺すのも、励まし合ったあの子を殺すのも一瞬にしてお涙ちょうだいなシーンに早変わりってわけ。ボクって優しいクマだねぇ〜!ってーことで、記念すべき最初の動機は"初回特典"でーす!いまなら学級裁判もしないで、誰かを殺すだけで無条件に卒業できるんだから簡単でしょ?」

時折、可笑しそうに震えながら。時折、くるりくるりと踊りながら。時折、恥ずかしそうに顔を赤らめながら。残酷な通達をするモノクマに、目の前が暗くなる感覚がする。同時に胸に落ちたのはやっぱりかと言う無情な感情で、所詮はモノクマにとってわたしたちはただの掌の上の駒でしかないと突き付けられた気分だった。

「なるほど。つまり、赤松さんが提唱する"協力ゲーム"をプレイヤーが提携しない"非協力ゲーム"に持ち込もうっていう魂胆っすね」
「もし、その状況で最初の殺人が起きたら僕らはますます協力し合う事が難しくなる⋯」
「むしろ、その為に初回特典なんて動機にしたんだろうネ」

知り合ったばかりの、信頼関係が脆い、綱渡りのような関係だからこそ。的確に迷いを揺さぶってくるモノクマの意地の悪さにはうんざりしそうだ。
大丈夫?顔に出ていたのか、そう言って労わるように肩を撫でてくる白銀さんにわたしはやんわりと首肯する。心配そうに、そして瞳の中に不安げな色を揺らめかせて視線を合わせる白銀さんに、嘘つき。笑みを浮かべながらも胸中では毒を吐く。わたしはきっと、一生彼女を許すことはできないだろう。肩を撫でる柔らかな感触に、胃が凭れるような不快感に、必死に息をしながらも視線は彼女の喉に当てているのだからなんて非道な女だろうか。
人は、いつかは死ぬ生き物だ。呆気なく、無情に、忽然と目の前からいなくなる。けれどそれが人の手によって齎されるなんてあってはいけない。わかっている。わかっているのに、一晩中記憶を巡らせても他にいい方法が思い浮かばなかった。彼女を殺せば終わる。本当に?わたしの迷いが揶揄うように鼓膜をくすぐる。

「もうガマンならねーっ!!」

ぼうっとしていた思考が、突然の百田くんの怒号で飛散した。ハッとした表情のまま、わたしの脚が無意識に駆け出す。なぜ自分でもそうしてしまったのか。この場面で百田くんに危害がないことを誰よりもわかっていたのに、気が付けば身体が勝手に動いていた。ひらりとモノクマの前に躍り出たわたしに百田くんの瞳が見開かれる。「な⋯っ!!」勢いを殺しきれずに突き出された掌がまっすぐ鳩尾へと埋まった。

「きゃぁぁぁ!!」
「みょうじさんっ?!」

ガラガラガシャーンッ!と椅子やテーブルが盛大に倒れた激しい騒音と、一拍置いて上がる悲鳴。それらを把握しながらもわたしはただぼうぜんと床に突っ伏していた。じんじんと痛みを訴える腹部と、迫り上がる吐き気。ああ、やっぱり夢じゃなかったんだと漠然と思う。パタパタとこちらに駆け寄る慌ただしい足音を捉えても起き上がる気力はなく、目を瞑り、冷たい床に頬を付けていれば突如として「おはっくまー!」とやけに快活な声が頭上に落ちた。

「ヘルイェー!見せしめヤローの決定だな!」
「待って!ヤローじゃないわ、お父ちゃんを吹っ飛ばしたのは彼女だもの!」

吹っ飛ばした?ピンク色のモノファニーの声に、ゆるりと視線を向ければ1メートルほど先にうつ伏せで床に倒れているモノクマの姿が見えた。どうやら巻き込んだのは椅子とテーブルだけじゃなかったようだ。いい眺め。どうせ大したダメージはないのだろうが、胸のすく、すっきりとした感覚に自然と頬がもちあがる。

「な、なんだってんだよぉ〜⋯」
「あぁ"ーん?それをいうならこっちのセリフだぜ!」
「如何なる理由があっても学園長への暴力は校則違反だよー!」
「つーわけで、キサマラもよう見とき!ワイらに逆らうとこうなるんやでーっ!」

黄色いモノスケの言葉を合図に、不気味な機械音を立ててエグイサルが飛来した。「ちょ、ちょっと待ってよ!みょうじさんはモノクマを⋯!」駆け寄ってきた赤松さんに支えられようやく身を起こしたわたしは彼女と、そして庇うように目前に立ち、尚も必死に食い下がろうとする最原くんの肩を突き飛ばす。

「邪魔です」

彼らを巻き込むわけにはいかない。強く、後方に下がるように押せば脚をとられたのかぺったりと床にお尻を着いた赤松さんに愕然と見上げられる。手の震えは誤魔化せなかった。青白く顔色を染めるみんなを視界から切り離してエグイサルを毅然と見詰める。ゆっくり、ゆっくりと距離が近づく。大丈夫。どうだろう。大丈夫。ホントに?不安からか、痛みからか。ぐるりと胃がまわるような不快感と、じっとりとした汗が背中を伝う。だいじょうぶ、だいじょうぶ。だってわたしは───







───グシャリ。

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