味気ない世界と新世界より

彼は言った。つまらない冗談は言うが、意味のない行動はしない人だったと。慰めか、はたまたこじつけか。いちからじゅうまで彼の行動を辿ったところで彼はもういないのに、身勝手な好奇心だけでずかずかと彼の深層に触れようとするこの人を、わたしはきっと可笑しな人をみるような目でみていた。だって、それじゃあまるで、わたしに会いに来るのになにか特別な理由があったと言っているみたいじゃないか。それは、あまりにも突飛がすぎる。
すっかり枯れきった薬草とくたびれたわたしを見下ろして、真面目くさった顔で言う彼がわたしはとにかく可笑しくて可笑しくてしかたなかった。あはははっ、とタガが外れたように笑うわたしを彼はまるで可哀想なものをみる目で見つめる。

「真実を、知りたくないの?」、と彼が言った。「真実?」わたしは思わず鼻で笑った。色の無い世界で、金色だけが歪んでみえる。あまりにも馬鹿馬鹿しすぎて、くだらなくて、笑いながら、それでも頷くことのないわたしに、彼はわずかに肩を落とした。

「⋯向き合うのが怖い気持ちはわかるよ。けど、逃げてたってなにも変わらない」
「逃げる?」

確かな失望の色を滲ませて、そのくせまるでわかったように言う彼に、わたしは途端、水を打ったように笑いを引っ込めた。それこそ、なんてつまらない冗談か。ぴたりと口を縫い合わせたわたしにあからさまな安堵を浮かべた彼にはきっと、わたしの表情など少しも見えてはいないのだ。

「僕も、そうだった。でも、赤松さんが教えてくれたんだ。真実を見つけた人だけが──」
「違いますよ」

わたしはピシャリと言い放った。その言葉の続きなど、心の底からどうでもよかった。遮ったわたしに彼は虚をつかれたように瞠目していたが、なんの意味もない言葉の羅列ほど耳障りなものは無い。

「まったく、呆れたことを言いますね。逃げてる?だれが」

ほんとうに、おかしなことを言う人だ。わたしは淡々とした口調で言った。

「べつに逃げてるわけじゃあないですし、目を背けるとか、怖いとかそういったわけでもありません」
「じゃあ⋯なんで⋯」

うっすらと笑みを象るわたしの横顔に、彼は困惑しているようだった。ほんとうに真っ直ぐで、優しくて、強くあろうとひたむきに前を向き続ける───可哀想なひと。託されたものにしがみつき、真実に固執するその姿がわたしにはひどく滑稽にうつった。

「真実、真実、真実──。今更、それを知ってなんになるんですか。その結果がどうであれ、前を向いて頑張りましょうって?それを大人しく受け入れろって言うんですか?───ほんと、馬鹿馬鹿しい」

ハッ、と吐き捨てるようにわたしは嘲笑った。目を焼かれた人がもう二度と光を見れないように、両脚を切られた人がもう二度と地の感触を踏めないように、どう頑張ってもままならないことが世の中にはたくさんあるのだ。「仮に知ったとして、それが真実だと保証してくれる人もいないのに。まさか、死んだ人に口を開けと?」誰かにとっては救いでも、わたしにとって、彼の言うことはただの押し付けである。

「ねぇ、最原くん。貴方にとって真実ってなんですか。真実って、誰がそう教えてくれるんですか。これが真実だよって、誰が示してくれるんですか。───貴方のしていることは、結局はただの自己満足じゃないですか」

だって、そうでしょう?いくら物証を集めたところで、答えてくれる人が居ないのなら、それは遺された人の身勝手な憶測と、こうだったらいい、というただの願望だ。もし仮に、彼が必死に掻き集めている物が、彼以外の人の物であったならあるいは受け入れることもできたかもしれない。それくらい、わたしにとって、彼はもっとも真実から掛け離れた人間だった。だって、彼は嘘つきだから。そんな根も葉もない推測に、わたしはすこしも興味はないのだ。

「みょうじさん⋯」と、苦汁を飲んだ表情で彼が弱々しい音をあげる。「⋯もうほっといて下さい。それが出来ないならいっそのこと、殺してください」散々みんなを振り回して、翻弄して、最期はあっさりと死んでしまった彼を思い浮かべてわたしはちょっぴり疲れたように笑った。ぺたりと冷たい床に座り込んだままのわたしに、彼は静かに目を伏せる。

「⋯キミが死ぬことを、きっと、彼は望まないよ」

わたしは返事をしなかった。期待するのも、振り回されるのも、遺されるのも、もう懲り懲りだった。削ぎ落とした表情で白い天井を仰ぐわたしに、憐れみか、同情か、彼は探るような視線を寄越すと、けれどなにも言わずに背を向ける。
パタン、とちいさな音を立てて閉じた扉。かすかな余熱を置いていった彼の残り香が、すんと鳴らした鼻腔を通る。死んだ彼の匂いなど、もうとっくに忘れてしまっていた。それを残念に思うわたしの心もすべて、まるごと攫っていったくせに結局、わたしにはなにひとつ遺さず彼はあっさりと居なくなった。
だからもう嘘をつかれることはないし、この扉が派手な音を立てて開くことも、それに喉を詰まらせて驚くことも、その度におんなじ反応をするわたしに呆れながらも視線が合えばちょっとだけ嬉しそうに目尻を緩める彼の表情を見ることも、もう二度とないのだ。もう、二度と。
それなのに、この荒れ果てた狭い空間に居座りつづけるわたしの姿は、一体、彼の金色にはどう映っていたのだろうか。





染みひとつない白妙の壁と、教会のような高い天井。その一面に張り巡らされた剥き出しのパイプから伸びる数体の人工ライトが、均等に並んでいるいくつもの小さな青葉を煌々と照らしている。鼻を抜けるのは、爽やかなミントの香りや刺激の強いクセのある芳香、苦々しい鼻につくものからほんのりと甘い匂いなどさまざまで、四角い箱を満たすそれらを肺いっぱいにわたしは静かに瞼を下ろす。胸に湧くのはほんの少しの感傷と、糸がゆるむような安心感。白を彩る多様な薬草に充たされた、籠る匂いのような思い出ばかりのこの部屋が、わたしはたぶん嫌いじゃなかった。

「どう?気に入った?」

白と黒の機械が言う。ええ、とっても。わたしは振り返らずに言った。水を浴びたばかりの薬草が艶のある雫をしたらせながら、ゆらゆらと嬉しそうに揺れている。

「気に入って貰えたのならボクとしても頑張って準備した甲斐があるってもんだよ!まあ、結局は無駄になるかもしれないけどね。せいぜいあと二日、じっくりたっぷり思い残すことなく堪能するといいよ」

一体なにが可笑しいのか、彼は傷ひとつない光沢のあるボディをしならせてうぷぷぷぷと不気味で耳障りな音で笑った。そう、傷ひとつない光沢のあるボディで。

「そうなったら、可哀想ですね」

わたしは、まったく感慨のない口調で言った。可哀想、とはこの太陽光も入らない窮屈な部屋に押し込められた葉っぱたちの事であり、強制的に連れてこられた上に余命期限を付けられたわたしたちのことであり、そして、この広大な舞台が二日後にはただのちっぽけな建造物になる運営側の無駄な労力に対してのことであった。うっすらと笑みを象ったわたしに「まったくもう!みょうじさんはちっとも張り合いがないんだから!」彼はぷりぷりと憤慨したようにお尻を揺らす。

「これが茶葉さんだったらひぇぇって驚くところだし、赤松さんだったらそうはさせない!とかなんとか強がってるところだよ!あっ、王馬くんだったらそれもつまんなくないって笑うかもね。それとも帰りたいって泣き喚くかな?」
「さあ?それこそどうでもいいですね」

カクリと首を傾げたモノクマにわたしはライトの向きを調節しながらおざなりに言った。どうせわたしのことなんて、この機械はまったく微塵も興味がないくせにそれでもわざわざあざけに来るのだから彼の考えていることはつくづくわからない。

「もう冷たいなあ!そんなんだから友達ひとり、マトモにできないんだよ!こんな雑草しかない狭い部屋にうだうだうじうじ引き籠ってないで、高校生らしく青い春を満喫しろよ!それでサクッとひとおもいに殺ちゃえよ!それでも黒幕かァ!」

わたしは漸く彼をみた。鋭い爪を突き上げて、シャーシャーと威嚇する様は襲いかかるクマというより毛を逆立てるネコである。黒幕。やけにあっさりと飛び出た不穏な単語にわたしはつい含むように笑った。

「やだなあ、人聞きの悪いこと言わないでください」

心外だと、あからさまに肩を竦めてみせたわたしに「⋯アレ?」モノクマが途端に表情を引っ込めた。怒りどころか感情すらもごっそりと抜け落ちたその様は、まるで電池の切れたぬいぐるみか、あるいは精巧な置物か──。
恐怖からか、無意識に脚が擦るように下がった。真顔で見据える彼に、必死に笑みだけは象りながらもじわじわと恐怖が拡がっていく。

───「わ、たしが、黒幕、なんですよね⋯?いえ、ちゃんと記憶はあるんです。でも、おかしいんですよ⋯。だって、計画を企てた過程も、貴方の操作方法もわたしは知らないんですよ?なのに、彼等を攫った光景だけは鮮明に覚えているんです。組織⋯そうですか、わたしの記憶も改竄されているんですね⋯。でも、じゃあ、黒幕のわたしなら、このコロシアイを終わらすこともできるんじゃ⋯?」───

わたしは、彼らにとってとても扱いやすい人間だっただろう。臆病で泣き虫で、ろくに意見も言えない弱虫で──。
黒々とした、不気味でまるい無機質な瞳はなんの色もうつしてはいないのに、そんな根に染み付いた部分さえもまるごとぜんぶ掘り起こされてしまいそうだった。

「⋯アレレレレ?もしかして忘れちゃった?それとも、ショックで頭のネジが外れちゃった?ここはどこ?私はだれ?──⋯しょうがないなぁ!もういちどおさらいしてあげるよ。聴いて驚け!!」

生気の戻ったモノクマはじっくりたっぷりと間を置いて、それから不気味でイビツな笑みを湛えてわたしを見上げた。

「──キミはみょうじなまえさん。超高校級の彼らを攫った、張本人だよ」

それはまるで風で木の葉が揺れるような、しっとりとした穏やかな声色だった。赤い稲妻型の瞳だけは妖しく光らせて、そのくせ怒鳴ることも嘲ることも張り上げることもなく、それがさも真実かのような口振りにわたしはぞっとした寒気を覚えた。「⋯もちろん、ちゃんと覚えてますよ」にっこりと、できるだけ柔らかく笑いながら、わたしは漸くモノクマが訪れた意図を理解する。

「あ〜ビックリした!もう、みょうじさんもわかってるならちゃんと言ってくれないと!さすがに、二度目となると白けちゃうからね。そんなの徹夜して進めたゲームのセーブデータがぜんぶぶっ飛んじゃうくらいの絶望だよ。黒幕のいないコロシアイなんて、平和な世界でだらだら無駄にパトロールするだけの戦隊モノのアニメくらい、ネコ型ロボットのいないのび太くらい需要ないんだからさ!そんないい加減な気持ちで黒幕やって貰っちゃあボクだって困るんだよね!」

ぷりぷりと、まるみのある艶やかな腰に手を当てて、まるで上司のようにふんぞり返るモノクマにわたしは気をつけますね、とおおらかに言い添える。二度目、とは。一体、なにを指しているのかはわからないが、これだけはしっかりと理解できた。モノクマは、わたしの記憶を疑っていたのだ。それは、たぶんきっと、わたしが百田くんを庇ったあの時から。

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