魔法→fa トリップ
君が知識を望むなら、誰もが尊ぶ魔女になる。君に野望があるならば、必ず欲を手に入れる。君が忠実を選ぶなら、光が消えることはない。君が恐れを知らぬなら、キミは偉大な魔女になる。─────
バチンッ。弾かれたような掌の痺れと、そして思考が引き戻される感覚。地面に描かれた、まるで子供の落書きのようなまるい円の中央に鎮座しているぽっきりとへし折れた鍬を見下ろして、なまえはあぁ⋯と嘆息をついた。
「どうだ?直せそうかい、なまえちゃん」
「あははは⋯。ごめんなさい、また失敗したみたい」
しょんぼりと肩を落とすなまえに、人の良さそうな朗らかな笑み、というよりはカラッとした豪快な声を立ててマークは笑った。「おいおい、いいんだ。こっちこそ無理にお願いして悪かったな」ぽんぽんと、頭を撫でるその掌はがっしりとして分厚く、そしてすこし荒っぽい。なまえは、巨大な友人を思わせるこの手が好きだった。
「まあ、あんまり無茶はするなよ」
「それはこっちの台詞⋯って、ああ!これは?!」
「やるよ。ぜひ、練習用にでもしてくれ」
最後になまえの頭を乱暴に揺さぶって颯爽と立ち去ったマークに、張り上げた声をむんぐりと抑え込んでなまえはぽつんと取り残された鍬をむっつりと見下げた。真ん中からくの字に折れた鍬は、うんともすんとも言わずにそのままの状態で処遇を待っている。
なまえは苦い面持ちで地面に描いたまるい線をぐりぐりと指で揉み消した。どうにもこの世界の魔法───錬金術というものは、すこぶるなまえと相性が悪いらしい。物質の理解、分解、再構築。それらの理論をおおよそ一年の時間を掛けて積み上げ、独学ではあるが理解を深めてきたつもりであってもやはり、そう簡単にはいかないようだ。これが鍋でぐつぐつ煮込むだけなら得意分野であったというのに。
「まあ、嘆いてたってしょうがないわ」
砂のついた指先をパンパンと軽く払って、なまえはすくりと立ち上がった。そろそろ夕飯の手伝いをしなければならないし、薬草だって放置したままだし、借りてきた本の返却期限だって迫っている。───やることはまだ、山のようにあるのだ。
「エリッサさん。洗い終わった野菜、ここに置いときますね」
「ありがとう、助かるわ。あとは任せて、ゆっくりしてて」
「そういうわけには⋯!じゃあ、お皿並べておきます!」
タンタンと規則的なまな板を叩く音と、けして広くはない室内に充満する香辛料の匂い。おそらく今夜はスープカレーだろうと、覚えたばかりの味に軽く鼻歌を口ずさみながらなまえは手際よくテーブルにお皿を並べていく。
この一年、なまえにとって怒涛のような日々だった。ろくに掃除もできず、洗濯もできず、料理を手伝おうにも台所にさえ立たせて貰えない───芋虫を角切りにする容量で包丁を振り落とすので悲鳴をあげたエリッサに取り上げられてしまった───が、それでも魔法に頼りきっていたなまえにすれば充分な進歩であった。いまでは、舌の痺れる感覚に驚いて飛び上がるようなことも無いし、あちらの世界と比べるとずいぶん薄味ではあったが物足りないということはなく、むしろ毎回ぺろりと平らげてしまうくらいにはエリッサの手料理を気に入っていた。慣れた、といえばそうなんだろう。そう感じてしまうほどの歳月を、なまえはエリッサの元でお世話になっている。
「あ、そうそう、なまえちゃん」
「ふぁい?」
エリッサの呼び掛けに、なまえは浸したパンを口腔に含んだまま顔を上げた。もごもごと咀嚼したまま小首を傾げたなまえに「ああ、ごめんなさいね。食べ終えてからで大丈夫よ」そう朗らかに微笑んだエリッサになまえは急いで塊を喉の奥へと落とし込む。「どうしたんですか?」いつもの世間話にしては、どこか改まった口調だった。にこにこと機嫌のよさそうな表情をみる限り、悪い話ではないのだろうが。
「ふふ、ゆっくりで良かったのに」
そう言外に謝罪を込めて、エリッサは懐かしむように瞳を細めた。
「丘の上の、ロックベルさん──ええっと、機械鎧技師のお家はなまえちゃんも知ってるわね?」
「──はい」
それがどうしたのだろう、そう思いながらもなまえは神妙に頷いた。この長閑で、平穏で、見晴らしのいい牧歌的な小さな村で、その名前はなまえの耳にいやでも届いた。元々、シャルの娘がプロポーズされただの首都で働いていたポールが帰ってきただの、どんな些細な噂でも風に飛ばされてあっという間に広がるくらいのちいさな村だ。余所者のなまえをなんの詮索もなく疑心もなく、なまえのほうがちょっと心配になるくらい容易に受け入れる村人にとってはどんな噂も生活の潤いとなる。そのなかでも、ピナコ・ロックベルの噂はよく囁かれていた。凄腕の、軍も御用達の──もちろん、根も葉もない噂もあるのだろうが、生活の軸を牧羊で立てている村人にとって機械鎧技師という職業はそれこそ自慢に値するものなんだろう。機械鎧というのがどういった物かは知らずとも、「オートメイル」と聞いただけでピンとくるぐらいにはなまえも耳にタコである。
「そう、それでね。ロックベルさんの所に、エルリック兄弟が帰ってきているみたいなんだけど──なまえちゃん、会ってみる?」
エルリック兄弟、とは。かくりと首を傾げたなまえにエリッサは柔らかく、けれどどこか切なげに微笑んだ。
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「おーい、なまえちゃん!こんな朝っぱらからどこ行くんだー?!」
「ロックベルさんのところ!エリッサさんのお使いなの!」
「あ〜⋯ピナコ婆さんのとこか。そういやあ、エドとアルが帰ってきてたな。気を付けて行ってこいよー!」
「ええ、ありがとう!」
囲いの向こう側で大きく手を振るマークにお礼を告げて、なまえはタンッと軽快な足取りで緩い斜面を上っていく。小さい村といっても、ホグワーツ二個分の面積くらいはあるだろうか。場所によっては歩いていくにも日が暮れるなんてことは珍しくなく、箒があればこの広大な平原を見下ろしながら楽に辿り着けるだろうにとこんな時ばかりは憎たらしい棒っ切れがすこし恋しくもあった。
幸いにも、ロックベルの家はエリッサの家からそう遠くない場所に位置している。なんでも昔はよくお世話になっていたそうで、「ピナコさんによろしくね」そう言って託された瑞々しい色とりどりの野菜がたっぷりと積まれた籠をなまえは軽く胸に抱え直した。
結局、昨晩、エリッサはそれ以上を語らなかった。会ってみたらわかるわ、とまるで聖母のような微笑みに疑問を抱きながらなまえも、それ以上、踏み込むことをしなかった。エリッサは唯一、なまえの理解者である。けして全てを語った訳では無いが、途方に暮れていたなまえを保護し衣食住を与えてくれた優しい人だ。右も左もわからないなまえに、知識を与えてくれた人。そんなエリッサがわざわざ会ってみる?と聞くのだから、彼らはなまえにとってきっと利になる存在に違いない。それくらいなまえはエリッサを信頼していた。
軽快に、されど慎重に歩くこと30分。ようやく見えた「オートメイル」の看板に、なまえは駆け出したい気持ちをぐっと堪えた。距離が縮まるにつれて、草の香りと肥料や羊の土っぽい匂いに混じって貴金属が酸化したような独特の匂いが強くなる。玄関に着けば、それはより鮮明となった。機械鎧。一体、どういうものなんだろう。疼く好奇心を深呼吸で収め、なまえはゆっくりと呼び鈴に指を添え──「あのー⋯」ようとして、ピタリと静止した。
「え?」
いま、確かに声が聴こえた。まるで壁一枚隔てたような、くぐもった声ではあったがはっきりと理解できる言語を喋っていた。それなのになぜか、人っ子ひとり見当たらない。
「此処だよ、ここ」
きょろきょろと辺りを見渡していたなまえに再度掛けられた、笑いを含んだような楽しげな音。いや、きっと笑っていたに違いない。笑うなんてひどいじゃない!そうむっつりとした表情のまま声の出処を見下ろして、そして、なまえは口を間抜けに開いた。
「ごめんね、いま作業しているからできれば集中させてあげたいんだ。僕でよければ、要件聞くよ」
鉄だ──鉄の塊が喋ってる───!あんぐりと惚けるなまえの反応などちっとも気にもしていないのか、彼はすらすらと言葉を紡ぐ。鎧を、纏っているのだろうか。それにしても、まるで捨てられた猫のように木箱に入っている彼に片腕はなく、よくよく見れば腕どころか足も胴も右半身がまるっと無い。その分厚い鎧の下に生身があるというには些か、いやかなり苦しい言い分だろう。「あの〜⋯聞いてる?」なまえの瞳がキラリと光った。
「貴方⋯!貴方って⋯──魔法使いね?!」
「えっ───」
なまえが身を乗り出したと同時に、バンッ!と勢いよく扉が開いた。あっ、と思ったのは鉄の塊──アルだった。「兄さん!!!」乱暴に開け放たれた扉から現れた兄の姿に、アルが噛み付く。一方で、なまえはひどく混乱していた。じんじんと痛む鼻先と、背中に感じる湿っぽ草の感触。視界に映る澄み渡るような青空が、なぜかチカチカと点滅している。
「あぁ"??」
突然、怒鳴りつけてきた弟に兄──エドは思いっきり顔を顰めた。朝の挨拶どころかなんで朝っぱらから怒鳴りつけられなきゃなんねーんだ。むしゃくしゃした気分を露骨に、全面に押し出したまま慣れない義足の足で玄関を潜り、草を踏み締め、そうして視界に拡がった光景にエドは「げっ」とちいさく零した。──見知らぬ女が大の字で寝転がっている。
「ああああ〜⋯!ちょっと、君、大丈夫?!」
「なんでこんなところで寝てんだよ⋯」
「兄さんのせいだよ!!!」
「俺?!」
ああ、そっか。吹っ飛ばされたのか。ぱちぱちと瞬いて、なまえはのそりと身を起こした。その間にも「兄さんが確認もしないで開けるからだよ!!」「ンなもんいちいち確認するか!!」あわあわとしたふたりの焦燥はなまえにしっかりと聞こえている。
「あ〜⋯ごめんね、こんなのぜんぜんへっちゃら───あ。」
「「血ィィィィィィ!!!」」
たらりと鼻腔から垂れた生暖かい液体が、ぽたりと服に赤い染みをつくる。なまえの鼻から垂れる赤い筋を見て、兄弟が揃って引き攣ったような悲鳴をあげた。その姿になまえはぱちりと瞬く。
「わぁお、息ぴったり!」
「言ってる場合かァ!!!」
「と、とりあえず止血⋯!!血、止めなきゃ⋯!」
「大丈夫、大したことないもの。そのうち止まるわ」
ぐいっと些か乱雑に、袖で鼻血を拭ったなまえに兄弟はピタリと口を縫い合わせた。白磁のような白い頬にまでべったりと伸びた赤い筋がなんとも痛々しい。うっと喉を窄めたエドをなまえがかくりと見上げる。
「とりあえず⋯一緒に拾うの手伝ってくれる?」
本当に大したことで無いと、そう屈託なく笑うなまえにエドワードはやり切れないような微妙な表情で頬を搔くと「⋯おう。」それからぎこちない手つきで真っ赤なトマトを拾い上げたのだった。