ダイアゴン横丁 3/4
ハリーとシンシアが乗ると、トロッコは猛スピードで洞窟を走り出した。右に左にまた右に──迷路のように入り組んだ洞窟に、身体が左右に振られてハリーはシンシアと肩や額をぶつけ合っていたが、一瞬で駆け抜ける景色に夢中ですこしも気にならなかった。「ねぇ!今のドラゴンじゃなかった?!」
「目が開けられない!」
ハリーがトロッコの音にも負けないように声を張り上げれば、シンシアがトロッコにしがみつきながら短く叫んだ。脇の通路から赤い火が吹きだしたような気がしたが、急いで首を捻った時にはとっくに通り過ぎてしまっていた。
ハリーは冷たい風が目に滲みるのも構わず、ずっと目を凝らしていた。シンシアと違って、眼鏡を掛けている分、風圧は軽減されていた。トロッコはどんどん深く潜っているようだった。地下瑚の傍を通った時、それまで代わり映えのなかった天井と床から巨大な鍾乳石と石筍がせり出していて、そこでハリーは久しぶりに瞼を瞬いた。
「鍾乳石と石筍ってどう違うの?」
「三文字と二文字の違いだろ。頼む、今はなんにも聞いてくれるな。吐きそうだ」
ハグリッドの顔は真っ青だった。シンシアに目を落とせば、髪の毛を垂直に靡かせたシンシアが薄らと瞼をこじ開けてハリーを見ていた。
「ハリー、貴方ってばずっと楽しそうね」
「あー⋯ごめん、うるさかった?」
「違うわ。こっちまで楽しくなるなって」
ニッと口角を持ち上げたシンシアは、それだけ言うと正面に顔を戻した。ハリーは口許を緩めたシンシアの横顔に途端にむず痒さを感じて、こっそりとお尻の位置を動かした。
暫くして、ひとつの小さな扉の前で緩やかにトロッコが停車した。跳ねるようにトロッコから飛び出したシンシアに続いて戸惑いながらハリーも這い出でた。呆然と立ち尽くすハリーの横を通り過ぎて、グリップフックが扉に鍵を差し込んだ。
「みーんなおまえさんのだ」
「わぁ!」
もくもくと扉の隙間から漏れ出た緑色の煙が晴れたと同時に、シンシアが感嘆の声を上げた。いつの間にか壁に寄りかかっていたハグリッドの声も耳を通らないくらい、ハリーは驚愕に息を止めていた。
「これ、全部⋯?」
金庫の中には金貨と銀貨、そして銅貨までもがハグリッドの長身を軽々と超えて天井に届きそうな程、高々と積まれていた。天辺から溢れ落ちた金貨がジャラジャラと硬貨の床に落ちていくのをあんぐりと目で追い、はくはくと口で必死に酸素を取り込みながらもハリーは信じられない気持ちでいっぱいだった。
「貴方ってお金持ちだったのね!」
「あ⋯いや、でも僕じゃなくて⋯」
「ほれ、はやく詰むぞ。まだシンシアの金庫も行かにゃならんからな」
渋い顔をしたハグリッドの言葉に、シンシアの肩がピンと跳ねた。「ああ!そうね、そうだった!」たった今思い出したとばかりに何度も頷いたシンシアはずんずんと硬貨の前に進み、しゃがみ込むと金貨を細い指先で摘み上げ目前で掲げてみせた。
「ハグリッドが倒れないうちに、ちゃんと地上に戻らないとね」
ニッと歯をみせて笑ったシンシアにハグリッドが肩を竦めてちいさく唸った。それがハリーには全くだ、と言っているように聴こえた。
ハリーに魔法界の通貨を教えながら3人で手早く硬貨を詰め込んだ後、シンシアの金庫に向かう為、再度乗り込んだトロッコはまた猛スピードで深い洞窟を走り出した。顔を蒼白に染めたハグリッドは話す余裕もないのか、唇を真一文字に結び黙りを決め込んでいた。
数分して、トロッコは直ぐに停車した。小さな扉の前で停車したトロッコからグリップフックが一番に降り立った。今度はシンシアはトロッコに足裏をへばり付けたまま、一向に動こうとはしなかった。降りようとしていたハリーの腕を掴み、扉を睨めつけるようにじっと見詰めていた。
「金庫を開けるのっていつぶり?」
「5年と1ヶ月と14日ぶりです」
「ああ⋯もうそんなに経つのね⋯」
「どうかしたの?」
扉の横で背筋を伸ばし、ハキハキと応えたグリップフックに反して、シンシアは深く項垂れた。考え込むように視線を落としたシンシアに、ハリーが首を傾げればシンシアの瞳がすっと向けられた。
「ううん、なんでもないわ。けど、ハリーもハグリッドもトロッコから絶対に降りてきちゃ駄目よ」
まるで今から獰猛な猛獣と対峙するかのような、真剣な表情だった。ダーズリ一家と行った動物園の蛇を思い出して、ハリーはゴクリと生唾を飲み込んだ。一歩、トロッコから降りて踏み出したシンシアは胸を手で押えて呼吸を整えると、扉を鋭く睨みながらふっくらとした唇を動かした。
「いいわ。開けて」
シンシアの合図でグリップフックが扉を開けた。ハリーの金庫と同様、緑色の煙が立ち上る。瞬間、バンッと勢いよく内側から扉が開かれた。
アッ、と思った時には遅かった。突如開かれた扉にグリップフックが俊敏な動きで後退した。ジャラジャラとけたたましい音を鳴らして、土砂崩れのように雪崩込む金、銀、銅にハリーもハグリッドも声を上げる余裕さえ無かった。
悲鳴ごと飲み込まれたシンシアのちいさな身体があっという間に埋もれ、消える。ハリーとハグリッドは線路まで及ぶその量に、揃って目を見張るしかなかった。
チャリン、と最後のひとつが硬貨の床に落ちた名残惜しげなその音にハリーはハッと身体を揺らした。
「ッ⋯シンシア!」
「こりゃいかん!」
トロッコにから飛び出したハリーを追って、ハグリッドも慌てて飛び降りた。キラキラと煌めく硬貨を荒々しく踏み付け、シンシアが居たであろう場所の硬貨の山を飛び散るのも構わず掻き分ける。直ぐにシンシアは見つかった。硬貨から突き出た細く白い腕をハグリッドが掴み、引き上げた。「あー⋯大丈夫?」「し、死ぬかと思った⋯」口腔に入った金貨を吐き出しながら言ったシンシアに、ハリーとハグリッドは思わず引き攣った顔を見交わせた。
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