ダイアゴン横丁 4/4
「もうッ!半分をお父さんの金庫に戻して!」ぶんぶんと頭を左右に振りながら、シンシアは高らかに声を張り上げた。「痛いっ!」髪に絡みついていた硬貨が勢いよく飛び散り、ハリーの額にベチンッと当たった。じっとりと責めるような視線を送るが、それでも両目の吊り上がったシンシアの表情にそれ以上は口を噛んだ。
「申し訳ございませんが、お父様の金庫はいっぱいでございます」
「じゃあお母さんの金庫に!」
「お母様の金庫も同様でございます」
やんわりと首を振るグリップフックに、シンシアは額を抑えた。ぐらりと足元が覚束無い感覚は、踏んづけている硬貨のせいだけではない。一人娘よりもトカゲの尻尾を切り刻むのを優先させる父と、ろくに家にも帰ってこない母にわしゃわしゃと髪を掻き乱してシンシアは大きく息を吸い込んだ。
「〜ッここにある半分を聖マンゴ魔法疾患傷害病院に寄付して!」
「承知致しました」
甲斐甲斐しくお辞儀をして、グリップフックがパチンッとひとつ細長い指を鳴らした。途端、線路にまで敷き詰められていた硬貨の絨毯も、パッとしゃぼん玉が弾けるように跡形もなく消え去った。それでも金庫の中にはまだ、溢れそうな硬貨の山々がぎゅうぎゅうに詰められている。漸く安定した地面に、ほっと息を吐いたシンシアはゆっくりと扉の前に歩み寄った。
ぱちぱちとハリーが瞬きをしている間に、しゃがみ込んだシンシアは鷲掴んだ硬貨を手当り次第にポシェットに詰め込んだ。ガリオンもシックルもクヌートも一緒くたに、放り込むようにせっせと詰め込んでいく。
ハリーがシンシアの背後に近づいた時には、シンシアはポシェットをパチンと閉めていた。満足そうにちっとも膨らみのないポシェットを無でるシンシアに、ハリーはがっつりと削られた硬貨の山と小さなポシェットを思わず何度も見比べた。「ああ、これ?」ハリーの視線に気づいたシンシアが、ニッと口角を持ち上げた。
「魔法がかけられているの。いくらでも入るし、重さも感じないのよ」
「へぇー、凄いね」
「貰い物だけどね。内緒よ」
そう言って、シンシアは人差し指を唇に添えた。本来、学校で使用するトランクや特別な行事で使う物以外にこういう魔法の私用は原則、禁止されているのだ。ハリーは肩からぶら下がっている小さなポシェットをまじまじと見詰めた。この掌よりも少し大きいくらいの鞄に、硬貨がぎっしり詰まっているとは到底信じられなかった。
翡翠の瞳がゆらゆらと松明の火を灯して、一層つよく輝きを放っていた。まるで夜の静寂に満ちる森の中で見るような満天の星空に、胸の内が微睡むような、ほっこりとした暖かさをシンシアは感じていた。これから自分も嫌というほど魔法を使うのに。そう思うと、途端に笑いが込み上げ、くすくすと笑いだしたシンシアの背後でゆっくりと金庫の扉が閉じられていく。「貴方もすぐ使えるようになるわ」突然笑いだしたシンシアにハリーが疑問を覚えるよりはやく、シンシアはそう口にした。
・
・
・
予定より少し遅れて、トロッコは七一三番の金庫に辿り着いた。トロッコに乗る前に、ハグリッドが「もうちーっとゆっくり行けんか?」と打診していたがグリップフックは「速度は一定となっております」と表情をピクリとも動かさずに跳ね除けたが、心做しかスピードは増しているように感じられた。ビュンビュンと地下渓谷の上を走り抜け、停車した時にはハグリッドの顔色は暗闇でもわかるほど白く染まっていた。「大丈夫?」ぐったりとしたハグリッドの背中を優しく摩り、そっと声をかけるシンシアを尻目にグリップフックは鍵穴のない扉に近づいた。
「下がってください」
興味深々で後を追ったハリーにそう一声掛けて、グリップフックは細長い指の腹で扉を撫でた。すると、扉が溶けるように消え去った。あっと驚くハリーにグリップフックがニヤリと歯をみせて笑った。
「グリンゴッツの小鬼以外の者がこれをやりますと、扉に吸い込まれて中に閉じ込められてしまいます」
「中に誰か閉じ込められていないか確認したりするの?」
「十年に一度ぐらいでございます」
そう言ったグリップフックにゾッとするのと同時に、ハリーは少しだけ高揚した。地下の奥深くにある、これだけ厳重な金庫だ。きっとそれだけ貴重で高価な物が眠っているに違いない。ハグリッドの言った極秘の任務も相俟って、わくわくとした期待で身を乗り出したハリーが見付けたのは、床に転がった茶色の包みだった。
「ようし、これで用は済んだな」
シンシアに沿われてやって来たハグリッドがハリーの後ろから薄汚れた小包を拾い、無造作にコートの奥にしまい込んだ。じっとコートの奥を見詰めるハリーの視線を振り払うように踵を返すと、ハグリッドは率先してトロッコに乗り込んだ。
「帰り道は話しかけんでくれよ。俺は口を閉じてるのが一番良さそうだからな」
どっしりとトロッコに腰を落ち着かせ、真一文字に口を結んだハグリッドに、徐にハリーはシンシアに視線を向けた。けれど、視線の合ったシンシアは力無く首を振ると、聞いても無駄だわとでも言うように肩を竦めてみせただけだった。
← │ →