ダイアゴン横丁 2/4
ゴホンッ!低い咳払いに振り向けば、近くに居た「あー···一先ず、中に入ろう。話は歩きながらいくらでもできる。ほれ、行くんだ」
ぐいくいと背中を押され、つんのめりながらハリーがブロンズの扉を潜り抜けた。ハリーの手を握ったままだったシンシアも半ば引き摺られるように後につづく。ブロンズの扉の先には銀色の扉があった。扉を潜る直前、小鬼が腰を90度に折り曲げてしっかりと頭を下げるのを目の端で捉えた。
ハリーはシンシアと手を繋いでいることをすっかり忘れているようだった。不意にハリーが立ち止まったので、骨の浮きでた肩に顎をぶつけたシンシアの口から「うぐっ」とくぐもった呻きが洩れた。ガチンッと歯が鳴ったのも聴こえていた筈だし、よろりと反動で体制を崩したのにハリーは全く反応しなかった。
顎を撫で摩りながらハリーの顔を覗き込めば、ぽかんと口を開けて呆然としていた。エメラルド色の瞳が、あっちこっちに配属している小鬼を追ってきょろきょろと忙しなく動いている。カウンターの向こう側で宝石を吟味していたり、真鍮の秤でコインの重さを測ったり、金庫までの案内をしていたりと、グリンゴッツの経営は百を超える小鬼で行っているのだが、その物珍しげな表情にシンシアはくすくすと控えめな笑いをこぼした。広々とした大理石のホールを首を捻って見渡す様子は、おもちゃ売り場に来た子供みたいだった。
「彼等は銀の加工に長けているのよ。それにとっても賢いの」
ずんずんとカウンターに向かうハグリッドの背中を追いながら、シンシアは声を潜めて言った。耳のすぐ側で聴こえた涼やかな声に、ハリーは飛び上がるほど驚いた。ぐりんとシンシアに向けたエメラルドグリーンをぱちぱちと瞬かせるハリーにシンシアは一層笑みを深めた。
「金庫までの道のりもきっと驚くわ」悪戯っぽく笑って、シンシアはぐんっとハリーの手を引いた。そこでハリーは漸くシンシアと手を繋いだままだったことに気がついた。今度こそハリーは声を上げそうになった。いままで見知らぬ人に握手を求められる事はあっても手を繋いだ記憶は無かったし、それどころか、家でも学校でも酷い扱いを受けていて、ダドリー軍団から逃げるのに奮闘していたハリーは同級生とマトモな会話をしたこともなければ女子の耐性もなかった。それも、童話から出てきた様なとても可愛い女の子だなんて。
ハリーは急に手汗が気になったし、むず痒さに奇声を発しそうになった。それなのにシンシアはすこしも気にしていないようだった。
「ハリー・ポッターさんの金庫からお金を取りにきたんだが」カウンター越しに小鬼に話しかけたハグリッドの隣に立つとそこでシンシアはハリーの手を離した。ハリーは突然涼しくなった手をそうっと背中に隠した。離してもらうタイミングを伺ってはいたが、あっさり解放されて拍子抜けした気もしたし名残惜しいような感情でもやもやしているのを気取られたくなかった。シンシアはゴソゴソと肩に提げたポシェットを漁って金色の鍵を取り出した。
「あと、シンシア・スノウベルの金庫もお願い」
そう言って、うんと腕を伸ばして爪先立ちでカウンターの上に鍵を置いた。シンシアの身長よりも高い位置にあるカウンターのせいで小鬼の顔も見えなかったが「承知しました」降ってきた声に踵を下ろした。ハグリッドはハリーの鍵を探して、カウンターにポケットの中身を出し始めた。シンシアはすぐにカウンターから離れた。帳簿の上に粉々のビスケットの屑や砂がバラバラと散らばって、小鬼の鼻に皺が寄った。
「あった」やっと出てきた小さな鍵を摘み上げて、ハグリッドは小鬼に差し出した。慎重に検分して小鬼はひとつ頷いた。
「それと、ダンブルドア教授から手紙を預かってきとる。七一三番金庫にある、例のものについてだが」
ハグリッドが声量を落として言った。まるで危険な取引をするような物々しい言い方にシンシアとハリーは顔を見交わせた。
「七一三番金庫にある例のものって、なに?」
「極秘じゃ。ホグワーツの仕事でな。ダンブルドアは俺を信頼してくださる。お前さんに喋ったりしたら、俺がクビになるだけではすまんよ」
ハリーの質問に、ハグリッドは得意げに答えた。自分に課された重大な任務が嬉しくて、自慢したそうに口許をむずむずとさせていたがハリーとシンシアが執拗く追求してもきゅっと結んだ口を開くことなかった。
グリップフックという小鬼が金庫までの案内をしてくれるようだった。無数に並んでいる扉のひとつに入ると、松明が灯された石造りの通路が細く延びていた。急な傾斜がずっと奥まで続いていて、床には小さな線路がついている。いつかにテレビで見た探検家の番組を思い出してハリーはワクワクしたし、ハグリッドは顔色を真っ青に染めて今にも吐きそうに背中を丸めていた。「手を繋いであげようか?」からからと笑って言ったシンシアの冗談にハグリッドは渋い顔を向けただけだった。
グリップフックが口笛を吹けば、使い古された小さなトロッコが軽快な音を鳴らして通路の奥から上ってきた。グリップフックと蒼白いハグリッドを乗せれば、小柄だとはいえハリーとシンシアが乗れる隙間はほとんど無かった。シンシアは数秒、逡巡して言った。
「私、戻ってくるのを待ってるわ」
「なら、僕も一緒に待つよ」
間髪入れずにハリーが言った。迷う素振りは一切なかった。グリップフックには手間になってしまうが、ハグリッド達が戻ってきてからひとりで行けばいいと考えていたシンシアはつい瞠目してしまう。
「あと一人は乗れるスペースがあるし、ハリーは行ってきたら?」
「それじゃあシンシアが先に行って。僕が待ってるから」
「別に、急いでないから大丈夫よ。私があなた達に勝手に着いてきたんだから気にしないで。それに、ハリー。貴方、ひとりで行っても魔法界の通過が分からないんじゃない?」
シンシアが尋ねれば、ハリーは「あー···うん」と小さな声で呟いて困ったように目を逸らした。先程のグリンゴッツを見渡すハリーの眼差しから、ハリーは非魔法族なのかもしれないとシンシアは思っていたが、あながち間違いでもないようだ。「いや、でも···」それでもハリーは首を縦には振らなかった。どうにか食い下がろうともごもごと口腔で言葉を探すハリーの強情な一面にシンシアは目をぱちくりと見開いた。ハリーはトロッコを一瞥して、それからシンシアにゆっくりと瞳を移した。
「もしかしたら、詰めたら二人とも乗れるかもしれない」
今度こそシンシアは驚愕にぽかんと口を開けた。松明の灯をうつしたエメラルドグリーンをシンシアはまじまじと見つめたが、冗談を言っている感じでは無かった。
「ほら、僕って⋯あー⋯痩せてるし⋯」
「⋯そうね、確かに貴方は痩せてるけど⋯」
「それに、シンシアだって、小柄だし⋯」
如何あっても譲らないハリーに、シンシアはまるでお腹の中を擽られているような感覚がしていた。次から次へと湧き水のように溢れる笑いを堪えきれず、次第に小刻みに肩が震えだす。くすくすと鈴を転がすような笑いは、遂には子供のような笑い声となって細い通路に響き渡った。
突然、お腹を抱えて笑いだしたシンシアにハリーは困惑した。そんなにおかしなことを言っただろうかと不安に駆られ、ひぃひぃと笑い続けるシンシアに徐々に唇が尖っていく。馬鹿にされているようで、不安と不満が大挙で押し寄せてくる気分だった。「僕、そんなに変なこと言った?」けれど、ハリーが口にする前に「そうね!わたし達だったら乗れるかも!」シンシアが下睫毛にたっぷりと溜まった涙を指先で拭いながら破顔したので、その一言は音にならなず、不安と不満も一瞬にして散々に霧散した。
「どうだってええから早く乗ってくれ!ここにおるだけで気が滅入りそうだ!」
ポカンとした表情のハリーと未だくすくすと笑い虫が擽っているシンシアにぐわんと脳ミソを直接揺さぶるようなハグリッドの怒声が落ちた。洞窟に反響する声量に、耳を抑えたハリーとシンシアは互いに視線を交わして笑い合うと、項垂れるハグリッドの後部に飛び乗った。
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