オリバンダーの杖 2/

それからフローリシュ・アンド・ブロッツ書店に着くまで、ハリーの質問が続いた。マグルの事、魔法界の事、ペットショップで目に付いた珍しい動物やみすぼらしい店頭にぶら下がっていた昆虫の亡骸に至るまで、ハリーは色々なことを尋ねた。ホグワーツの寮のことを尋ねた時には、シンシアは途端に目の色を変えてハッフルパフについて饒舌に語ったし、「あー⋯ハッフルパフは劣等生と言われておるが⋯まあ、そうだな。スリザリンよりは⋯ハッフルパフの方がずっとましだ」そう、シンシアの勢いに圧倒されて言ったハグリッドは、苦虫を噛み潰したような微妙な表情をしていた。

「シンシアのご両親はどんな人なの?」ハリーがシンシアの両親について尋ねた時、それまで滑らかに動いていたハグリッドの舌が途端に喉の奥へと引っ込んだ。円な瞳で探るようにシンシアを窺うハグリッドに、触れてはいけない話題だったのかもとハリーは軽率に尋ねたことを後悔した。けれど、口元を強ばらせたハリーに対し「ただの狂った魔法薬学者マッドサイエンティスト仕事中毒ワーカーホリックよ。重症のね」そう言ったシンシアの口調はあっけらかんとしたものだった。

「マッドサイエンティスト?」
「ええ。蛙の脳ミソとかマンドレイクとか…材料を大鍋で煎じて色々な薬を作っているの。それも、一日中ずーっと地下の部屋に閉じこもりっぱなしでね。おかげで腐った卵と焼いた虫の死骸が混じったような臭いが家中に充満しているわ」

1週間ぶりに会った、油でぎっとりとした前髪を額に張り付けていた父を思い浮かべ、シンシアは首を竦めた。食事も取らず、一日中大鍋と睨めっこしている父になにを言っても無駄なことはシンシアが一番分かっているし、諦めている。「あー⋯じゃあ、ワーカーホリックって?」上手いフォローが見つからず、ハリーは話題を変えるように尋ねた。

「そのままの意味よ。お母さん、聖マンゴ魔法疾患障害病院──魔法族の病院で働いているの。最後に会話したのは1ヶ月半くらい前かしら」

それも、──「ああ、ごめんなさいシンシア。また当分帰って来れそうにないわ」「そう。身体に気を付けて、ほどほどにね」──だ。たまに、日付が変わりきった頃に帰って来ているようだが、とっくにベッドに入っているシンシアは当然会えていない。起こしてくれてもいいのにと思っていても荷物を纏めるとさっさと出て行っているようで、呑気に娘と会話する余裕すらないようだった。

「どっちも、私に興味がないのよ」

そもそも、娘の年齢も把握していない両親だ。母に至っては家を経つ前に会えるかもわからない。そういえば、家族揃って食事を取ったのは何時だっただろうかと記憶を掘り起こしながらシンシアが言えば、ハリーとハグリッドは揃ったように顔を見交わせた。

「⋯そんなことはない⋯二人とも、シンシアのことを大事に思ってるはずだ⋯たぶん」

ハグリッドが自信なさそうに言った。もごもごとまごつく舌が、まだ言い足りないとばかりに動いていたがハグリッドはそれ以上言葉が出てこないようだった。「いいの、もう慣れたから」生暖かい風が、三人の髪を撫でた。僅かに沈んだ空気を吹き飛ばすように、シンシアはカラリと笑った。ちっとも気にした様子のないシンシアに、邪魔な置物のような扱いを受けるのとどっちがマシだろうかとハリーは暫くは真剣に考えていた。





ダイアゴン横丁の中程にあるフローリシュ・アンド・ブロッツ書店に入ってまず、ハリーは所狭しに並べられた棚と、その棚の上、天井すれすれまでぎっしりと積み上げられた本の量に驚かされた。敷石ぐらいに分厚い革製本や、読むのも困難そうな切手サイズの本など、パッと見ただけでも奇妙な本が幾つも陳列していた。息を呑むハリーを置いて、シンシアは慣れたように棚の間を縫って店の奥へと進んでいく。
ハリーは目新しさにあっちこっちに目を配らせながら店内を見て回った。試しに手近な本を手に取れば、日常生活が事細かに書かれた誰かの日記のような本だった。他にも、記号ばかりで解読できない本や、絵だけの本があったり、かと思えばなにも書かれていないまっさらな本もあった。
特にハリーの興味を引いたのは、深い藍色の表紙の本だった。表紙には「呪いのかけ方、解き方──友人をうっとりさせ、最新の復習方法で困らせよう。ハゲ、クラゲ脚、舌縺れ、その他あの手この手──」と書かれていた。熱心に読み耽るハリーをハグリッドが見付けてからも、ハリーはずっと本を手放さなかった。

「あんな本なんか読んでどうする」

やっとの事でハリーを店の外に連れ出し、ハグリッドが渋い顔をして言った。「どうやってダドリーに呪いをかけたらいいか調べてたんだよ」そうハリーが肩を落として言えば、ハグリッドが目元を僅かに和らげた。

「それが悪いっちゅうわけでは無いが、マグルの世界ではよっぽど特別な場合でないと魔法を使えんことになっておる。それにな、お前さんにはまだどれも無理だ。そのレベルになるにはたくさん勉強せんとな」

困ったように微笑むハグリッドに、ハリーの肩が更に落ちた。勉強してもダドリーに魔法を使えないのなら、魔法を覚える意味さえないとすら思えたのだ。それに、どうせ僕は劣等生のハッフルパフだ──そこで漸くハリーはシンシアの姿が見当たらないことに気付いた。顔を上げ、辺りを見渡してみても人目に付く容姿は目に入らない。シンシアは?そうハリーが聞く前に、店の奥から足早に、シンシアがほくほくとした表情で駆け込んできた。

「ごめん!お待たせ!」

そう、弾んだ声で言ったシンシアの胸には、ポシェットがしっかりと収まっていた。まるでペットを抱き抱えるように、大事そうに抱え持たれたポシェットに、ハリーの視線が吸い込まれた。「なにを買ったの?」ハリーが聞けば、途端にシンシアがキラリと瞳を光らせた。

「幻の動物とその生息地!⋯あと、ほかの教科書よ」

ハリーは、入学許可証と一緒に同封されていた教科書リストを思い浮かべた。ハリーの教科書は既に、ハグリッドの逞しい腕に下げられた鞄の中だ。「ニュート・スキャマンダーの本が教科書で使えるなんて、夢みたい⋯!」ハリーが一冊も思い出せない内に、シンシアが目元を蕩けさせながら言った。うっとりとした表情でポシェットを抱き締めるシンシアは、今にもステップを踏みそうなほど浮かれている様子だったし、ふらふらとどこかへ行きそうな危うさもあった。「ニュート・スキャマンダー?」咄嗟にハリーが聞けば、ぐりんとシンシアの瞳が向いた。妖しく光沢を放つその色に、何も考えずに口から出してしまった事をハリーははやくも後悔した。

「ニュートン・アルテミス・フィド・スキャマンダー!有名な魔法動物学者でその貢献を称えられて、マーリン勲章勲二等を与えられた凄い人よ!この本に書いてあることは彼が五大陸を旅して、実際に目の当たりにした生物達なの!それって、とても素敵なことだし、彼の知識と努力と動物たちの魅力が詰まった本当に素晴らしい書物なのよ!それに、それに、彼はハッフルパフ寮出身だわ!」

ぐんっと鼻先が触れ合いそうなほど近づいたシンシアに、ハリーの足がたたらを踏んだ。マシュマロみたいな頬も、髪の間からひょっこりとみえる耳殼もほっそりとした首筋すらも興奮に赤く染め、吸い込まれるような大きな瞳だけを磨り潰した星の砂を散りばめたように爛々と輝かせている。その、互いの息遣いをも感じるあまりの近さに、ハリーは瞬きさえ忘れていた。唯一拾えたのは、ハッフルパフという単語だけだった。
「あんまりハリーを困らせるでねえ」そう言ってハグリッドがシンシアの肩を掴み、後ろに引いた。よろりと足を縺れさせながら遠ざかったシンシアに、ハリーはやっと肺を膨らませた。たった今、呼吸の仕方を思い出したのだ。
シンシアはぱちくりと目を丸めていた。肩を上下にするハリーに、さっきまでの覇気がみるみると萎んでいく。

「ごめんなさい、そんなつもりじゃなかったの。ホントよ」
「あー⋯ちょっと、驚いただけだから」

ハリーはやっとのことでそう言った。脳みそを直接叩かれているのかと錯覚するくらい、バクバクと心臓が波打っていた。きっと、驚いたからだ。そうに違いない。そう思いながらも、ハリーはオリバンダーの店に着くまでシンシアの顔をまともに見ることができなかった。




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