オリバンダーの杖 3/
オリバンダーの店はダイアゴン横丁の数ある店の中でも貧相で狭くて埃っぽく、けれどふわりと舞い踊る埃の粒がシンシアには神聖な粒子ようにも映るほど、妙な清々しさが薄明かりに満ちていた。ちいさな店内には、古びた椅子が一脚と細長い箱が隙間もなく天井いっぱいに積み重ねられている。ギシッ、とハグリッドが椅子に腰掛けた音が閑散とした店内に広く響いた。「いらっしゃいませ」
じっくりと店内を見渡していたシンシアは、突然、湧いたように現れた満月のような双眼に飛び上がって驚いた。喉をのぼる悲鳴をパチンッと両手で蓋をしたシンシアの隣では、ハリーが声もなく絶叫している。後方からはバキバキッと椅子が軋む音が聴こえたが、シンシアに振り返るほどの余裕は無かった。「おお、そうじゃ。そうじゃとも、そうじゃとも」驚愕に狼狽する三人を置いて、現れた老人──オリバンダーが柔らかく頷いた。
「間もなくお目にかかれると思ってましたよ。ハリー・ポッターさん、シンシア・スノウベルさん」
色素の薄い銀色の瞳が、月明かりのように輝いている。シンシアの緩やかな髪の流れから、ぎょっと瞠目するラズライトの双眼、白い陶器の輪郭を視線でなぞったオリバンダーは、それからハリーへも同様に視線を移した。
「お母さんと同じ目をしていなさる。あの子がここに来て、最初の杖を買っていったのがほんの昨日のことのようじゃ。あの杖は二十六センチの長さ。柳の木でできていて、振りやすい、妖精の呪文にはぴったりの杖じゃった。お父さんの方はマボガニーの杖が気に入られてな。変身術には最高の、良くしなる杖じゃった」
そう言って、オリバンダーは鼻の先がくっつくほどハリーに近づいた。じっくりと見透すような眼差しにハリーがぎょっとしてたじろいだ。小さな窓から射し込む薄明かりが、オリバンダーの横顔に白い筋をつくっている。シンシアには銀色の瞳が揺らいだようにもみえた。しかし、シンシアが瞬きをした時にはまんまるい月がぽっかりと浮いているだけだった。
「それで、これが例の⋯」オリバンダーは長い指の腹でハリーの額に触れた。
「悲しいことに、この傷をつけたのも、わしの店で売った杖じゃ」
店内に染み渡るような、とても静かな声色だった。ぴしりと硬直したハリーに構わず、オリバンダーは丁寧な手つきで額を撫でている。「傷?」シンシアがオリバンダーの横から顔を覗かせると、ハリーはバッと前髪を押さえつけて跳ねるように飛び退いた。
「三十四センチもあってな。イチイの木でできた強力な杖じゃ。とても強いが、間違った者の手に⋯そう、もしあの杖が世の中にでて、何をするのかわしが知っておればのう⋯」
オリバンダーが唸るように言った。「ねぇ、傷って?」頭を振るオリバンダーを尻目に、シンシアはハリーに詰め寄った。押さえ付ける指の隙間からなんとか覗こうと目を懲らすシンシアに、ハリーがじりじりと後退していく。「そう⋯ヴォルデモートに付けられたのね?」シンシアが言った突如──ガタガタッバキンッ!天井が崩れたのかと思うほどの地響きが起こった。
けたたましい物音に視線を向けたシンシアはぱちくりと目を見開いた。ハグリッドが椅子から滑り落ちていたからだ。横倒しになった椅子の足が一本根元からぽっきりと折れていて、ころころとハグリッドの足元に転がっている。シンシアはアッと慌てて口元を覆った。瞳孔の開ききったハグリッドと頭を伏した姿勢のまま硬直するオリバンダーに、言ってはいけない名前を口にしたことに漸く気づいたのだ。
「ごめんなさい!今のは私が悪かったわ!だからそんなに睨まないで!」血の気が失せ、わなわなと震えるハグリッドの唇から怒号が飛ぶ前に、舞い上がった埃を吸い込みながらシンシアは声を張り上げた。
「えー⋯さて、それではポッターさん。拝見しましょうか。どちらが杖腕ですかな?」
「あ、僕、右利きです」
小さく咳払いをしたオリバンダーが気を取り直すように言った。ハリーの返答にひとつ頷くとポケットから銀色の目盛りの入った長い巻尺を取り出し、ハリーの肩から指先、手首から肘、肩から床、膝から脇の下、頭の周りと念入りに寸法を摂りはじめた。
「オリバンダーの杖は一本一本、強力な魔力を持った物を芯に使っております。
オリバンダーは話しながら棚の間を飛び回って、長細い箱を取り出していた。その間に、巻尺がひとりでにハリーの耳朶の長さや首の周囲、ついには鼻の穴の間を測っていた。ケラケラと笑うシンシアの声でやっと気づいたハリーは、真っ赤になりながら巻尺を振り払った。「もうよい」オリバンダーが言うと、巻尺はぽとりと床に落ちた。
「では、ポッターさん。これをお試しください。ぶなの木にドラゴンの琴線。二十三センチ、良質でしなりがよい。手に取って、振ってごらんなさい」
オリバンダーが艶のある木の棒をハリーに差し出した。緊張した面持ちで受け取ったハリーが、杖を少しだけ持ち上げた。しかし、振り下ろした瞬間にオリバンダーがハリーから杖をもぎ取ってしまった。
「楓に不死鳥の羽。十八センチ、振りごたえがある。どうぞ」
あっという間に取り去ったオリバンダーが、次の杖をハリーに手渡した。しかし、今度はハリーが振る前に奪い取っていった。黒檀の杖、松の杖、ナシの杖──渡し、受け取り、取り上げる。ぐるぐると繰り返される行為をシンシアは呆気に取られながら眺めていた。なかなかハリーに合う杖が見付からず、古い椅子の上にどんどんと箱が積み上げられていく。「いやいや、難しい客じゃな。いえ、心配なさるな。必ずピッタリ合うのをお探ししますでな」表情の曇るハリーに反して、オリバンダーの表情は実に嬉しそうだった。
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