園子の話では、包帯を巻いた人なんて知り合いにはいないようだった。もしかしたらこの辺りに住んでいる人なのかもと思うことにして、私たちに用意された部屋があるという二階にあがる。けれど、ずらりと廊下に並ぶ扉の数にどこが空いている部屋なのか分からなかった。 「もー、2階って言ったって部屋がいっぱいあるじゃない。どこなのよ私たちの部屋···」 そう文句を言いながら、とりあえず手近な扉を開けた。けれど中には人が居て、着替えの最中だったのか半裸の姿に叫ぶように謝罪を言って扉を閉める。そうして開けた次の部屋にも半裸の男性が居て、ようやく空室を見つけた時には森を歩くより疲れてしまっていた。 「あれ?なまえの部屋は?」 「俺の部屋は、たぶんこっち」 そう言って、私たちの隣の部屋を軽くノックして返事がないのを確認したなまえがガチャリとドアノブを捻る。ああ、そっか。ノックしたら良かったんだ。当たり前のことを失念していた自分に、羞恥がぶわりと駆け上がった。悟られないうちにそそくさと扉を潜ろうとして、なまえが「そういえば、」とコナンくんに視線を落とす。 「君は、どっちの部屋で寝んの?」 「え?コナンくんは私と同じ部屋でいいんじゃない?」 「それでいいなら、いいんだけど」 「コナンくんはどっちがいい?」 なんとも釈然としないなまえの言い方に、もしかしてコナンくんと寝たいのだろうかと首を傾げてコナンくんに問いかける。今朝方、はじめて挨拶を交わしたばかりのふたりだったからいくらコナンくんでも緊張するかもと思っていたのに「ボク、なまえ兄ちゃんと一緒がいいな!」あっさりと言ってのけたコナンくんにすこし拍子抜けしてしまった。 それから荷物を置いた私たちは園子に呼ばれて、1階のリビングに集まった。お菓子と飲み物が用意されたテーブルには園子と園子のお姉さんの綾子さんとその友人たちが座っていて、空いた席に座ると園子を筆頭とした軽い自己紹介がはじまった。綾子さんの友人と聞いてはいたが、どうやら映画研究会というサークルの仲間のようで2年ぶりに集まったらしい。 サークルでは主に主役をしていたという太田勝さんにカメラマンを担当していて現在は映画編集者の角谷弘樹さん、大道具をしていたというぽっちゃりとした体型の高橋良一さん。そして、メイクと衣装を担当していた園子のお姉さんの鈴木綾子さんと監督と脚本を勤めていた池田知佳子さん。ひとりひとり順番に紹介をしてくれる園子に習って私たちも自己紹介と挨拶を交わす。久しぶりに揃った顔ぶれに当時の記憶が蘇るようで、緩やかに弾んでいく会話と楽しそうな表情に彼等の仲の良さが垣間みえてほっこりとしながら紅茶を啜る。 「皆といると大学時代を思い出すわね。敦子も···敦子もあんな事がなきゃ、此処に来てたのにね」 敦子。綾子さんが口にしたその名前に、和やかに談笑していた全員の表情が一瞬にして凍りついた。「やめなさいよ敦子の話は!」バンッ!テーブルを叩く激しい音に、ビクリと肩が飛び跳ねる。突然、身を乗り出して声を荒らげた知佳子さんを茫然と見つめていれば、視線を集めているのに気づいたのかハッと我に返ると徐に腰を下ろして、気を鎮めるようにちいさく息を吐いた。 「せっかく忙しい中羽を伸ばしにここに来てるのよ。2年前に死んだ人のことなんか言わないでよ」 「ごめん、知佳子」 「ふんっ。さすが有名人の言うことは違うね」 「なによっ!」 「まあまあ、ふたりとも。今すぐに夕飯作っちゃうからそれまで皆は寛いでて」 ギスギスと、剣呑な知佳子さんと太田さんを割くように、綾子さんが穏やかに言った。「それじゃあ僕はやり掛けの屋根の修理やっちゃうよ」便乗するようにそう言った高橋さんが、ガタリと椅子を鳴らして席を立つ。それに続くように知佳子さんが散歩だと言ってリビングから出ていき、知佳子さんを追いかけて角谷さんまでもが走り去ってしまったので一気に人が居なくなったリビングに、やれやれというように園子が肩を竦めていた。 「あーあ。とうとう降ってきちゃった」 ぽつぽつと降りはじめた雨のせいもあって、外はすっかり薄暗くなっていた。次第に強くなる雨足に、これじゃあ紅葉もみれないなと残念に思う。「ねぇねぇ、蘭」ざあざあと降り続ける雨を、コナンくんと一緒に窓際で見つめていたらスススと音もなく園子が近寄ってきた。 「ちょっと彼、イイと思わない?」 そう言って、園子がくいっと親指を横に向けた。示された方向に顔を向ければ、すこし離れた窓際で同じように外を眺めている太田さんが煙草を口に咥えて佇んでいた。 「なーんかクールでかっこよくて、私、むちゃくちゃタイプ···!」 「そう?」 うっとりとする園子には悪いけれど、すこしもかっこいいとは思えなかった。たしかに、主役を張っていただけあって顔はいい方なのかもしれないけど、顔の作りだけでいえば身近に神様に丹念に作り込まれたんだろうなと思ってしまうほど整った容姿を持つ人がいるので、あまりパッとしないなというのが本音だった。それに、多少キザなところもあるけど格好良さとクールさでいえば新一も負けてないと思う。 「あーそかそか。蘭には新一くんがいるもんね」 「えっ?!」 「一緒に来られなくて残念ねぇ」 「だ、だれがあんなヤツ!ここに居たらぶっ飛ばしてやるわよ!」 私の考えていることなんて園子にはお見通しなんだろう。やけに暖かな眼差しで揶揄うように言ってきた園子に、うっすらとした頬の熱さを自覚しながら反論する。「ねぇキミ、」そうしてしばらく園子と言い合っていたら、唐突に掛けられた声に、園子と揃って振り向いた。 「よかったら俺と散歩でもしないか?」 声を掛けてきたのは、太田さんだった。長身を折るようにして見下ろしてくる太田さんに園子が爛々と瞳を輝かせて「喜んで···!」と言ったのは聴こえていたはずなのに、太田さんの視線はなぜか私のほうに向いていた。園子の傍を素通りして近づいてくる太田さんの姿に、思わずじりじりと後退する。けれど、トンっと壁に付いた背中に、焦りを感じる暇もなく太田さんが退路を防ぐように顔の横に手を付いた。 「どーせ暇なんだろ?」 「で、でも外は雨降ってるし···」 「雨の外の散歩も洒落てるぜ?」 「い、いやっ、でも···」 「さぁ、行こう!」 私の返事など最初から聞くつもりもなかったのか、太田さんはそう言って、私の手を掴むと強引に歩きだした。ちょ、ちょっと!制止の声も聴いてはくれず、ぐんぐんと引っ張るように歩くのでぎゅっと握られた手の平も腕の間接にも痛みを感じたし、じんわりと湿った大きな掌にわずかな恐怖が這い上がってくる感覚がした。 「なぁ、嫌がってんじゃん」 「ああ?」 ズルズルと引きづられるようにリビングの扉を潜ろうとしたところで、静かな声が落ちた。ずっとそこに居たのか、扉の横の壁に凭れ掛かるように背中を預けていたなまえが伏せた長い睫毛を持ち上げてついっと太田さんに視線を向ける。 「嫌がってる?ただ散歩に行くだけだぜ。邪魔するなよ」 「そのあんたとの散歩が嫌なんだろ。それに──」 そう言葉を区切って、緩慢な動作で歩み寄ってきたなまえが私と繋がっているほうの太田さんの手首を彼に見せつけるように持ち上げた。 「強く握りすぎて、赤くなってる」 なまえの言うように、握り締められた指先は血が溜まっているせいで赤く染まっていた。指摘されてやっと気づいたのか、太田さんは罰が悪そうに舌打ちするとするりと掌を離してくれた。それにほうっと安堵して握られていた手の平を労わるように撫でていると、浮かべていた不機嫌な表情を取り払った太田さんがじゃあ、と呟くとニッと口角を上げてなまえの顎を掬うように持ち上げた。 「キミが変わりに行ってくれるのか?」 俺はそれでも構わないけどな。そう言って、するりとなまえの頬を撫でる仕草にあんぐりと口を開ける。一体、この人はどういうつもりだろうか。そう信じられないものを見るような、唖然としているのは私だけじゃないようで、背後から「あの野郎··っ!」とやけに低い籠るような声と園子の叫ぶような声が重なるように聴こえてきた。 「悪いけど、先約がいるんで」 パシリッと乾いた音に、なまえが太田さんの手を払ったのがわかった。先約がいる。そう言って、先程まで太田さんに握られていた方とは反対の手の平を優しく攫った冷たい指先に、驚愕に目を見開く。思わずなまえを見遣れば、無表情で太田さんを見据えていたなまえの顔がこちらを向いて、そのうっすらと緩く弧を描く口許と交わった視線にドキッと心臓が脈を打ったのを感覚した。 「まさか嫌がってる?」 「う、ううん。嫌なわけ、ないじゃない」 揶揄うようにゆるりと細まった目尻に、吃るように言葉を返しながらも頬が熱を持つのを止められなかったし、なまえの稀な表情に、いけないものを見たような気がしてむずむずとした感覚に、しばらくはなまえの顔を見ることができなさそうだと思った。じゃあ行くか。そう言って、優しく手を引くなまえにつられて歩きだす。けれど、扉を開けて廊下に出たところでなまえがぴたりと足を止めた。言い忘れてた。そう言って、首だけを捻ったなまえがぽつんと取り残された太田さんに向けてゆっくりと唇を開く。 「そんなに散歩がしたいなら、ひとりで行ってろよ」 冷ややかな口調で言われた言葉に、太田さんはうっすらと顔色を青く染めていた。なんでもないような素振りをしていたが、内心では太田さんに言い寄られたことが余程癇に障っていたのかもしれない。促すように指先を引かれ、歩きだしたなまえの華奢な背中を見つめながら私はこっそりと苦笑を浮かべた。 ← → back / top |