ごちんっと軽快な音を鳴らして車窓に打ち付けた額に、ゆるりと微睡みから覚醒する。不規則に振動する車内にぼんやりと外に目を移せば、視界いっぱいにそそり立つ岩肌がうつった。どうやら、舗装された山道を上っているようだ。もうそろそろ着きそうだな。そう、欠伸を噛み殺していれば、不意にブブッと唇からつい出たような、吹き出した笑いが耳に入った。

「えらいええ音したけど、頭、大丈夫なんか?」

わずかに首を捻れば、同年代くらいの青年の姿。気遣う口振りとは裏腹に、色黒のその男の口許は取り繕うつもりもないのか、にやにやとだらしなく緩んでいる。「いやー、すまんな!笑うつもりはなかってんで!」カラリと笑った彼に、俺はただ、はぁ。と適当な相槌を打った。笑われたことよりも、突然話しかけられたことに驚いたというのが正直な心境だった。

「めっちゃ頭カクカク揺れてんねや、そりゃあ気になるやろ?それで、寝づらそうやなーおもて見てたらゴツン!やし、そんなん笑うなってほうが無理あるわ」

カラカラとにこやかに喋る男に、悪気は一切感じ取れなかったが、随分と砕けた口調に誰だったっけと朧気な思考を巡らせる。その間も、男の口はぺらぺらと滑らかに動いていた。

「まあ、でもそりゃ眠たなるわな。思てたより遠いわ、話しはホームズのことばっかやし」

男は後頭部で腕を組んで、唇を尖らせた。そのどこかつまらなさそうな様子に、僅かに眉を寄せる。
現在、俺はシャーロック・ホームズとコナン・ドイルのファンが集うツアーに参加していた。このツアーは毎年恒例となっているようだが、今回、噂ではホームズシリーズ第一作目の"緋色の研究"の初版本が貰えるという。たしかに開催場所までの道のりは思ったより遠く、ついつい寝てしまったがそれでも生の初版本を楽しみにしているし、抽選で厳選された熱狂的なファンが集まっているのだから車内がホームズの話題で盛り上がるのは当然だった。
なのに彼は、応募してまで一体なにしに来たんだ。そう、訝しんでいたのだが「これで工藤が居らんかったら、ただの骨折り損っちゅーことやな」男の口から出た名前に勝手に口が動いていた。

「⋯工藤?」
「なんや、工藤知っとんのか?」

工藤と聞いて、思い当たるのはひとりだけだった。きょとりと向いた双眼に、「いや、」そう、やんわりと頭をふるう。知った名前につい声にしてしまったが、決して同一人物だとは限らない。別に珍しい苗字でもないし、と直ぐに興味はなくなった。それにたとえ彼のいう工藤が同じ人物であっても、"工藤新一"が居るはずないのだ。

「ふーん、まあええけど。そんで、俺が参加したんは工藤っちゅー奴に会うためなんやけど、これがなかなか会われへんくてな!家に行っても居らんし、工藤の女やっちゅー子に聞いても知らんゆうし、やっと会えた思たらまたおらんくなるしで、前回勝ち逃げされたん悔しいからもっぺん勝負したろ思ってんのに足取り掴めへんくて困ってたところにコレや!思ってな、急いで応募して参加したっちゅー訳や。まあ、工藤の事やから居るやろうけど、退屈しとったところやねん。どうせ着くまですることないし、話し相手なってや。お互い暇やろ?」
「⋯いや、暇じゃないんで」

なんと応えればいいのか、一瞬、言葉に迷った。ぺらぺらと饒舌な彼の勢いに、圧倒されたのだ。

「んな冷たいこと言うなや。俺が解決したおもろい事件の話し聞きたいやろ?」
「いや、別に興味な──」
「たしかアレは中学ん時やったな。学校のスキー教室で山形のスキー場に行った時の話なんやけど──」

それから、海辺のペンションに着くまで彼の話を延々と聞かされ続けた。よく水分も取らずに喋れるなと感心すらするほど、とにかくよく喋る。それが、名前も知らない彼に抱いた印象だった。






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