通されたリビングには、既に数人が揃っていた。真新しい木材の匂いと仄かな潮の匂い。それらを鼻腔に、ぐるりと周囲を一望する。まだ主催者は来ていないようで、楽しそうに談笑している様子が目に付いた。 当然、聴こえてくるのはホームズの話題ばかりだ。どの作品が好きかホームズの魅力はなんだと弾む会話の中、大人たちに混ざる少年の声にひっそりと息を吐く。 ⋯まあ、そりゃあいるよな。 リビングの中央。見知らぬ顔ぶれの中にはやはりと言うべきか、生き生きとしたちいさな少年の姿があった。大人たちに溶け込むその姿からやんわりと視線を外せば、当然、微笑ましそうに眺める保護者の姿もある。 「なんや、工藤おらんやんけ」 あーあ、やっぱ骨折り損やったか。隣りで熱心に周囲を見渡していた男は、そうがっかりした様子で毒づいた。それほど大きい声量ではなかったが、注目を攫うには充分だった。一斉に向いた冷たい視線に、素早く帽子の鍔を下げる。 「どうやら他にもド素人が混ざってたみたいだな」 一歩、躍り出た男性が、ふんっと不服そうに鼻を鳴らした。突き刺さるような眼差しは、壁際にいたスーツ姿の男性を掠め、同様のつめたさを孕んで男へと向き直る。しかし、男は全く気にしていないようだった。これ幸いとばかりにきょろりと瞳を動かしていた男は、唐突に「あっ」と短い声を上げた。 「たしか工藤の──!」 「えっ、服部くん!?」 馴染みのある声に、思わず帽子の下でげっと顔を顰める。どうやら彼の探し人はやはり工藤新一だったようだ。毛利とも顔を合わせていたようで、ぱたぱたと近寄る足音に、そっと男の背後に移動する。 「どうしてここに?服部くんもホームズのファンだったの?」 「ちゃうちゃう。工藤に会えるかもしれんと思ってな。それに俺は、どっちかっちゅーとホームズよりエラリー・クイーンのが──⋯」 「──っばか、」 余計なことを口走る彼──服部の背中を反射的に小突いていた。ただでさえ歓迎されてないというのに、これ以上自分の首を絞めてどうするのだろう。案の定、一斉に向けられた冷たい視線に、ようやく不穏な空気に気づいたのだろう、目前の背中がビクリと強ばる。 「あー⋯けどやっぱ一番はホームズやな」 取り繕うようにそう言った彼に、向けられた視線が多少、緩和したのがわかった。ほっと胸を撫で下ろした服部に、どっと疲れたような感覚がする。 「あれ?服部くんの後ろにいる人って──」 不意に向いた矛先に、びくりと肩が揺れた。覗き込まれる視線につい、帽子の唾を深く下げる。 「ん?ああ、こいつか?車で一緒やってん。いやぁー、大人しい奴かと思ったらおもろい奴でな!ホームズの話ばっかで退屈しとってんけど、こいつおったからあっちゅーまやったわ」 けらけらと屈託なく笑いながら、服部はバシバシと俺の肩を叩いた。突然の衝撃に、よろりと足がたたらを踏む。 「そ、そうなんだ⋯」 「ちぃーっと無愛想やけどな。悪い奴じゃないで」 ぐっと引き寄せられた肩が、微かに触れ合った。どう応えたらいいのか。僅かな逡巡の後、仕方なく持ち上げようとした視界の下、突然、ひょっこりと覗き込むようにちいさな人影が映り込んだ。 「やっぱり。なまえ兄ちゃんだ」 そう言って、少年がにっこりと満面の笑みを浮かべた。いつの間に移動したのだろう、不意に現れた人物に咄嗟に声を呑み込む。 「なまえ兄ちゃんも来てたんだね。ところで、平次兄ちゃんとは車で知り合ったってほんとう?」 驚愕に、言葉を失う俺の足元で、コナンはあざとらしく小首を傾げてみせた。 「平次⋯?」 「ああ!そういえば自己紹介もまだやったな!」 首を捻った俺に、服部がたった今気付いたとばかりに手を打った。 「俺の名前は服部平次。関西ではちーっとばかり名の知れた高校生探偵や!んで、お前は?この坊主とは知り合いなんか?」 高校生探偵。工藤新一を探していることと、車内で一方的に話していた事件の内容からなんとなくそんな気はしていた。とくに驚きもなく、緩慢に口を開く。 「あー⋯俺は、」 「彼はみょうじなまえよ。なまえとは同級生で幼馴染なの」 突然、割り込むように重ねられた声に思わず口を噤んだ。ねっ!と、向けられた双眼にゆるりと目を瞬かせる。 「もう!なまえも来てたなら声くらい掛けてくれたらいいのに」 そう言った毛利は、すこしむくれているようだった。まさか、関わりたくなかったとも言えず苦い笑みと共に謝罪をこぼす。「⋯つーか、名前くれー知っとけよ⋯」そう、呆れた口調で毒づくコナンの呟きが聴こえた。 「幼馴染ちゅーことは⋯お前、工藤のことも知っとったんか?!」 「まぁ、一応」 「なら言えやボケェ!」 そう言われても。じっとりと責めるような眼差しに、ついっと視線を背ける。彼が探しているのが工藤新一だと確信したのはついさっきだし、そもそも知り合いかどうかなんて聞かれてもいないのだ。じりじりと注がれる痛い視線に、知らぬふりを突き通していれば不意にぱちぱちと手を打つ乾いた音が響いた。 「いやはや皆さま、ようこそおいで下さいました」 全員の注目を集めたのは、くるりとした髭を生やしたふくよかな男性だった。「私が、このツアーを企画したここのオーナーの金谷です」まるでホームズを彷彿させるような探偵の格好をした彼は、にこやかにそう名乗ると予め用意されていたホワイトボードへと移動する。 「今日は遅いのでもうお休みになって頂いて、明朝9時に朝食、1時に昼食、8時に夕食。そして夕食後には毎年恒例になっている超難問推理クイズを行います」 ホワイトボードには、明日のスケジュールが書かれていた。どうやら決められた時間以外は好きに過ごしてもいいようだ。 視線をずらせば、金谷さんの脇に控えている使用人が胸元に本を抱えていた。あれが噂の初版本だろう。 「その推理クイズで見事満点を取られた方にはなんと!シャーロック・ホームズがこの世に生を受けたコナン・ドイルの出世作、緋色の研究の初版本を進呈しましょう!」 リビングに、歓声が広がった。指し示された初版本に、殆どの目が釘付けになる中、スーツ姿の男性と服部だけが興味無さげに欠伸を殺している。 「しかし!その前に皆さんがどれだけホームズに心酔なさっているかという証を見せてもらいます」 「証?」 首を傾げた一同に、金谷さんが使用人の女性に視線を向けた。指示を仰いだ女性が、ひとりひとりに束ねられた分厚い用紙を配りはじめる。 「はい、どうぞ」 「⋯どうも」 受け取った紙に視線を落とせば、そこにはホームズに関する問題がずらりと並べられていた。これだけで一冊の本ができそうな程の枚数だ。 「今、メイドがお配りしているのはホームズカルトテスト1000問です」 「せ、1000問?!」 「それを提出する期限は明日の夕食まで。それで990点以上を取られた方のみ夕食後の難問クイズに参加してもらいます」 金谷さんの話を耳に、ざっと問題に目を通してみる。難しいのもいくつかあるが、ホームズフリークならわりと簡単に解けそうな問題ばかりだった。「なぁ、分かるんか?」「まあ、だいたいは」カンニング防止の為、携帯を使用人に預けながら耳打ちしてきた服部にお座なりに応える。他にも、監視カメラに盗聴器という念入りな徹底ぶりだ。 さすがに全部は分からんわ。ぱらぱらと紙を捲っていた服部はそう興味無さげに呟いた。元々、工藤を目当てに参加した彼は初版本に関心もないのだろう。 「それでは皆さん、明日の朝食までどうぞお部屋でお寛ぎください」 金谷さんの言葉を合図に、それぞれが違う顔付きでリビングを後にする。部屋は、毛利たちを除いて各自個室が設けられているようだった。これも不正防止の為だろう。 「じゃあ、私たちこっちだから」 「おやすみなさい、なまえ兄ちゃん平次兄ちゃん」 「おう、おやすみ」 「おやすみ」 部屋は、毛利たちの隣だった。毛利たちの向こう隣が服部で、軽く挨拶をして部屋に入る。部屋には簡易的な洗面所とベッドが一式あるだけだった。置物どころかクーラーやテレビもなく、無機質な監視カメラの存在がまっさらな室内でやけに際立っていた。 「⋯てか、あの人が毛利小五郎かよ⋯」 終始、眠たげだったスーツ姿の男性。ずっと何処かで見たことがあるような気がしていたのだが、なるほど。そりゃあ見たことがあるはずだ。もう少し草臥れたイメージをしていた分、なんだか拍子抜けした気分なる。 毛利たちと共に部屋に入っていったことで今更ながらに気が付いて、もう少し原作読んどくべきだったかなと少しだけ後悔した。 ← → back / top |