ふるりと睫毛を振るわせて、緩慢に瞼を持ちあげる。やけに薄暗い室内に、ああそういえばすこし寝たんだっけと散らばる思考を掘り起こしながらもぞりと身体を反転させた。

結局、朝方まで問題を解いていた。そのまま朝食と昼食に顔をだした後、残りの問題を解き終えた記憶はあるがその後からぷつりと電池が切れたように記憶がない。

「⋯いま、なんじ⋯」

問題の期限は夕食までと言っていた。ぼんやりとする目蓋を擦りながら、壁時計を確認する。「なまえ兄ちゃん?」しかし、時刻を飲み込むより先にコンコンっと戸を叩く軽い音が寝惚けた思考を揺るがした。

のそのそと気怠い身体を引き摺って扉を開ければ、ちいさな探偵が立っていた。「まさか、寝てた?」開口そうそう、そう言ったコナンの顔には若干の呆れが滲んでいる。

「⋯すこしだけ」
「⋯そう。けど、もう夕食の時間とっくに過ぎてるよ」
「⋯は?」

ぽかりと口が間抜けに開いた。慌てて時計に視線を向ければ短針は10時を指していた。これでは夕食どころかせっかく解いた問題も水の泡だ。さぁっと血の気が引いていく感覚がする。

焦燥に、ピシリと硬直した俺をコナンはにこにことやけに愉しそうな表情を浮かべて見上げていた。ゆるりと持ち上がった口角に、なんだか馬鹿にされているような気がして多少むっとする。

「でも、よかったね」
「なにが」
「金谷さん、まだ来てないよ」

それは、一音一音区切るようなはっきりとした口調だった。にこやかな笑みのまま、ゆっくりと言ってのけたコナンに思わず二の句を押し込む。きっと、俺の反応をみて楽しんでいるんだろう。一見、無邪気ともとれる笑みにひくりと目元が引き攣った。

「⋯それを先に言えよ⋯」

工藤新一という男は、案外、意地が悪いらしい。はぁ。どっと押し寄せた疲労感にしゃがみこみそうになったのをなんとか堪え、額を抑えた俺に、今度こそコナンは悪戯が成功したような無邪気な笑みを向けるのだった。





コナンと共にリビングへと降りれば、気だるげな双眸が食卓に並んでいた。とっくに夕飯は食べ終えたようで、卓上には湯気のくゆるコーヒーカップが人数分置かれている。どことなくピリピリとした空気に居心地の悪さを感じながらも離れた席に腰掛ければ、当然のようにコナンも隣に座った。

「よぉ、寝坊助さん」

夕食を持ってきてくれるという使用人に甘えてぼんやりと待っていれば、ふと、揶揄うような声色が頭上に落ちた。ついっと視線を持ち上げれば、案の定というべきか、にやついた表情を浮かべる服部の姿に思わずため息が零れる。

「どーせ寝とるんちゃうか思っててんけど⋯その様子からして当たりやろ」

そう言って、自然な動作で隣りに座った服部にじっとりとした視線を向けるも彼はゆるりと口角を上げたまま。寝起きのせいで多少ぼさついた毛先を視界に頬杖をついた。

「⋯なんか用ですか」
「いやあ、堂々と遅れてきた奴の顔でも拝んだろ思ってな」

つまり、本気でからかいに来ただけのようだ。ああ、そう。そう素っ気なく返して、運ばれてきた夕食に箸をおとした。





「金谷さん、遅いね」
「そうね⋯」
「どっかの誰かさんと一緒で寝とるんかもな」

そう、からからと笑いながら、悪戯っぽく細めた瞳で流し見る服部の視線を、最後のひとくちと共に無言で呑み込んだ。いつの間にか目の前の座席には毛利が腰掛けており、毛利の向こうに見える壁時計の針はもうすぐ12を指そうというところ。
なにか不都合でもあったのだろうか。主催者である人が予定を忘れて寝ているとも思えず、下げられた食器の代わりに置かれた湯気の立つ珈琲の、波打つ水面をじっと見据えていたら、不意にガタリと椅子が倒れる音がした。

「くそう、もう我慢ならん!部屋で休ませてもらう!」
「お、お客様⋯っ!」

殺伐とした空気を助長させるような、憤慨した足取りで部屋を出ていった男性に誰も文句は言わなかった。

「やっぱりあの噂は本当だったみたいね。クイズの賞品に初版本なんて真っ赤な嘘。毎回難癖つけて、全問正解者を出さずに、結局はあの本を自慢するだけのツアー。⋯悪いけど、私も休ませて貰うわ」

それどころか、それを皮切りに誰もがため息を吐きながら続々と部屋を後にしていくのだ。「あほらし。俺も寝るぞ」大きな欠伸を零しながら部屋を出ていった毛利探偵を最後に、室内はまた重い静寂に包まれる。

「どうする?コナンくん」
「ボクはまだここに居るよ」
「俺も、もうちょい居るわ」

結局、残ったのは毛利とコナンに服部。それから眼鏡を掛けた男性と知人だろう女性だけだった。使用人がほっとしたように眉を下げ、珈琲のお代わりを注ぎ足してまわる。

暫くは、珈琲の啜る音とカチカチと秒針の進む一定のリズムだけが静かなリビングを満たしていた。「あかん。俺ももう限界や⋯」そう欠伸をこぼす服部を尻目に時計を見上げれば、時刻は午前3時を廻ったところだった。

「ねぇ、研人。あたしたちも部屋に戻ろうよ」
「まあ待てよ。こういう時は先に動いたほうが負け──⋯なんだあれ?俺たちの乗ってきた車じゃねーか?」

声に釣られて視線を向けた窓の外。ゆっくりと徐行する乗用車の姿に、全員が慌てて窓際に駆け寄った。「オーナーよ!オーナーが運転してるわ」目を凝らせば確かに、運転席には金谷さんの姿が見える。

「ほら、やっと始まるのさ。推理クイズがね」
「さすが、研人」

その和やかな会話を耳に、俺は静かに眉を顰めた。俯いているその姿からはとても運転している様には見えなかったのだ。

まるで誰かに手招かれているかのように、真っ直ぐに車は徐行していく。しかし、進む車のその向こう。地面の途絶えた真っ黒な暗闇に、気付いた時には身体が動いていた。

ガラッと勢いよく開けた窓。窓枠に足を掛けた俺に「えっ、なまえ?!」上擦った素っ頓狂な毛利の声が背中に掛かったが、答える余裕はすこしも無かった。

窓を飛び越え、地面に着いた足をそのまま、走り出した俺の背後では誰かが後に続く気配がする。「あっちは崖だ!!」遅れて飛んだ叫声に、振り返ることも無く、焦れったさに奥歯を砕きながらもただひたすらに脚を動かした。

「金谷さん!」

漸く追い付いた車。僅かに加速した車と並んで走りながら運転席に声を投げたが、しかし金谷さんは俯いたまま、なんの反応も示さない。「おい!おっさん!なにしてんのや!はよ止めな落ちてまうで!」遅れてやってきた服部がそう怒鳴りながら窓ガラスを叩くが、それでも一向にスピードは落ちないのだ。

「くそ⋯っ!」

ピクリともしない金谷さんに、ギリッと奥歯を噛み締める。サイドミラーにぶら下がるコナンに構わず、ガチャガチャとフロントドアの取っ手を引くものの、内側からロックが掛かっているのかまったく開く気配は無かった。

「金谷さん!」
「おい!おっさんって!──あかんっ!落ちてまう!」
「金谷さん!」
「おい!あほ!手ェ離さんかい!お前まで落ちる気か!」
「けどまだ金谷さんが⋯っ!」
「なまえ兄ちゃん!」

ぐらりと前に傾く車体。それでも、必死に車体に齧り付く俺の手を、突然、強い力が引き剥がした。金谷さんを乗せたまま、真っ逆さまに暗闇へと呑まれていった車に、俺は手を伸ばした体制のまま茫然とするしかなかった。

「ほんま⋯無茶しよって⋯」

遠くで響く爆発音と立ち上る黒い煙。それから耳の裏を掠めた深い吐息に、漸く散らばった思考が纏まっていく感覚がした。じゃりっと、足裏をずり下げ、崖を見下ろす前のめりだった体制を緩慢に戻せば、腹にまわった腕と強く握り握られた手の平がするりと離れていく。

「なまえ兄ちゃん、大丈夫⋯?」
「⋯うん。ごめん」

心配そうに覗き込むコナンに、俺は静かに崖から視線を引き剥がした。






back / top