「ねぇ、なまえって好きな人いないの?」
「んぐっ」

園子から唐突に切り出された内容に、なまえがごほごほと噎せたのがわかった。
ジリジリとアスファルトを焦がすこの蒸し暑さに、外で遊ぶ気にもならず結局、お馴染みのように博士の家にお邪魔したオレたちは、妙にコイツらに懐かれているなまえにもダメ元で連絡を入れ、結果、なまえに用があったらしい蘭と園子も交えてだらだらと寛いでいたのだ。

「は、なに、急に」
「前々から思ってたのよねぇ〜。あんたって顔も良いしモテるのに浮いた話聞かないじゃない」
「それ、私も気になってた!なまえって結構告白されてるのに断ってるんでしょう?」
「そうそう!それで、あたしらのところに飛び火が来んのよ!「みょうじくんって好きな人いるんですかァ〜?」って!」

昨夜、蘭が遅くまで作っていたクッキーをテーブルに囲みながら繰り広げられる会話にこっそりと耳を傍だてる。テレビ画面では、筋肉隆々のキャラクターが歩美と光彦にこてんぱんに殴られ、相棒の元太が「おい!コナン!ちゃんとやれよ!」と文句を言っていたが、ゲームに集中できるわけがなかった。彼はなんて答えるんだろう。テレビの前を陣取っているせいで、背後にいるなまえがどんな表情をしているのか見れないのが残念だ。

「そんなのほっとけよ」
「一日にひとりかふたりは来んのよ?無視するわけにもいかないじゃないの」
「それでね、私たちそういえばなまえのことなにも知らないなって思って」
「まさか、俺に用事って⋯」
「そういうこと!この機会に根掘り葉掘り聞いちゃおうって思ったわけよ」

蘭たちがわざわざ博士の家に足を運んだのはそういう理由らしい。なまえが思いっきりため息を吐いた。きっと、めんどくさいとかそれだけの為にとか呆れてるんだろう。さすがの園子もそれは伝わったようで「いーじゃない。べつに減るわけじゃあるまいし」と言っているのが聞こえた。

「で、どうなのよ?」
「どうって⋯べつに」
「好きな人いないの?」
「⋯まあ⋯、」

なまえにしては珍しく歯切れの悪い返答だ。けれど、その回答にそわそわしていた気持ちが一瞬で萎えた気分だった。まあ、そりゃそうだよな。仮に、いると言えば蘭たちから怒涛の質問責めを喰らうだろうし、なまえのことを好いているらしいコイツらに妙な期待を持たれるのもそれはそれで困る。そうは思っていても、すこしでも期待を持ってしまった分、沈んだ気持ちはどうしようもなかった。

「なによ、つまんないわねぇ」

すっかりおざなりになってしまっていたゲーム画面に意識を向ける。ホントだぜ。いつの間にか、オレを置き去りにはじまっていた液晶のキャラクターを目で追いながら同意するように胸中で呟いた。

「じゃあ、初恋は?」
「そうね、いくらあんたでも初恋くらいはあるでしょ?」
「まだ続けんの?」
「当たり前よ!こんな機会、滅多にないんだから!」

露骨に面倒くさがるなまえに園子が威勢よくふんすと鼻を鳴らした。「コナンくん!歩美と勝負しよ!」再びはじまった開始画面に、カチャカチャとコントローラーを弄りながらも耳ではしっかりと蘭たちの会話を拾ってしまう。初恋なァ。そういえば、聞いたことがなかった。というのも、なまえと付き合ったのもつい最近で、過去の恋愛云々を聞いたところで彼が素直に教えてくれるとは思えないし、あまり踏み込んで聞いてもきっと飄々と躱されるだろう。それに、初恋どころか付き合った人がいると知ってしまえば嫉妬するのはわかっていた。なまえのそういう一面を、オレ以外の奴が知っているのが嫌だなんてさすがにかっこ悪くて言えるはずもない。とはいえ気になるもんは気になるわけで。

「さぁ!白状しなさい!」
「どんな人だったの?」
「年上?年下?なまえが好きになるくらいだから相当の美人なんでしょうね」

ちらりと首を捻って伺えば、ぐいぐいと距離を詰める彼女たちになまえは圧倒されているようだった。おいおい、近すぎだろ。そう思うのと、もう少し情報を聞き出してほしいのとが綯い交ぜになって胃のあたりがもやっとする。きゃあきゃあと弾んた声の中、なまえが引き攣った表情だったのがまだ救いだった。

「あー⋯一応、同い年」
「なによ!やっぱあるんじゃない!」
「⋯そりゃあ、まぁな」
「へぇー、なまえも恋とかするんだ。なんか意外だなぁ。それで、それっていつなの?」
「えっ、いつ?」
「初恋だよ?まさか、覚えてないの?」
「いや、覚えてるけど⋯。つーか、そういうお前らはどうなんだよ」
「私らのことはいーのよ!どーせ蘭は新一くんなんだし」
「なっ!ち、ちがうわよ!⋯違うくはないけど⋯!で、でもいまは違うんだから!」
「はいはい、蘭の惚気話はあとで聞いであげるわよ。それで、その初恋の相手は誰なの?」

上手くはぐらかせなかったようで、戻ってきた矛先になまえがうっとたじろいだのがわかった。一瞬、オレの名前が出てきたことにドキリとはしたが、翻弄されているその珍しい姿に、園子もたまにはいい仕事するじゃねーか。そう、くつくつと笑いを噛み殺していれば、元太たちから怪訝な目を向けられる。「おい、コナンのやつ負けすぎて頭おかしくなったんじゃねーか?」「コナンくん、ゲームはからっきしですからね⋯」「もう少し手加減してあげようよ」コソコソと、耳打つ声も聴こえているし操作していたキャラクターのHPはとっくにゼロだったがすこしも気にならなかった。

「だ、誰って⋯」
「私たちも知ってる人?」
「あー⋯知らない、と思う」
「ふーん。じゃあ、どんな人なのよ」
「どんな?」
「んーじゃあ、かわいい系?美人系?」
「⋯べつに、普通」
「もー!それじゃわかんないじゃない!髪は?ショート?ロング?」
「ショート」
「身長は?高い?低い?」
「高い」

まるで尋問だ。だんだんと億劫になってきているようで、なまえの返答が投げやりになっている。「もう!真面目に答えなさいよ!」「答えてるじゃん」「もっと詳しくよ!く・わ・し・く!」それに比例するように、園子は楽しくなっているようだった。嫌がりながらもちゃんと返事をくれるなまえが嬉しいのかもしれない。ぎゃーぎゃーと吠える園子に苦笑しつつも、蘭は止める気はないようで、それは、逃げ道を探るように視線を送ってくるなまえには悪いがオレも同じだった。

「好きな食べ物」
「さぁ?」
「苦手なもの」
「知らない」
「趣味」
「なんだろうな」

いくら聞いても浮かばない人物像に、途中から意地になっているようでまるでお見合いのような淡々とした質問が暫く続いていた。なまえは質問責めに慣れてきたのか飽きてきたのか、持参していた小説を読みはじめ、目前で躍起になっている園子のことなど気にも止めていない。「もう!それじゃあぜんっぜんわかんないじゃない!」「まあまあ」園子がとうとう根を上げた。むっつりとむくれる彼女を猛獣を宥めるように蘭がやんわりと肩を撫でる。「コナンくん!いい加減集中してくださいよ!」「⋯ああ、わりぃ」とうとう光彦まで根を上げた。そう言われても、彼等のやり取りが気になってちっともゲームに集中できる気がしないのだ。ちなみに怒られるのはこれで10回目だった。

「ねぇ、なまえ。そんな知らない人のどこを好きになったの?」

柔らかく尋ねる蘭に、なまえがページを捲る手をピタリと止めた。「そうよ。一体どこを好きになったわけ?」園子が行儀悪くテーブルに頬杖をつきながら、じっとりとした視線を向けている。なまえはなにも言わなかった。けれど、伏せた瞳に活字を追っている様子はなく、なんと答えるか考えているようだった。

「ねぇってば。ちょっと、聞いてんの?」

痺れを切らした園子が、なまえの手元から本を抜き取った。離れていった小説を、ゆるりと視線で追いながらも取り返す素振りはみられなかった。不意に、なまえの瞳がこちらを向いた。ばちりと合わさった視線に、見ていたのがバレたとドキリとしたが彼は、何事もなかったかのように視線を逸らす。それから、なまえはゆっくりと唇を動かした。

「⋯馬鹿がつくくらい真っ直ぐなとこ」
「へぇ〜。真っ直ぐ、ねぇ〜?」

もういいだろ。そう言って、今度こそなまえは本に腕を伸ばした。けれど、それを拒むように園子が頭上に掲げて遠ざける。テーブルを挟んでいるせいで、なまえの指は届かなかった。

「まだあるでしょ?ほらほら、言いなさいよ〜」

にやにやと笑みを貼り付けて、見せつけるように本を揺らす園子になまえの眉間がぐっと寄った。どうやら、とことん揶揄う気でいるらしい。園子たちは過去の話だと割り切ってなまえの新鮮な反応を楽しんでいるようだが、過去の話とはいえ、彼の口から聞くとやはり気落ちした気分になる。聞きたいようなこれ以上聞きたくないような、わずかな同情の混じった複雑な感情にもんもんとしていれば、唐突に歩美が声を上げた。

「歩美が勝ったら、コナンくん来週の日曜日にお出掛けしようよ!」
「はっ、えっ?」
「え〜!!歩美ちゃん、それどういう意味ですか?!」

驚愕に悲鳴を上げたのは誰だったか。瞠目して瞬くオレに「歩美、勝負しようって言ったよ?」歩美がそう小首を傾げる。言ってたか?残念ながら覚えはない。が、歩美が言ったというならそうなんだろう。けど、このタイミングで言うかァ?慌てて画面を見れば、ライフゲージはほとんど残っていなかった。あと二、三発喰らえばノックアウトだろう。それに、園子たちの会話も気掛かりで、ただえさえ苦手だというのに背後にも意識を向けながらなんて、そんなの難易度高すぎる。

まあ、出掛けるっつてもどーせその辺の公園とか近所の商店街だろ。そう、半ば諦めモードで操作していればガタリと背後で音が鳴った。

「あ、ちょっとなまえ?!」

なまえが席を立ったようだ。あ、やっべ、聴き逃した。もともと米粒程だった戦意を完全に喪失したオレは、ぽいっとコントローラーを絨毯に放る。「コナンくん?」「ちょっと、トイレ!」「このタイミングでですか?!」驚きの声はスルーして、小走りで蘭たちのところへ向かう。「ははーん、逃げたわね」テーブルの上に置いた小説の表紙を撫でながら、園子がにんまりと目を細めた。

「なまえ兄ちゃんなんて言ってた?!」
「なによ盗み聞きぃ?」
「蘭姉ちゃん!」

じっとりと見下ろしてくる園子には一切視線を向けず、蘭の服の裾をぐいぐいと引っ張る。オレの剣幕に瞬きながらも、蘭は目線を合わせるように腰をしゃがめてくれた。

「え?えーっと、好きなことになると周りが見えてなくて、頭はいいのに変なところで鈍感で、無茶ばっかりする馬鹿だって」
「そうそう!それで、まるで新一くんみたいな子ねって言ったら急に立ち上がってどっか行っちゃったのよ」

ンだよ、それ。ははっと思わず漏れた笑いに、蘭がカクリと首を傾げた。「それがどうしたの?」「んーん!なんでもない!」礼を告げ、その場から離れる。早足でなまえを探すオレの心臓は通常よりもずっと早い速度で動いていた。これは、過度な期待ではなく確信だ。あの視線は、てっきり、助けを求めているものだと思っていたが、 別の意図が含まれていたのかもしれない。鈍感なのはどっちだっつーの。それに、大半悪口ばっかじゃねーか。そう毒づきながらもついつい頬は緩んでしまう。

なまえは洗面所の壁に凭れ掛かって、しゃがみこんでいた。腕に顔を突っ伏しているせいで、表情は窺えないが自分の不容易な発言に後悔しているのかもしれない。

「からかいにきたのかよ」

足音で気づいたようだ。ゆっくりと近づいてみても、なまえはその場から離れようとはしなかった。そのことに安堵しつつ、手を伸ばせば触れられる距離まで足を進める。

「どうせ、聞いてたんだろ」
「馬鹿がつくくれー真っ直ぐで、周りが見えてなくて頭がよくて鈍感で無茶ばっかするヤツが初恋だって?」

カラリと笑えば、なまえが更に深く顔を埋めた。あーもう、さいあくだ。もごもごと呻いたなまえの耳殻は赤く色付いていて、柔らかな髪の隙間から覗くそれに無性に愛しさが込み上げる。つい、指を伸ばせば、なまえがピクリと反応した。わずかに顔を浮かせて、じろりと睨む表情はすこしも怖くなかった。あまりの可愛さにくつくつと笑っていれば、なに笑ってんだよと怒られる。

「⋯日曜日、」

嫌がられないのをいいことに、さらさらと指の通る綺麗な髪の毛を弄んでいればされるがままだったなまえが突然ぼそりと呟いた。

「あ?」
「⋯だから、日曜日。」
「日曜日がなんだよ?」

小首を傾げてなまえをみれば、ついっと視線を逸らされた。どこか言いづらそうな彼の様子にますます疑念が募る。じっと待っていれば、ようやくなまえの唇が動いた。

「⋯日曜日、歩美ちゃんと出掛けんの?」

じんわりと目元を赤く染めたなまえに、思わずぽかんと口が空いた。嫉妬、という文字がぶわりと脳を駆け巡る。まさか、あの、なまえが。オレは、咄嗟に口許を抑えた。そうでもしないと、あらゆる感情が飛びだしてしまいそうだった。

好きだと伝えたのはつい最近だ。なまえは受け入れてくれたが、けれど、想いの大きさが違うことなんてわかりきっていた。しょうがないことだと割り切っていたし、そのうち好きになって貰えればいいとすら思っていたのだ。それなのに、オレが初恋の相手だとわかった。それだけで充分満たされていたのに、小学生相手に嫉妬するなまえに胸の奥が熱くなる。溢れてしまいそうな愛しさにどうにかなっちまいそうだった。

「⋯なぁ、キスしていいか?」
「はぁ???」

そういえば、ほんのりと目元を赤らめたまま、なまえが思いっきり顔を顰めた。そんな空気じゃなかっただろ。そう言いたげな視線を無視して、するりと頬を撫でればなまえがビクリと身体を揺らす。「は、ちょ、ほんき?」「ンなこと冗談で言うかよ」ゆっくりと顔を寄せれば、観念したのか、さ迷わせていた瞳をぎゅっと閉じた。柔らかな唇を軽く啄む。このちいさな身体ではどうしたって限界があるのがもどかしかった。いくらなまえが細くても、満足に抱き締めることも出来ないのだ。確かめるように数回重ねて、ゆっくりと離れる。こつりと額を合わせれば、なまえが目元を赤らめながらもじろりと睨むのが可愛いかった。

「⋯そういや、行きてーとこあんだった」

唐突な発言に、なまえがぱちりと瞬いた。ゆるりと動く瞼に唇を落とせば、擽ったそうに目を細める。

「来週の日曜日、予定空いてんだろ?なまえ兄ちゃん?」

察したなまえがわずかに瞠目した。大きな瞳に、いたずらに笑うオレの顔がくっきりと映っていた。「⋯かっ、」ぱかりと開いた唇は、その音だけをこぼしてゆるゆると閉じる。「か?」先を言わないなまえに首を傾げれば、なまえがぽすりと力をなくしたようにオレの肩に額を乗せた。

「⋯考えとく」

それは、ぼそりと尻すぼみな声だった。耳殻は真っ赤に染まっているというのに素直じゃないなまえにくっくっと喉を震わせる。あーもう、さいあくだ。耳元で、なまえが再度同じ言葉を吐いた。その肩に触れながら、オレがこのままどこかに閉じ込めてしまえればいいのにと思ってることなど彼は知りもしないのだ。






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