窓の向こうから聴こえる忙しなく鳴く蝉の声と、終業のチャイムの音がどこか浮き足立った教室に重なって響いた。担任が、ピシャリと扉を閉めたのを合図に一斉にさざめきが広がっていく。明日から、夏休みだ。

「おーい、なまえ!」
「なまえくん!」
「一緒に帰りましょう!」

席を立とうとして掛けられた声に顔を持ち上げた。いつの間にか目前に立っていたくりりとした瞳に、すこしだけ驚きながらも軽いランドセルを背に背負う。「べつにいいけど⋯」ちらりと流した視線の先で、江戸川と灰原が入口の前に佇みこちらを眺めていた。あの図書館の一件以来、うんと近くなったこの三人との距離に対して江戸川と灰原との距離感は相変わらずだった。他の小学生とは頭ひとつふたつ分、軽く抜きんでた二人は元々馴れ合うのが苦手なのか、そもそも馴染むつもりがないのか、特に灰原は一線を置いて三人と接しているようにみえる。友人というより、まるで幼子を預かる保護者のようだ。だからだろう。時折、探るような鋭い視線が向けられるのは。

「やったー!!」
「コナンくんと灰原さんも待ってますし、はやく帰りましょう!」
「腹も減ったし、博士ん家に寄って行こうぜ!」
「それいいですね!なまえくんの事も紹介できますし!」
「あっ!じゃあなまえくんの探偵バッチ作ってもらおうよ!」
「新メンバー加入ですね!」
「そうと決まれば、丼は急げだ!」
「善は急げですよ、元太くん」

無機質な視線から逃れるように背ければ、いつの間にか話は纏まったようで急くように小嶋にぐいぐいと腕を引かれる。博士、探偵バッチ。博士については灰原がお世話になっている家の人だと以前、聞いた覚えがあった。「探偵バッチ?」首を傾げた俺に、吉田が弾けるような笑みでポケットに手を突っ込んだ。「これだよ!」そう言って差し向けられた小さな手の平には、シャーロック・ホームズだろう人物とDETECTIVE BOYSというアルファベットが象られている緑と黄色のバッチがぽつんと乗っていた。

「へぇ。」
「博士が作ってくれたんだよ!」
「トランシーバーが内蔵されていて、とっても便利なんです!」
「これで俺たちは数々の難事件を解いてきたんだぜ!なぁ、コナン!」

三人は、合流した江戸川と灰原が怪訝に顔を顰めているのには気づいていないようだった。きらきらと瞳を輝かせて身を乗り出すその勢いに圧倒されながら、ちらりと江戸川を流しみる。突如、話を振られた江戸川は更に顔を顰めながら疲れたような息を吐いた。

「おめーらなぁ。はやく行かねーと博士、もう昼飯食っちまうぜ」
「そういえば今日はピザを取るって言ってたかしら」

ピザ!?灰原の言葉に、三人が弾けたように声を揃えた。同時に、ぐぅーと鳴った小嶋のお腹に吉田と円谷がどっと笑い声を上げる。「元太くんのお腹が限界のようですし、行きましょうか」「歩美もお腹空いたぁ」「ピザだってよ!ピザ!うな重の乗ったピザとかあんかな!?」「そんなのないよ」「ないですね」扉を潜り、そう他愛ない話をしながら遠のくみっつの背中を緩慢についていく。その後ろに、江戸川と灰原が続くのがわかった。

本日は終業式のみだった為、学校は午前中で終わりだった。とっくに他の生徒は下校したのか人気のない廊下を進み、靴を履き替える。一歩、外に出ただけで刺すような陽光にどっと汗が噴き出すような感覚がした。茹だるような暑さにげんなりする俺とは反対に、仲良く並ぶ三人は太陽にも負けないほど元気に駆けていく。

「おい、コナン!なまえ!早くしろよ!」
「ったく⋯、わーってるからちゃんと前見ろ!」

ぐるりと振り向いた小嶋に、江戸川の叱責が飛んだ。のろのろと歩いているせいで、いつの間にか江戸川と灰原に追い抜かされていた。「元気ね、あの子たち」「アイツらは元気すぎんだよ」生暖かい風が、前方での穏やかな会話を運んでくる。「あら。元気が無さすぎるのも、それはそれで困るんじゃない?」「そりゃあ、まあ⋯」肩を竦めたまま、江戸川がこちらを一瞥したのがなんとなくわかった。余計なお世話だ。そう思ったが、口に出す気力もなかった。

人通りも疎らになり閑静な住宅街に入って暫く、前を歩いていた三人が漸く歩みを止めた。「ここだよ!」大きな門と、その向こうに見える楕円形の建物。阿笠と書かれた表札を見上げる俺の脇をするりと通り過ぎていった灰原が、ガチャリと門を開け放つ。

「飯の匂いだ!」
「あっ、元太くん!」

我先にと飛び込んで行った小嶋とそれを慌てて追い掛ける円谷、ゆっくりと後に続いた灰原が、順に門を潜っていく。
正直、まったく気乗りはしていなかった。俺にとっては、この炎天下の中で家までの道のりを歩くのと、これ以上彼らとの距離を深めることになるのはどっちも同じくらい面倒だった。すこしだけ迷ったあと、傾いた天秤に、足を一歩進ませる。「あのね、なまえくん」けれど、門を潜るよりも先に吉田に声を掛けられた。「えっ、なに?」唐突にかけられた声とゆるく引かれた服の裾に僅かに瞠目して、彼女を振り向いた。落とした声量と口元に手の平を充てがうその仕草に、江戸川にも聞かれたくないことなんだろうかと内心で首を傾げながらも上半身を傾ける。

「実はね、隣のお家にはお化けが住んでるんだって」
「え?」

予想もしていなかったその内容に、少々面食らった。しかも、江戸川にもばっちり聴こえていたようだ。ずるっと盛大に足を滑らせた彼を尻目に、隣の家に視線を向ける。

立派な外壁の向こうに見える、洋風の家。阿笠博士の住宅よりは狭いが、他所の家と比べても中々に広い敷地に建てられた洋館はカーテンが締め切られていて、確かに人の出入りは薄そうだった。が、吉田の言う悪い気配は感じられない。

「前にね、お化け屋敷って言われてたお家をコナンくんと元太くんと光彦くんとで探検したことがあるんだよ」

どことなく嬉しそうな声に視線を戻す。「居たのはお化けじゃなかったんだけど⋯」その際に怖い思いでもしたのだろうか。僅かに視線を下げた吉田だったが、それから華が咲いたように笑った。

「でも、皆で探検して楽しかったから今度はなまえくんも一緒に探検しようね!」
「⋯うん」

戸惑いながらも頷いた俺に満足したのか、吉田が掴んでいた裾を放して離れていく。結局、吉田がなにを言いたかったのか今はひとつ分からないまま、その背中に続いた。
「あ、コナンくん!」江戸川が、門のところで待っていた。仏頂面で佇む彼に気づいた吉田が颯爽と走り寄っていく。

「あの時コナンくん大活躍だったから、今度は村人じゃなくて勇者だね!」
「いや、あの家は⋯」
「歩美はやっぱり女戦士がいいなー。なまえくんはなにがいい?」
「なんのはなし?」
「ロールプレイングゲームのパーティーのはなし!光彦くんが魔法使いで、元太くんが勇者で、コナンくんが村人だったんだよ」
「⋯俺は農民とかでいいよ」
「えー!なにそれつまんなーい!」

そんなこといわれても。唇を尖らせる吉田の横で江戸川が苦い笑みを浮かべている。「灰原さんはなにかな?踊り子とか?」「踊り子ぉ?どーみたって灰原はアサシンだろ」「アサシン?」「暗殺者のことだよ」そんな吉田と江戸川の会話を聴きながら、玄関の前でもう一度振り返った。閑静な住宅街にある、ただの大きな一軒家。彼と似た陽の気が、なんとなく気になったのだ。
「おい、入らねーのか?」振り返れば、開けた扉に手を掛けたまま江戸川が訝しげに見ていた。眩しさに思わず目を細めれば、更に眉根を寄せられる。「あー⋯うん。入るよ」怪訝な表情で観察する江戸川には気付かないふりをして、俺は玄関のタイルに足を掛けた。






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