金谷さんが亡くなった。薄い寝間着のまま事件現場へと集められた面々は、突然の訃報に顔色を驚愕へと染める。特にめぼしい証拠も、そして遺体も回収できず、警察に連絡をするために金谷さんの個室へと移動をしたが、不正防止のため預けていた電話は全て、粉々に壊された状態で床に転がっていた。

初版本を渡したくないが為の自殺、自殺と見せ掛けた巧妙な他殺。様々な憶測が飛び交う中、もっとも有力なのは服部の「殺人劇が続く」という推測だろうと、ひとり壁に凭れながら淡々と思考を巡らせる。連絡手段も絶たれ、車も全て動かず、完全に孤立する状況を犯人によって意図的に作り上げられてしまっていた。

「そうだ!監視カメラに犯人が映ってるかもしれませんよ」
「す、すみません⋯。あれ、偽物なんです。毎年このツアーの間だけ付けている張りぼてで⋯」

そして、隠すように車のパネルに掛けられた毛布と車内からした空気の漏れるような妙な音。気掛かりなことはいくつもあったが、それ以上にピクリとも反応を示さなかった金谷さんの姿が脳裏に張り付いていた。眠っていたというよりも、あの生気の抜けた蒼白い顔色は明らかに死人のそれで、荒々しい砂利道を進んでいたというのに伸ばした両手はしっかりとハンドルを握ったまま。落ち着いて考えてみれば微動だにしなかった俯いた頭部に、もしかしたら死後硬直がはじまっていたのかもしれないと思っていた。となれば、死亡推定時刻も不確かで、監視カメラも偽物だった以上、ここにいる全員のアリバイは成立しないことになる。

「せやけど、オーナーを車に乗せて発進させた時間やったら3時半頃とわかっとる。そして、その数時間前からリビングにおった俺と、こっちの6人には犯行は不可能やっちゅうこともな」
「おいおい⋯じゃあ、犯人はその時リビングにいなかった我々5人のなかに?」
「私を数に入れんでくださいよ⋯」

しかし、そう思っているのは俺だけのようだった。自然と、犯行当時リビングにいなかった毛利探偵を含む五人に疑惑が向かう中、突如、切り裂くような高笑いが天井を突き抜けた。

「あ、綾子⋯?」
「だってあたし、わかっちゃったんだもの。犯人もそしてトリックも⋯──」

困惑に瞳を丸める一同に、そう綾子さんは勝ち誇ったように微笑んだ。カチリと火を付けた煙草の煙が、緩やかに天井に立ち上っていく。勿体ぶるように煙を吐き出した綾子さんは、その赤い紅の乗った唇をゆっくりと動かすのだ。

「──それを決定付ける証拠もね」

なっ⋯!まるで雷を打たれたような衝撃に、誰もが声を詰まらせた。「10分間猶予をあげる。あたしの口から名前を言われたくなかったらその前に名乗り出るのね」愕然とする一同を見渡し、そう飄々と言ってのけた綾子さんはくゆる煙と波紋を置いて、颯爽と部屋を横切っていく。

「おい!綾子、何処に⋯!」
「トイレよ」
「ちょ、待てったら!おい⋯!」
「⋯名探偵も型なしですな」
「ンなもんどうせはったりだ!」

慌てて追い掛けた戸叶さんがパタンと扉を閉めたのを、じっとりと胡乱な眼差しで見遣りながら毛利探偵がふんっと大きく鼻を鳴らした。





「あの、綾子さん遅くありません⋯?」

蘭がそう言ったのは、綾子さんが出ていってきっかり20分が経った頃。綾子さんを追い掛けた戸叶さんはすぐに帰ってきたが、綾子さんはトイレに行くと言ったきり未だ戻ってきていなかった。

「ま、まさか⋯!」

脳裏を過った一抹の不安に、慌てて綾子さんの元へ向かう。「綾子さんっ!綾子さんっ!」まだトイレに居るだろうかと、おっちゃんが激しく扉を叩けば、こちらが拍子抜けしてしまうほど綾子さんはあっさりと姿を現した。

「なによ騒々しい。失礼ね、トイレの前に集まって」
「わ、我々は貴女を心配して⋯」

じろりと責めるような冷たい眼差しに、おっちゃんがうっと僅かにたじろいだ。「それで、そろそろそのぉ、犯人を教えて欲しいんだが⋯」その横から、遠慮がちに尋ねた藤沢さんに綾子さんはきょとりとした後、たった今思い出したとばかりに眉を上げる。

「ああ、あれね。なんかあれ、あたしの勘違いだったみたい」

ころりと意見を変えた綾子さんに、おっちゃんの口から気の抜けた声が漏れた。先程の勝気な微笑が嘘のように、眉を垂れ下げた彼女は「ごめんなさいね」そう言って、あんぐりと惚ける面々を押し退ける。カツカツと床を叩くヒールの音が遠ざかるのを、ただ黙って見送るしかなかった。

なぜ、急に態度を覆したのだろう。───「そういえば綾子さん、昼間ちょっと変だったわよ」───蘭が昼間に会ったという綾子さんの不審な行動から、彼女がなにか決定的な証拠を掴んでいる事は確かなのに、金谷さんの部屋に戻ってからも綾子さんは一切口を割らず、結局、金谷さんを殺害したトリックも、証拠もなにひとつ掴めないまま。ただ刻刻と過ぎていく時間が歯痒く、なにか見落としてはいないかとペンション内を見て回っていたオレは、前方を歩く華奢な背中を見つけぱちりと目を瞬く。

「あれ、なまえ兄ちゃん。どうしたの?」

パタパタと小走りで駆け寄れば、足を止めたなまえの顔が微かに強ばった気がした。

「⋯顔、洗おうかと思って」

しかし、一瞬の瞬きの合間、すぐにいつもの淡白な瞳がオレを見下ろした。すっと滑らせた視線を追えば、なるほど、キッチンに向かう途中だったらしい。各個室にも洗面所は備え付けられているはずだが、なまえのことだ、自室に行くのも面倒だったのだろう。さっきまで寝ていたくせにと多少呆れつつ、再度なまえに視線を戻す。

「他の人は?まだ金谷さんの部屋?」
「服部以外はね」
「えっ、平次兄ちゃんどこ行ったの?」
「証拠がどうとか言ってたし、たぶん⋯外?」

考えるような素振りで言ったなまえに、ああ、と思わず気の抜けた声が漏れた。できればみんなの傍に留まって欲しかったが彼も探偵だ、案の定、大人しくはしてくれなかったらしい。とっくに現場を捜索し終え、もうそこには居ないだろう服部の行動力を思えばなまえが疑問形なのも頷ける。

「ねぇ、なまえ兄ちゃんはなにか気づいたことある?」
「いや?とくになにも」

そりゃそうか。あっさりと首を振ったなまえに、首肯すると同時に僅かな落胆が胸に落ちた。もしかしたらと思ったが、この手が掛かりの少なさではそう簡単にはいかないようだ。手っ取り早いのは綾子さんに口を割って貰うことだが、綾子さんの気が変わった今、それも難しいだろう。
───わっかんねぇーなぁ。金谷さんを乗せた車の謎、綾子さんだけが犯人を特定でき、そして急に口を閉ざした理由。どれもこれも分からないことばかりで、雲を掴むような状況にむしゃくしゃした気分だった。

「じゃあ、もう行くから」
「──⋯ああ」
「⋯頑張って」

悶々と思考に耽っていたオレの頭上に落ちた声に、ハッと顔を上げた時には既になまえは背を向けていた。言葉とは裏腹、ひらりと手を振るおざなりな仕草に、ははっと薄く笑いが漏れる。

───その秘密、もうすぐ誰かにバレちゃうかもよ!───

まさか、な。一瞬、脳裏を過ぎったその言葉を、軽く頭を振って追い払う。とにかく次の殺人が起こる前にはやく証拠を見付けねーと。

しかし、焦燥に駆られるようにペンション内を隈無く調べ尽くしたが、結局、目新しい手掛かりは見付からなかった。途中、合流した服部も同様だったようで、くしゃりと後頭部を掻き毟ったその表情には苛立ちが滲んでいる。

互いに鬱憤を抱えたまま、共に金谷さんの部屋に戻ったオレたちは、しかし、ガチャリと開けた扉の先、その足りない人数に思わず目を丸めた。

「あっ、やっと戻ってきた!」
「あれ?綾子さんは?」
「なまえもおらんな」

ぐるりと見渡した室内に、綾子さんとなまえの姿はなかった。

「あの女なら外に散歩に出掛けたよ!」
「止めたんだけど⋯」
「「もう殺人は起こらないわよ」って⋯」

ハンっと鼻息で火が消えそうな程、分かりやすく憤慨しているおっちゃんと眉を垂れた蘭と戸田さんの言葉に、服部とふたり、えっ!と頓狂な声を上げる。

「なまえも、顔洗いに行くって出て行ったっきり戻ってきてないのよ」
「⋯ねぇ、蘭姉ちゃん。それって、綾子さんが散歩に出ていく前?」
「え?ううん、確か、綾子さんが先に出て行ったと思うけど⋯」
「そうそう!彼女が出て行って、少しした後に彼も出てったのよ」

ガツン、と脳が振盪する感覚がした。無言で目を丸めるオレに、蘭と戸田さんが不思議そうに顔を見交わせる。──なまえはなんて言っていた?

「おい、ボウズ!なまえがどうしたんや?!」

オレの尋常じゃない様子を嗅ぎとったのだろう服部が、焦りの色を浮かべ、肩を揺するが、ぐるぐると忙しなく巡る思考を追い求めるのに必死で、反応する余裕は少しもなかった。

──「他の人は?まだ金谷さんの部屋?」
──「服部以外はね」

なまえは確かにそう言っていた。綾子さんのことなど、なにも言っていなかった。単純に、伝え忘れていただけだ。そう思いたいのに、嫌な推測ばかりが囁くように脳を占領していくのだ。──もし、故意だとすれば。いや、きっと故意に隠したのだろう。となれば、なまえは嘘をつき、誰にもバレないように綾子さんを追い掛けたということになる。けれど、わざわざなぜそんな事を。

「おい、姉ちゃん!あの寝坊助、他になんも言ってなかったんか?!」
「えっ!?他にって⋯なまえ、なにも話してくれないし⋯」
「綾子さんの事を気にしているようだったけど、それだけよねぇ?」
「んー⋯あ、そういえば、綾子さんも居る時に「この中で面識がある人はいるか」って聞いてたけど⋯」
「面識ぃ〜?そんなもん聞いてなんやっちゅうねん⋯」

ただえさえ分からんことだらけやっちゅーのに。そう言って、服部がガシガシと後頭部を搔いた。それがなにに関係するのか、それだけの情報ではさっぱり分からず、真似るようにくしゃりと前髪を押し潰す。結局わかったのは、綾子さんを気にしてたということ。まさか、彼女から犯人を聞き出す為だろうか、それとも───

「でも、なまえが一緒なら安心ね!」
「安心?」

ふと耳についた言葉に、思考を止める。小首を傾げたオレに、蘭がにっこりと笑みを浮かべた。

「だって綾子さん、最初は誰が犯人が分かったって言ってたし、もしそうなら犯人に狙われるかもしれないじゃない?」
「──っ!」

ハッと、見開いた瞳が服部のそれと交わった。同時に、──ドォォンッ。突如、けたたましい爆発音が建物を震わせる。

「な、なんだ今の音は?!」
「ガレージの方からだ!!」
「⋯っくそ!」

一瞬で騒然と化した一同を置き去りに、ダンッ、と強く床を踏み込んで跳ねるように廊下に飛び出した。心臓は、ばくばくと急くように鼓膜を叩いているのに、氷の塊を呑み込んだようなヒヤリとする焦燥に、冷えきった指先は全くと言っていいほど力が入らない。

「──なっ⋯!」

やけに長い廊下を駆け抜け、転がるように飛び込んだ玄関の先。目前に広がる光景に、息を呑んだのは誰だったのか。吹き上げる熱風が、パチパチとはじける火花を散らし、立ち上る炎が視界を真っ赤に染め上げる。

「まさかなまえと綾子さんあの中に⋯」
「あ、綾子⋯綾子!!」
「バカヤロォ!今あの中に飛び込んだら死ぬだけだ!!メイドさん、消化器かなにか⋯!!」
「し、消化器ならペンションに⋯!」

バタバタと慌ただしく動く周りの騒音もどこか遠く、夜空を覆い尽くすほど、猛獣のような轟をあげてうねるように燃え盛る赤黒い炎に、オレは暫く視界を囚われたまま、ただ呆然と立ち尽くしかなかった。






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