もうもうと立ち篭める白煙が、暗澹たる夜空に消えていく。ぱかり、と。まるで大蛇のようにおおきな口を広げて飲み込んでいく火の手が消えたのは、結局、ほとんどを焼き尽くしてからだった。黒く煤けた内壁とどろりと液化したポリタンク。ようやっと鎮まった炎に息をつく間もなく飛び込んだそこは、まさに見る影もないほど凄惨な有様だった。

「そんな⋯っ──」

息を飲むような悲鳴が、静寂を切り裂いて煤けた床へと落ちる。鼻につくのは様々な物質が焼けたであろう焦げた臭いばかりで、日の出が近いとはいえガレージはひどく薄暗い。もっともひどく焼損しているのは中央に駐車された車体で、もし、仮に此処に誰かが居たならば、この車体のようになっているに違いないことは誰の目から見ても明らかだった。

冗談やないで───。額から滴る汗を拭うことも忘れ、目を覆いたくなるような惨憺な光景に服部は内心でそう呟いた。ふらふらと、想い人の名を叫びながら煤けた床を踏み荒らす戸叶の姿はしっかりと視界に捉えていたが、服部の脳裏にチラつくのは出会ったばかりの無愛想な青年の姿だった。

最初は、ほんのちいさな好奇心だった。年配ばかりの退屈な車内で、いっそう目を引く華奢な体型に服部は思わず目を奪われた。一瞬、工藤かとも思ったがその気だるげな横顔は記憶にある姿とはほど遠く、覇気のない、けれど涼やかな瞳はただ静かに流れる景色を追っていた。初版本目当てにこんなけったいなツアーに参加する同い年は工藤だけやと思っていたが、どうやらそうでも無かったらしい。とはいえ、それだけでも服部の興味を引くには充分だった。
実際に話した時間はほんの僅か。それも服部が一方的に話していただけで、青年はとくに相槌を打つこともなく黙って服部のはなしを聴いていた。数分前まで寝ていたからか至極眠たげで、どうでも良さそうではあったが、それでも話の腰を折ることは無い青年に服部は好感を持った。取っ付き難い奴かと思えば案外そうでもなく、その人形のような表情がわずかに崩れる瞬間を服部はわりと気に入っていた。

服部にとって、知り合ったばかりの他人が変わり果てた姿になることなど、よくある事だった。金谷だってそのひとりのはずなのに、それが彼に変わっただけでひどく心が冷えた感覚がしていた。茫然と立ち尽くすちいさな少年を気遣う余裕もなければ、啜り泣く彼女を励ます気丈さも保てず、いつもなら我先にと現場を検証するその足も、まるで沼に嵌ったように動かない。
一体、誰が予想できたというのか。証拠や現場を捜索するのに必死で、他を気にかける余裕が無かった己の視野の狭さを今更、悔やんだところでどうしようも無いことなどわかっているのに、もしも、なんてくだらない想像ばかりが服部の思考を覆う。知人と呼ぶにも浅い関わりしかない彼の安否に、くしゃりと前髪を掻き潰した時だった。───「おい!しっかりしろっ!!」焦燥の混じった荒い小五郎の叫声が、突如、澱んだ空気を斬り裂いた。





コイツ、ちゃんと生きてんのやろな?そう、難しい表情で呟いた服部にオレは力なく頷いた。きっと、オレも似たような表情をしているに違いない。おっちゃんに抱えられてリビングの床に寝かせられたなまえの顔色は、蘭が持ってきたありったけの布団よりも青白く、白皙の肌にはどす黒い煤がこびりついている。呼吸さえしていなければきっと、誰もが精巧な人形だと疑わなかっただろう。それくらい、横たわる彼の姿にはまるで生気が感じられなかった。

「なまえ⋯っ!」
「大丈夫だ、蘭。気を失ってるだけだ」

ぐったりと脱力した四肢と、ぴたりと閉じられた長い睫毛。その傍らで涙ぐみながらも必死に名前を呼ぶ蘭の姿もろとも、切り離すようにオレは視線を逸らした。間違いなくなまえは、綾子さんが狙われる可能性に気づいていたのだろう。彼の姿がガレージにあったのがその証拠で、気づけたはずなのに推理に没頭していた己の不甲斐なさにギュッと硬く拳を握る。

「きゅ、救急箱です⋯!」

大したものは入ってませんが⋯。急いで取ってきたのだろう、そう弾んだ息を整えながら申し訳なさそうに言った使用人から手渡された救急箱を、蘭がお礼を言って大事そうに両手で受け取った。「姉ちゃん、なんか手伝えることあるか?」「それじゃあ綺麗なタオルとお水、汲んで来て貰ってもいい?」「ああ、わかった!」一瞥もくれず、そうお願いした蘭に服部が神妙に頷いて、投げるような返答と共に慌ただしく走り去っていく。その手中にはなまえのだろう、形状のない黒く焼けた帽子が握られていて「コナンくんも手伝ってくれる?」「あ、うん⋯」いつの間に。けれど、そう思った思考は蘭の言葉により一瞬で霧散した。

脚を運べば、よりいっそう痛々しいその姿が視界を焼いた。血の気の抜けた唇と、浅く、荒い呼吸にぐっと下唇を噛み締める。相談くらい、して欲しかった。あの時、一言でも言い添えてくれていたら守ることもできたかもしれないのに、そうしなかったのは所詮、彼にとってオレは頼りないちいさな子供でしかないからだ。自分でそうあることを望んだはずなのに、金谷さんの時にしろ今回にしろ、無茶ばかりする彼にお門違いにも責める言葉が浮かんでは萎んでいく。
幸いなのは、これといって目立った外傷がないことだろうか。火の粉が飛んだのか、白い肌のところどころに赤い点が痛々しく刻まれてはいるが、別段、跡に残るほどの火傷ではない。それに、正しく言えばなまえが倒れていたのはガレージとペンションを繋ぐ廊下の戸口から数歩進んだ位置だった。おそらく、突然の爆発に逃げ遅れて煙を吸ってしまったのだろう。だから、おっちゃんのいうように気絶しているだけだ。気絶しているだけ。なのに、こうも不安になるのは彼の殊更蒼白い肌のせいか、それともその儚さ故か。とにかく、蘭が治療するのを横目に、じりじりとした恐怖に焼かれながらも、オレにできるのはただ待つことだけだった。






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