※××しないと出られない部屋 真っ先に感じたのはやけに柔らかな布団の感触と、頬にあたる誰かの息遣い。うっすらと開けた視界の先、見慣れない天井からぶら下がる照明の明かりが、ぼやけた瞳にいたく突き刺さった。どこだ、ここ⋯?緩慢に身を起こせば、ぐらりと視界がぶれてとっさに額を抑える。カシャリ、と指の腹に当たった眼鏡が鼻先で跳ねた。身体が、頭が、やけに重い。まるで鉛を仕込んだような頭部の重みに顔を顰めながらそのまま、オレはぐるりと辺りに目を走らせる。 「まさか⋯、誘拐か⋯?」 見たところ、オレがいるのはこじんまりとしたちいさな部屋のようだった。一面、真っ白な壁に覆われ、窓どころか扉もない空間は、部屋というよりも四角い箱と言った方が近いだろう。ぽつんと置かれた一本足の丸いテーブルが一脚と、そしてオレが寝かされていた寝台を除けば、あとは、数本のペットボトルしか入らないような簡易な冷蔵庫があるくらいで。 まさか、奴らだろうか。そう、連れ去られる前の記憶を掘り起こしていたオレの耳に、ふと微かな呻き声が届いた。顎に添えた指をそのまま、横目だけでちらりと確認したオレは、そこで漸くオレ以外の人物の姿を認識した。 「なっ⋯?!お、おい!みょうじ!起きろ!」 なぜ、彼が。僅かな焦燥を抱えたまま、深くベッドに沈むみょうじの肩を軽く揺する。まったく、気が付かなかった。白い部屋と同化した彼の姿が恐ろしく感じる。しつこく声を掛け続ければ、だらりと顔の横に投げだされていた指先がピクリと動いた。横向けの体制で眠っていたみょうじの長い睫毛がゆらりと動く。 「ん⋯なに?」 ぱちりぱちり。数回の瞬きの後、漸くみょうじの視界がオレを捉えた。「いや、なにって、おめー⋯」それはこっちが聞きたいくらいだ。ふわあと軽い欠伸をもらして、のろのろと鈍い上体を起こすみょうじにオレはちいさく脱力する。まったく、緊張感の欠片もない。そんな毒気を抜かれたような気分のオレと反して、「⋯は?なに、ここ。どこ?」みょうじはやっとこの異様な状況を理解したようだった。 「わっかんねぇ⋯」 まだ、なにも。独り言のような呟きに、頭を振ってそう答え、徐々に重みの引いていく額をくしゃりと潰す。唯一わかっているのは閉じ込められた、ということだけだった。 「なぁ、拉致される前の記憶、おめー覚えてるか?」 ひと通り、部屋の中を調べ終えたオレたちは、ひとまず情報を整理する為に並んでベッドに腰掛ける。「たしか⋯お前らと別れて、家に帰る途中だった、と思う」みょうじは、冷蔵庫から拝借したペットボトルの蓋をカチリと回しながら言った。 「ああ、オレも⋯って、そんな得体のしれねぇもん飲むつもりじゃねーだろうな?」 「けど、飲料確保は大事だろ」 そう、けろりと言ってみょうじは「あっ!おいっ!」止める間もなくあっさりとペットボトルを口に含んだ。「毒でも入ってたらどうすんだ?!」こくり、と喉を鳴らしたみょうじに、慌てて吐くように促すが彼はそんなオレをあしらうようにペットボトルを押し付ける。 「ただの水だよ」 「そういう問題じゃ⋯っ!」 「大丈夫だって」 面倒くさいとばかりに片眉を歪めたみょうじに、ピクリと口端が引き攣るのがわかった。このやろう⋯!握り締めたペットボトルが嫌な音をたててベコリッと凹む。わなわなと震えるオレに関せず、みょうじは澄ました表情でただ白い壁を見詰めていた。 これが、仮に灰原と一緒だったなら互いにもっと冷静に現状を整理できただろうし、奴らの犯行だという可能性もぐんと上がる。もし蘭だったなら、オレはどんなことをしてでもこの現状を打開する方法を必死に探していただろう。 ほんとうに、なんでみょうじなんだ。はあ〜っと肺からどっぷりとした息を吐き出して、オレは深くベッドに腰を沈めた。相変わらずのなにを考えているのかわからない涼し気な表情には、焦りも不安の色も浮かんじゃいない。それは、焦っている此方が馬鹿馬鹿しくなるほど。まだ眠そうに瞼を瞬いている精巧で、その呑気な横顔にオレははあっと警戒を解いて気の抜けた身体をごろりと倒した。 どうもコイツといると調子が狂う。それはあの図書館の件しかり、ツインタワービルの件しかり。無愛想でつまらなさそうで、生気とか意欲とか、とにかく気という気をごっそりと捨てたような性格をしているのかと思えば、そういう訳でもないようで、たまにこちらが面食らってしまうほど、みょうじは意外な行動力を発揮する。ついつい目で追ってしまうのは、たぶんきっと、そのせいだろう。加えて、小学生とは思えないほど頭も切れるのだから、つくづく厄介な男である。 オレはちらりとみょうじを見やった。色素の薄い、やけに艶のある髪の毛先が、彼の呼吸に合わせて小さな耳の横でゆらゆらと揺れている。急いで、此処から出たほうがいい。それをわかっているのに、無気力で、大人びた彼の横顔を見ていればどうもそんな気力が削がれてしまう。 そのうち、向こうからやってくんだろ。身代金目当てにしろなんにしろ、拘束されている訳でもなければご丁寧にも飲料水まで用意されているのだ。すぐに殺すつもりはないのか、だったらまずは相手の目的を探るほうが得策だな、そうぐるりと思考を巡らせていたオレの視界が不意に、黒く暗転した。 「あ⋯?」ぱちり、と瞬いた視界に、影を落とした薄い琥珀色のビー玉がうつった。ぎしり、と耳の傍でベッドの軋む音がして、額に、細い毛先が触れる。カチリ、と思考が止まった。いや、この場合、ソレがなにかを認識することを思考が放棄した、と言ったほうが正しいのかもしれない。とにかくオレはだんだんと近づいてくるみょうじのやけに整った、形の良いアンバーの瞳を、ただ、瞠目して見詰め返すしかなかった。 みょうじの息が、唇に掛かる。瞼を閉じることも、声を発する声帯もなにもかもが制御されたかのようにまるで動くことができなかった。ふにっとした柔らかな感触と、頬に掛かる、生暖かい息遣い。鼻腔を満たす甘ったるい匂いに、オレはたぶん、無意識に呼吸を止めていたんだと思う。 時間にすれば、きっと一秒にも満たない、ほんの一瞬のことだったんだろう。けれど、オレにとってはそれがやけに長く感じて「なっ⋯!?」微かなリップ音の後、目を刺激した照明の明かりに、ぶわりと脳が覚醒する。 「な、い、いきなり何すんだおめーは⋯っ?!」 ガバリと勢いよく身を起こしたオレを、みょうじはまったく見ちゃいなかった。「やっぱりだめか」それどころか、なにもなかったような表情で、平然と白い壁を見詰めていた。 「は、はぁ?!おい、ちゃんとわかるように説明しろっ!!」 動揺するオレがおかしいのか。そう、錯覚してしまうほどの冷静な横顔にぶわりと上昇した体温が、急激に冷めていく感覚がする。それがなぜか無性に苛立って「おいっ!」わずかに怒気を滲ませたオレの呼び掛けに、やっとみょうじはオレを見るのだ。 「ポケットに入ってた」 そう言って、みょうじが摘んで寄越したのは四つ折りに折り畳まれた白い紙切れだった。「はぁ?ポケットに⋯?」少しだけ皺のついたそれを左右に引っくり返して確認するが、表面には宛名もなにも書かれていない。オレのポケットには携帯も、探偵バッジもなにも入っていなかった。きっと取り上げられたのだろうと思っていたが、なぜみょうじのポケットにだけコレが入っていたのか。 「⋯この部屋を出たければ、キ⋯──はぁ?!!」 オレは、かさりと紙を開いて、そして瞠目した。ンだこれ⋯!!筆跡が分からないようにする為か、ワープロで書かれた文字をあんぐりと見詰めたまま、言葉を失うオレの指先からするりと紙が引き抜かれる。 「理解できた?」紙を、無造作にポケットに仕舞い込みながらみょうじが窺うようにオレを見た。 「おい、まさか、コレを信じるってーんじゃ⋯」 「まさか。でも、そっちのが手っ取り早いかなって」 つまり、信じちゃいねぇが試す価値はあるってことだろう。「まあ、やっぱ、頬じゃダメだったみたいだけど」そう、飄々と言ってのけたみょうじに、オレはじとりとした視線を向ける。「つーか、見付けたんだったら先に教えろよ」無駄に整ったその顔は、いくら同性で、小学生とはいえ、些か心臓に悪いのだ。漸く落ち着いた心音に、オレはひどく疲れた気分で息を吐き出す。 「言ったところで信じないくせに」 「信じるとか信じねーとかじゃなくて、オレは情報を共有しろっつってんだよ!」 この閉じ込められた状況では、ほんのちいさな紙切れだって貴重な情報源には違いないのだ。犯人の動向がわからない今、こっちはすこしの情報だって惜しいのに「はいはい。悪かったって」そうおざなりに片手を振るうみょうじの姿に、ピキリと米神に青筋が浮かぶ。ほんとうになんで、コイツとなんだ。そう、じっとりと責めるような視線を送るオレのことなど、みょうじはまったく気にも留めていないようで「それで、どうする?」淡々とした口調でそう言った。 「どうするったって⋯」 「俺としては早いとこ此処から出たいんだよね」 「わーってるよ。だから、こうして犯人が来るのを待ってんじゃねーか」 「だから。ただ待つよりも、もっと手っ取り早い方法があるってはなし」 「は、⋯はぁ?!!」 そう平然とした口振りで、けろりと吐いたみょうじの言葉に、オレは声を荒らげて仰け反った。つまり、あの紙に書かれた、ふざけた行為を試してみるということだろう。んな簡単に開くかよ。そう思っているのに、目は自然とふっくらとしたちいさな唇を追いかける。「あのさぁ、」オレの反応をどう捉えたのか、みょうじが微かに眉を顰めた。 「俺だって、べつに、したくて言ってる訳じゃないんだけど」 不本意だと、そう言わんばかりの冷めた視線に、まるですっと胃のあたりが冷えるような妙な感覚がオレを巡った。「そりゃ⋯そう、だよな」同性で、しかも仲がいいとはいえねぇ相手としたいと思うわけが無い。そう、わかってはいるのになぜか、口からは乾いた笑みがこぼれ落ちた。意識している、それを認めたくはなくて、悟られたくもなくて、すこしだけ訝しげな表情でオレを見やるみょうじに、だからたぶん、オレは投げやりになっていたのだ。 「⋯おめーが言い出したんだからな。後悔すんじゃねーぞ」 吐き捨てるようにそう言って、鎖骨のみえる緩い襟元を鷲掴む。「後悔って⋯」「うっせー」ちょっとだけ瞠目した表情も、呆れたような吐息をも振り切って、些か乱暴に唇を押し当てた。 ← → back / top |