御堂の灯8

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三吉三 / 妖怪パロ

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 ぎょうぶ、とは佐吉だけが口にする、吉継の呼び名である。佐吉以外の、坊主も、小姓共も、皆が皆、吉継を紀之介と呼び、それ以外で呼ぶ者は一人もいなかった。
 何故なら、その頃の吉継は、紛れもなくただの寺小姓にすぎぬ、大谷紀之介であったのだから。

 初めて顔を合わせた時から、佐吉が吉継を呼ぶ名は既にぎょうぶであった。どういう経緯で言葉を交わすことになったのか、まだやっと1年が過ぎたあたりなのにもう定かには覚えておらぬ。ただ、寺に預けられる小姓共が皆そうするように、泣きながら親に取りすがって、置いていかぬでくれとわめくようなことは、佐吉はけしてしなかった。そうして気づいた時にはもう、静かに吉継の傍に座っていたのだ。
「ぎょうぶとは刑部尚書のことかえ」
 戯れに、一度だけそう訊ねたことがある。実のところ、どう呼ばれようが吉継にはどうでも良かったし、少なくとも佐吉の口にするぎょうぶには、吉継に対する親しみが明らかであったから、気を悪くするようなことは欠片もなかった。
 単に何度教えさとしても、頑なにぎょうぶとしか呼ばぬ子どもの、その頑なさに対して興味があった。期待もないとは言い切れぬ。人間というのは、概して自分が特別な存在であると思いたがるもので、特に子どもにはそれが顕著だ。
 しかし、その時の佐吉はちょっと考えるそぶりを見せただけで、
「しらん」
 にべもなく吉継の自尊心を打ち砕いてくれたのだった。
「知らぬとは……なら、なにゆえ、ぎょうぶと呼びやるか」
「きさまはぎょうぶだろう」
「そんな名になった覚えはないがなァ」
 またいつもと同じ流れか、そう思った時である。
「だが、さいごにきさまをたしかにぎょうぶとよんだのだ」
 眉間にきゅっとしわを寄せて、佐吉が言った。それっきり、どういうことかといくら問いただしたところで、ぎょうぶはぎょうぶだという、答えとは言えぬ答えしか返ってくることはなかった。

 先を行く佐吉は、まるで昼間の道を行くような足取りである。灯籠はいまだ吉継の手にあるというのに、まさかこの闇で目が見えているとでもいうのだろうか。
「草ですべる。気をつけろ」
 そのくせ、振り向きもしないで吉継の足元を注意するというのだから、ほんに恐れ入る。不思議は不思議だが、それでも佐吉ならば仕方がないと、深く追及しない自分にもまた、吉継は苦笑した。

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2011/11/10

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