月弓3

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三孫 / 関ヶ原後

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 ぽかんと虚を突かれたように己を見る三成に、孫市はもう一度同じ言葉を繰り返した。
「くれてやる、と言っている」
「……貴様、家康を裏切る気か?!」
 最初は戸惑いに、次いで驚愕、猜疑へと目まぐるしく変わる表情は、最終的に怒りとなって孫市へ向けられた。わずかに起こしかけた上体に、ぎらり、と光る金緑の瞳。飛びかかる前の獣のような姿に、孫市はほぅ、と声を漏らす。
「お前、たとえ相手が徳川だろうと、我らが裏切るのが許せないのか」
「家康だろうが、何だろうが、裏切りは許さんッ!」
 強い口調で言い切って、きっと孫市を睨み付ける。それは孫市がこの城で暮らしはじめてから初めて見る三成の姿だった。
 確かに、まだこの男は生きているのだと、初めてそう思えた。
「落ち着け、石田。我らは一度交わした契約を反故にすることはない 」
「……そうか」
 言うなり、ぱたりと床に倒れこむ。糸の切れた繰り人形のように、投げ出された四肢には生気がない。
 その様は今までとまるで同じようで――孫市には、まるで違って見えた。
 この男は、石田は、本当に諦めているのだろうか。心から心酔し、神とも崇めた主の仇を討ち取るのを? そうして今は、唯一無二の友人の仇ともなった家康の首を?
 ぬしは賢しいなァ、と今は亡い男が口にする度、それは幼い子どもに向けるような、優しいだけの誉め言葉なのだとずっと思っていた。あの男はいつでも、三成に対してはそんな風にしか喋らなかったから。
 考えることを止め、復讐だけを糧に生きるような男の何が賢しいのかと。だが、確かにあの戦では、あの戦でだけは、彼の刃は仇に届く機会があったのだ。
 日ノ本六十余州を従え、征夷大将軍の座についた今となっては、馬より速く駆ける足が、振るう刃があったところで、その首には届かない。
 それを三成はわかっているのだ。わかっているからこその、現状なのだろう。
「我らが交わした契約は一つ。“なんとしてでも石田三成を生かすこと”」
 何を言う気かと、三成が薄く開いた瞳を孫市へ向ける。
 それに唇だけで笑ってみせて、孫市は手にしていた銃を三成の目前に放り投げた。ごとり、と重たい音を立てて、鉄塊が床に落ちる。
「取れ」
 金緑の目が、ちらりと銃を一瞥する。
「契約では、契約主の命の保障はしていない。だが、それでもお前の言う裏切りに当たるのならば」
 お前がすればいい、と孫市はつとめて何でもないように口にした。さもそれが、容易なことであるかのように。当然の成り行きであるかのように。
「銃の扱い方ぐらいは教えてやる」
 銃弾ならば、届くだろう?

「真っ直ぐに構えろ。銃身は動かすな。銃身がぶれれば弾道もぶれる」
 銃身を押さえながら、淡々と問題点を指摘する。指先から伝わる震えは、鋭い舌打ちの後も止まることがなかった。
 片腕では重いだろう、そう口にすれば余計に意固地になるだろうから、孫市は口をつぐんでいた。
 三成が使っているのは士筒と呼ばれる腕よりも長いくらいの種子島である。放つ弾丸の重さが十匁もあるから、その分銃身も長いし、銃自体の重さもある。片腕で扱うには、不向きどころかまったくもって無謀な代物だ。
 片手で扱うなら、短筒か、精々が中筒だろう。孫市の勧めに反して、三成が求めたのは“最も威力の高い銃”だった。
「いくら威力があっても、命中しなければ意味がないと思うが」
「当てる」
「その構えで当てられたら、雑賀の頭領を譲ってやる」
「いらん」
 ばん! と銃口が火を吹いた。耳をやられそうな爆発音が、静かな城内では余計に響いて、孫市は思わず眉間に皺を寄せる。けれども、三成にしてみれば、それどころのはなしではなかったろう。弾丸が重くなれば、発砲の反動もそれに比例して大きくなる。均衡を崩してごろりと背中から後ろ向きに倒れた三成の顔を、孫市は真上から覗き込んだ。
「休憩だな」
「なっ……まだやれ、」
「そろそろ夕餉の時間だ」
 言い捨てて、孫市はくるりと踵を返す。銃を扱う時は必ず孫市が立ち会うと、初めに銃を渡した時に約している。不承不承ながらも一度は交わした約束を、そう簡単に破る男ではない。
 恐ろしく機嫌の悪い顔をしながら、それでも食事の冷めぬ頃には部屋に戻ってくるだろう三成を想像して、孫市はふふ、とわずかに笑った。
 銃の鍛練を始めてから、三成はまともに食事をとるようになった。以前に比べれば、という注はつくものの、それでも箸を自ら手に取るようになった分、今までとは天と地ほどの差があるように思う。
 盛られた米を数度口に運び、小皿のいくつかに手をつける。成人男子の食事量とは到底思えない。結局、最後には孫市が手ずから食べさせてやることになるのだが、かわいいくともなんともない、いい歳をした男が眉間に皺を寄せながら他人に食事を食べさせられている光景というのは、少し可笑しい。言えばやはり、意固地になって食べなくなっては困るから、孫市は黙っている。けれども。
「ふふっ」
 三成の目の届かない場所では、笑いももれるというものだ。

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2012/10/29

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