月弓4

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三孫 / 関ヶ原後

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 そんな風にして幾月かが過ぎた。相変わらず大坂城内には、日に数度、爆発音が響いている。
「銃口はもう少、」
「うるさい。黙っていろ」
 すっと伸ばされた腕の先の銃身は、ぴたりと止まって動かない。まるで刀を構えるように、真っ直ぐに銃を的へと向ける。
 普通ならこんな構え方はしない。しても短筒の時だけで、中筒より長いものは両手で支えなければ銃弾を放つことさえ難しい。両手でもって、顔の傍まで銃身をぐっと引き寄せて、そうしてやっとまともに狙いが定まるのだ。
 それを、三成は弓でも引くように腕を伸ばして引き金を引く。
 パァン、と爆発音がして、ぐらりと細い体が大きく揺れた。倒れるまではいかない。二歩、三歩とたたらを踏んで、それでも踏みとどまっている。
 元は引きずるほど長い刀を己の腕のように扱っていた男だ。細くは見えてもそれなりの力は有している。ここ数ヵ月の怠惰によって少しは落ちていたとしても、まともに食事をし、鍛練を続ければ、力の戻らぬ訳はない。もっとも、まさか士筒を片手で扱えるほどになるまでとは、孫市にも予想がつかなかったが。
「……いい加減、本気でお前に雑賀の頭領を譲ることを、考えなくてはならないな」
「そんなものは、いらん」
 銃弾は、見事に的の中央を射抜いていた。

「徳川が江戸から大坂へ、内密に下向するらしい」
「なんだそれは」
「お前の願いを叶えてやろうと思ってな」
 日課の鍛練を終えた後、並んで銃の手入れをしながら口にした言葉に、三成はぐるんと首を回して孫市を凝視した。目を見開いて、信じられないものでも見るような眼差し。その常にない様子に孫市はつい笑いそうになるのを抑えて、わざと憮然とした表情を作る。
「まさか、我らが偽りを口にしたと思っていたのか?」
「そんなことは……っ、ない! 私は貴様を信じている!」
 きっ、と睨みつけてくる目は、むきになった子どものようだ。とうとう堪えきれなくなって、孫市は声を出して笑った。
「そうだな。そう、お前は賢いからな」
 偽りとまでは思っていなかっただろうが、実現する見込みは限りなく低いとでも考えていたのだろう。今や征夷大将軍ともなった男を狙うのに、その居城に忍び込むなどというのは論外であり、そう頻繁でもない外出時を狙うと言っても、当たり前のように周りを大勢の供の者に囲まれているから、視界に捉えるのさえ困難だ。確かに銃弾は届くだろうが、そもそも狙いがつくものか。
 それに、三成はこの城を出ることを許されていない。いくら豪奢な――特に華美とも言えないが、そこいらの小名共よりはよっぽど贅沢な暮らしをしていようとも、彼は虜囚であり、この城は牢獄なのである。
 しかし、だからと言って孫市は彼の看守ではない。
「だが、我らは誇り高き雑賀衆。契約でなくとも、一度約した言葉を違えることはない」
 なにがあろうとお前に徳川の首をくれてやる、そう笑って見せれば、三成は一瞬、戸惑ったように顔を伏せて、そうしてふっとはにかむように笑った。
「貴様、刑部に似てきたな」
「それは我らに対する挑戦か?」
「誉め言葉だ」

 ――その十日後、三成は追い続けた仇敵へ向かって引き金を引いた。

 強く風が吹きつける。肌にべたりとした塩の感触を残して去っていくそれに、孫市はいつまで経っても慣れない気分で腕を擦る。
「擦れば、余計にべたつく」
 暗にやめろ、と言われて、孫市は声の主を見返した。
「お前は随分慣れているようだな、石田」
「秀吉様にお供させていただいて、色々な場所に行ったからな」
 船旅は慣れている、と口の端を軽く持ち上げるだけで笑って見せた三成は、成程、嘘やはったりではない証拠に陸にいるのとそっくり同じ調子である。ぐらぐらと右へ左へと絶えず揺れ続ける船上でも、まるで頓着せずにわずかに体を傾かせるいつもの姿勢で立っているのを、信じられない気分で睨み付ける。
 山育ちの多い雑賀衆の中には、船酔いで潰れている者も少なくはない。孫市も無様な態こそ見せてはいないが、多少の顔色の悪さは仕方がない。一体、慣れだけで、この気分の悪さはなんとかなるものなのか。
「朝鮮にも、明にも行った。とうとう、切り従えることはできなかったが」
「いつか徳川がやるのではないか?」
「家康はしない。明を相手に戦をするには日の本だけでは兵の数が足りん。兵站もどうしても伸びる。十中八九負けるのがわかっている」
 その言い方では、あの戦は負け戦だったのだと暗に言っているようなものだった。主君の正しさを殊更信じてやまない男のらしからぬ言に、孫市は少しだけ驚いて、そうしてゆっくりと目を閉じた。
 当たり前のことだ。もう、彼の主はいない。死んだのではない。彼がもう彼ではないという、それだけのことだった。

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2012/10/29

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