治部殿狐17

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三吉三 / 人外 / 文学パロ

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「陸奥守殿」
「……そなたか」
 主を見下ろし目を細める陸奥守の傍に、左近はさっと膝を進めた。陸奥守をはさんで向かい側、兵庫が同じように首を垂れているのが見える。
「お久しゅうござる」
「挨拶はよい。これは何事ぞ」
 いよいよもって狂ったか、言う陸奥守の目は再び元の冷たさを取り戻していた。
 彼の人の感情は左近にもわからぬ。真しか言わぬ主に比べれば、陸奥守の言は嘘ばかりだ。その謀才は神の域にあるとまでいわれる彼の真など、一介の妖に過ぎぬ左近にわかろう筈もない。
 左近に出来るのは、ただ問われたことに答えるのみである。
「人間が一人、死にましてございます」
「人間?」
 陸奥守は訝しげに辺りを睥睨し――ある一点で息を飲む。千切られた腕やら首やらが散乱する、惨憺たる様相の天守において、彼の視線は確かに一人の人間をとらえていた。
 血が飛び肉が散らばるその中で、彼だけが完璧な遺骸だった。だからといって、陸奥守がただの人間に目を留めるわけがない。
 一体、あの人間は、何者だったのだろうか。
「そなた……死んでおったのか」
 死んだ人間に対して、不可解な問いを陸奥守は口にする。それを疑問と思う間もなく、言葉は続けられる。
「そなた、一度は死んだのであろう。ならば、未練はないということぞ。何故、今ここにいる」
「陸奥守殿」
 それはもう、と口を挟もうとした、その瞬間、ぴくり、と死んだはずの体が震えた。
「なっ……!」
「再び死にたいというのならそのまま死ねばよい。あの時と同じに、あやつを置いて、な」
 我は止めぬ。吐き捨てられた言葉に、睫毛が、唇がわなないた。だらりと弛緩していた指先が、意思を持って床をさ迷いだす。その動きは本当に些細なものであったが、しかし、ただの遺骸には決して真似の出来ぬ動きであった。
「み……な……」
 蚊の鳴くよりも微かなうめき。けれども、それを境に唸り声は止んだ。分厚く晒の巻かれた手の甲に、白い細い指がそっと被さる。
 いつの間にやら人の姿に戻った主が、男の顔を覗き込むようにして傍らに座している。
「刑部」
 吐息のかかるほどの距離で、
「貴様はまた、私を置いて逝くというのか」
 血の気の薄い、主の白に近い唇が、静かに静かに、そう言った。

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2011/08/27

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