初春2

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三吉 / 女体化 / 豊臣軍

※蝶嫁御番外編。

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 一行は城下に入った。ああ見えて意外な派手好きである太閤の――もしくは軍師の計略によって計算されたきらびやかさは、南蛮文化の色濃い豊後の民をも惹き付けてやまないようだった。
 だった、というのは、吉継がそれを直接は見ていないからである。己もかつては住み暮らした城下といえど、平素ほとんど屋敷に閉じ籠っていた吉継にとっては特に馴染みも感慨もない。それよりかは己を知る者の目に留まる方が面倒だと、一度は開け放った窓を再び閉じて暗い車中に身を潜めていたのである。賑々しい行列の中、いっとう素晴らしい馬の引く車に注目が集まらぬわけがないが、窓さえ閉めていれば内部がどうなっているかなど、明かり取りにも難儀するような車だ、外からうかがい知れるはずもない。吉継はここに来て、初めてこの車の造りに感謝した。
 吉継と違って車に籠る必要のなくなった半兵衛は、押し込められていた反動のように、今は馬上の人となってにこにこと愛想を振りまいている。代わって吉継の正面に座るようになったのは、
「静かだな」
 本来ならば、太閤の左腕として側近くに控えておらねばならぬはずの三成だった。
「ヒヒッ、太閤の晴れ姿が見られぬて、ぬしにはすまぬことをしたな」
「構わん」
 ただの示威行動だと半兵衛さまも仰られていた、と言われれば、吉継に返す言葉はない。戦から帰る度、秀吉さまがああ為されたこう仰ったと息つく間も惜しいとばかりにまくし立てられる身としては、この落ち着きようは不思議に思わぬでもないが、考えればほぼ毎日のように顔を付き合わせる仲なのである。そう一挙一動に注目していては到底側仕えなど勤まらぬであろう。きっと吉継のおらぬところでは、三成も年齢以上にしっかりとした子どもなのであろう。吉継には、どうにも自分より随分下の子どもにしか思えないが。
「府内は大きな町だな」
「そうよなァ、九州では一番であろ。元から大きな町であったが、屋形さまの代から南蛮との貿易で更に栄えやった」
「南蛮か」
 南蛮に対する応対はその地方の領主によって異なる。見た目が異なるのを理由に南蛮人を毛嫌いする領主いれば、この豊後のように主が南蛮の宗教に傾倒している故に、南蛮渡来の事物が町に溢れているような国もある。良いか悪いかはさておき、物の行き交いは町を賑わしくするものだ。
「ぬしはおるがのを見たことがありやるかえ」
「京の南蛮寺にあったというのを見たことがある」
「ならば、象は」
 三成がはっと息を飲むのが、薄暗闇の中でもわかって、吉継は唇の端を軽くつり上げた。
「貴様は見たことがあるのか」
「幾年か前のことよ。京に連れていくというので南蛮人が船に乗せてきやったのを、ちらりとな」
 まるで山が動いているようであったわ、と言えば、三成は年相応の子どもの顔で、もっとくわしくと話をねだる。城につくまでの間、吉継は笑いながら、三成の気のすむまで象や南蛮の珍しい話をしてやったのだった。

「遠路遙々よくいらっしゃいました。手前は大友家家臣立花宗茂と申します」
 秀吉と並ぶほどの巨体がわずかに頭を下げる。門前の兵に取り次ぎを恃んだところ、出てきたのがこの男だったのだ。
「やあ、君が宗茂くんか。噂はかねがね聞いているよ。なんでもその武勇、鎮西一だとか」
 にこり、と美しい――吉継からしてみれば底の知れない笑みを浮かべて、世辞のような言葉を口にする半兵衛は既に馬を降りていた。その隣の秀吉も同様である。
 日の本のほぼすべてを治める天下人たる秀吉とその直臣である半兵衛、正確にはそうではないが、豊臣傘下の武将の家臣、すなわち陪臣である宗茂との間には、本来ならば馬上からの会話が許される程の身分差がある。だが、半兵衛があえてそれをしなかったのは、やはり九州一の名家に対しての配慮であろう。
「……サテ、当の主はどこへ行きやったか」
 まさか半兵衛ともあろうものが先触れを忘れたとも思えないし、家内に知らされていないというわけでもないのは、戸惑いながらも通された東丸が準備万端に調えられているからだ。寝具や調度にいたるまで、過不足というものがない。これだけの物を用意するには、やはり一月はかかるだろう。
 府内の城は当代に入ってから、だいたいが南蛮風に作り替えられているのだが、ここ東丸だけは見事な枯山水を持つ純和風の建物であった。さすがに重臣の反対にあって、来客用にと一つは先代そのままの様式を残すことになったのである。つい何年か前までは、城のすべてがこのような趣であったはずであるのに、正門から向こう、山里曲輪さえも山里という名ながらもどこか異国の香り漂う城内を見て回った後では、こちらの方が物珍しく感じられるのだからおかしなものだ。
 最初の驚きはすっかり落ち着き、三成はてきぱきと荷ほどきにかかっている。吉継も手伝おうとはしたのだが、茶が飲みたいと言われれば煎れぬわけにはおれなかった。吉継を休ませるための体の良い断り文句だとはわかっているものの、上手い反論のできた試しなど一度もない。それでいて、この年下の夫には妻を甘やかしている自覚など、まったくないのだから困ったものだ。ついつい甘えてしまう己も己なのだけれども。

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2012/01/16

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