さらば君2

*

オリ主 / トリップ

*



 ここでちょっと、歴史のお勉強。
 徳川家康、といえば日本人ならほぼ九割は知っているだろう歴史上のいわゆる“偉人”である。安土桃山時代、一般的には戦国時代と言われる時代を中心に活躍した人物で、1600年に起こった天下分け目の大戦、世に言う関ヶ原の戦いで勝利を納めた東軍総大将であり、その後、265年の長きに渡る江戸時代への基礎を築いた、江戸幕府初代征夷大将軍である。
 織田信長、豊臣秀吉とともに戦国の三傑と呼ばれているとかいないとかで、全国的に人気は高いらしい、が。
 ぶっちゃけ、私、家康嫌いやねん。
 私に限らず、大阪府民には徳川家康が好きという人は結構少ない。(※私調べ)もちろん、全員が全員っていう訳ではないけど、でも、なんでか、少ない気がする。これはなぜか、といわれれば、大阪は太閤さんのホームだから、ということになるんだろうと思う。
 徳川家康が江戸幕府を開くまで、政治の中心地は豊臣秀吉のいる大阪だった。
 サルとか成り上がりとかいったイメージの多い秀吉だけど、でも、逆に一介の農民から天下人になっちゃったんだって考えると、マジですごくない? これは並の才能じゃできないよ。
 まぁ、最近では、実は秀吉は農民じゃなくて武士階級だったっていう説もあるらしいんだけど。
 とはいえ、家康と秀吉だったら、断然秀吉! と即答できる程度に秀吉好きな私は、それに対応するように、豊臣家を滅ぼした家康が嫌いなのである。腹黒タヌキな天ぷら大好きメタボ親父イメージしかないし。
 ……そういえば、皇居ってつまり、江戸城のことだよね。ということは。
「え、家康の呪い?」
 どんだけ心狭いん!? っていうか、私ピンポイント!?
 ……いや、冗談やけどね。
「ワシは誰にも呪いをかけた覚えはないぞ?」
「そのネタもうええわ!」
 どこまでも同じボケをはさんでくるとは、さては持ちネタなのだろうか。
 ふとそう思って、男の顔をまじまじと見る。居心地悪そうに身じろぎしようとも構うものか。もしかしたら、家康に激似! とか普段から言われているのかもしれない。そうだとしたら、悪いことをした。振られたボケにはきちんと乗るのが礼儀である。
「って、似てへんし!」
 普通にイケメンやん! 誇れ! なぜわざわざ家康って言った!?
「確かに、誰かに似ているとは言われたことがないなぁ。なあ、忠勝」
「!!!」
 ウィィィン、と答えるように鳴る電子音。ハイテクだな……って、ただかつ?
「本多、忠勝? 徳川四天王の?」
「……忠勝の名前を知っているということは、やっぱりお前は間者なのか? どこの手の者だ?」
 不意に細められた瞳。射抜くような視線になぜか、暑くもないのにつぅと背中を汗が流れる感触がした。

*



 目の前にいたのはお笑いのセンスがまったくない、ただのドケチな若い男、のはずだった。それが、今や、視線だけで人を殺せそうな雰囲気をまとって立っている。
 一体、これは誰。
「……あんた、誰」
「ワシは徳川家康だと、さっきも言ったはずだが」
「嘘」
 冗談も大概にしときや。そう続けるつもりだったのに、言葉が、喉の奥に貼り付いて出てこない。
 この男が徳川家康だなんて。そんな、馬鹿なことがあるわけがない。家康は、死因:天ぷらの、タヌキで、メタボな、鳴くまで待っちゃう、ホトトギス親父な、はずで。それがどう間違えば、推定二十代後半爽やか風イケメンになるんだ。ありえない。
「お前が何を疑っているのかはわからないが、ワシはまぎれもなく徳川家康だぞ。……それとも、お前の言う徳川家康は、ワシとは違う人間を指しているのか?」
 不意ににかっと人好きのする笑みを浮かべたかと思うと、瞬時に殺気を引っ込めた男に、私は知らず知らずのうちにつめていた息を吐き出していた。
 お偉いさんと対峙した時、とは少し違う。ただの年上の男性、とも違う。よくわからない緊張感。
 ともかくそんなものから解放された私は、警戒心は強めながら、それでも慎重に、男の問いに答えていく。
「……どうやら、そのようやね。私の知る徳川家康は、もう四百年も昔に死んでる人間やもん。歴史の教科書にも載ってはる……あんたは知らんみたいやけどな。死因はふぐの天ぷらで、享年は75歳。墓所は日光にある日光東照宮で、東照大権現ゆわれて神さま扱いされてはるわ。ちなみに戒名は安」
「ちょ、ちょっと待て!」
 嫌いと言ったわりになんでそんなに詳しいのかと聞かれれば、つまり、敵を知り己を知れば百戦危うからず、というやつであって……いや、本当に嫌いやねん! 本当やで!?
 誰に向かってかわからないが、とりあえず心の中で言い訳を並べ立てる私の前で、男の顔色がみるみるうちに青ざめていく。え、まさか詳しすぎて引かれた……訳では、なさそう。だけど。
「とうしょう……ごんげん……?」
「東照“大”権現、な。まぁ、大して変わらへんけど。それがどうし」
「それ、ワシだ」
 その場にしばし、沈黙がおりた。
「……は?」
「民の中にはワシを東照権現と呼ぶ者もいる。権現、なんて器ではないから、ワシとしてはあまり、呼んでほしくはないんだが、な」
 はは、と照れたように頭をかく男の顔色は、白く血の気が引いていて、冗談を言っている風には、とても見えなかった。
「お前……まさか、未来が見える、とか」
「待て待て早まらんといてっ! 今って! 今って何年……っ!?」
 慶長5年だ、と返ってきた声に、私は目の前が真っ暗になった。

*



 娘の顔がみるまに青くなっていくのを、家康は鏡にうつる自分を見るかのようにながめていた。きっと、己も、あんな風に青白い顔をしているに違いない。
 先ほどこの娘が語ったことは――なんだ?
 四百年? 歴史? 死因? 享年? 墓所? ……神さ、ま?
 わからない。さっぱり意味がわからない。理解できるのは、どうやら娘が話していることが、家康本人のことである、ということだ。
 口からでまかせを言ったにしては、娘の口調はよどみなかった。
 やはり、この娘には未来が……。
「嘘、やろ……慶長5年って……」
「嘘ではないぞ。それで……なんだ、あの……」
 茫然自失とした様子で、視線をさ迷わせる娘に、少しばかり哀れみを覚えながらも、家康は頭をかすめた不安を、口にせずにはいられなかった。
「ワシは……勝つ、んだな? 享年が75だということは、そういうことなんだな……?」
 そして、三成が、負けるということなんだ、な。
「勝つ、って、何に」
 ぐるり、と目玉だけ動かして、吐き捨てるように娘が問う。……そういえば、なんで娘が青くなることがあるのだろうか。死因はおろか、戒名までばらされかかった家康が衝撃を受けるのはまだしも、それをばらした当の本人がこのように捨て鉢になっている理由がわからない。というか、そういえば、そもそもなぜここに。
「関ヶ原の戦いに、だが」
「関ヶ原……あ、関ヶ原! え、今、何月? まさか」
「6月、だが」
 急に元気を取り戻した娘は、それを聞くと、
「よっしゃあああああ!」
 いきなり、叫んだ。

 やる、私はやったるで! と拳を振り回しながら、叫びだした娘をなんとか侍女に引き渡しおえた家康は、一息つきつつ娘の言葉を思い出していた。
「……さっぱりだな。わかるか? 忠勝」
「!!!?」
「ハハハ、お前もわからないか」
 そういえば、娘が忠勝を見てなにやら聞き覚えのない言葉を呟いていたような。
「……がんぷら?」
「???!」
 やはり、意味がわからなかった。
 忠勝と顔を見合せ、首をかしげあっているうちに、かたり、と襖の向こうで音がして、人の訪れを告げた。
「なんだ?」
「はっ、伊達さまがお見えでございます」
「独眼竜か」
 そういえば独眼竜は異国の言葉に詳しかったな。
 独眼竜に相談すれば、がんぷら、なる言葉の意味もわかるかもしれない。そうすれば、あの娘の正体だって、手がかりぐらいはつかめるかもしれない。
「……絆、だな!」
 こんなところで絆の力を実感する、家康だった。

*

2011/02/26

*

+