さらば君9

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オリ主 / トリップ

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25

「悪巧みって……えらい人聞きが悪いなあ」
「ヒヒッ、これはスマヌ、スマヌ。しかし、どうにもぬしが徳川に心酔しているようには思えぬでなァ」
 白と黒の反転した珍しい色の瞳をぐるりと回して、おどけたように吉継が言う。この不思議な瞳は聞き覚えがないが、それ以外の容姿は文献で読んだ通りである。
 業病――ハンセン病とも梅毒とも言われるが、正確な病名はわかっていない。つまり、確実に言えることは、“この時代には不治の病とされていた皮膚病”である、ということだけである。――を患っていたとされる吉継は、史実では頭巾で顔を被っていたらしい。今目の前にいる吉継もまた、頭巾こそないものの、蝶の付いた変わり兜を被り、肌を隙間なく包帯で被い隠していた。
 病は今、どこまで進んでいるのだろうか。
 関ヶ原当時には既に失明し、それでも戦局を耳で聞くことで采配を奮ったというのだから、さすがは太閤秀吉に『100万の兵を与えて指揮させたい』と言わせただけの才の持ち主である。
 ……つまり、こんな小娘の考えくらいお見通し、ってわけやね。
「心酔してへん相手やとしても、一応、恩人の為になんかしたいっちゅー考えは、そんなにおかしい?」
 このだだっ広い部屋にいるのは、私と吉継、二人だけである。私がそう、願ったから。とはいえ、それを信じきることも出来ないだろう。間者の疑いは晴れたとしても、相変わらず私はここでは後ろ楯もなにもない、異質な存在であることに変わりない。天井裏に忍者の一人や二人いて、盗み聞きされている程度の認識は、していて損はないだろう。
 そして、それをわかった上で悪巧みなどと口にするなら、大谷吉継という武将は、相当性格が悪い、ということだ。
「そう怒ってくれるな。よもや徳川に呼ばれた先で、ぬしのような童が出てくるとは。更には戦を止めて見せるなどと言われては、なにやら面白うてなァ、ヒヒヒ」
「私は、止める、とは言うてないで」
 そこで初めて、吉継が“まともに”私を見た。
「私は、家康に頼まれただけや、“三成を助けてくれ”、って」
「……左様か」
 吉継の瞳を見つめたまま、私はニッと笑ってみせた。

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26

 互いに黙り込み、見つめ合うこと数秒、先に声をあげたのは、
「ヒャヒャッ! よい、ヨイ! ぬしの身柄はわれが責任持って預かろう」
 吉継、だった。ほっとして崩れそうになる体を、なんとか保つ。これ、いつになったら気ぃ抜けるん?
「そうしてもらえると、ありがたいわ」
「ヒヒッ、ぬしと“話をする”のが楽しみよなァ」
 ……また、挑発的なことで。
 本心喋ってないって、もろばれやんか。壁に耳あり障子に目あり、って言葉は戦国時代にはまだなかったと? この分では心臓がいくらあっても足りそうにない。もしかしたら、今からでも東軍についた方がええんやないか……そんな考えが頭をよぎる。
「三成は裏切りを許さぬ。ぬしもわれらが下に来るからには、もしもの時には死を覚悟せよ」
 まるで頭の中を見透かしたように吉継が言った。つーか、なにそれ。大谷刑部ムッチャ怖い。
「誰が」
 とはいえ、ここまで来て怯えている所なんて見せられる訳がない。冗談で済みそうにない脅しを、強いて何でもない風に、鼻を鳴らして一蹴した。
「あんたの方こそ、私を裏切らんといてな?」
 にやりと笑って言い返せば、あちらもまた、にやりと返す。本当にニヤリ笑いがようお似合いになりますこと!

 その後、話はトントン拍子に進み――当たり前だ、両者の思惑は一見、一致しているのだから――私は吉継と共に大阪城へと移ることになった。荷物なんて、こちらへ来るときに着ていたセーラー服ぐらい。それに何枚かの着物を持っていくかと家康に言われたが、丁重に断っておいた。いわく、三成の現状から見て、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いを素で行くと判断された為、出来るだけ家康に関係する物は持たない方がいいとのこと。なんやそれ。噂以上に面倒くさい男やな、石田三成!
 そんな訳で仕方なく、よれよれのセーラーにプリーツのとれまくったスカートという格好で、私は江戸城を後にしようとしていた。……もちろん、テンションは最悪である。これでテンション上がってたらむしろ奇跡だと思う。
「これも義のためよ」
 ヒヒヒ、と吉継が笑って言うが、多分違う。っていうか、絶対違うやんなあ?!
「二歩……すまん」
「なんで謝るん?」
 城門までわざわざ送りに来た家康を、私は笑った。ここまで来て、何を言い出すのか。中途半端な謝罪の言葉なんかより、目を合わせたらとたんに連れ去られそうな政宗の視線の方がよっぽどマシだ。いや、合わせんけど。
 三河の狸、江戸幕府初代将軍、東照大権現――徳川家康。
「あんた、後悔せんといてや?」

 私をむざむざ手放したことを。

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27

「今の大阪城って、太閤さんの作ったままの大阪城なんやろ? 楽しみやなー」
 奇妙な格好をした娘が、奇妙な程に浮かれた様子で、奇妙な事を言い出した。
「ハテ、太閤が作ったより外に大坂城などありはせぬが」
「あー、えっと、今の城は大阪夏の陣の時に燃えてしまうんよ。で、江戸に入ってから徳川が再建するねんけど、また何回か燃えてんねんよね。第二次もあるし。そんなわけで、現在の大阪城は徳川の大阪城に、太閤さんの時の天守閣が乗ったデザインになってるねん」
「ぬしの言うことはさっぱりわからぬわ」
 吉継は現在、奇妙な娘と向かい合わせになるようにして車に乗っている。輿での移動はいくら手足のように動かせる、とは言っても、体力も気力もいることだから、できれば戦場以外では用いたくない。それも、江戸から大坂の長距離ともなれば考えただけでもうんざりする。何よりも、この娘を置いて一人帰るわけにも、いくまい。
「まあ、私がいるからには関係のない話や。気にせんといて」
 にっと笑う二歩を、あのまま徳川のもとに置いておくわけには、どうしてもいかなかった。
 娘にどういう思惑があるのか、吉継は知らぬ。知らぬが何か大それたことをしようとしているのだけは、わかった。どうして、ドウシテ、と包帯の下で笑みを作る。見たところ非力な娘である。伊予の巫の如き力は、娘の言い分を信じればまったく質の違うもので、彼女自体に何の力があるわけでもない。それでもこの娘の、やけに自信のあるところが面白い、と吉継は思った。不幸が降りやる前に、まさか人が降ってくるとはな。
「ヒヒッ、まっこと頼もしい。しかし、そのような物言いは三成の前ではせぬが良いな」
「ああ、へいくゎいやから?」
 なんでもないように二歩がしれっと口にした言葉に、吉継は唇を歪ませる。二歩の言葉が真実であれば、三成のへいくゎいは未来にまで語り伝わっているということである。
 あの男のへいくゎいも相当のものであるが、まさか幾百年後までへいくゎいと言われていようとは。
「ソウヨ、三成はヒドイへいくゎいゆえなァ。ぬしの物言いが気に食わんと、刀を抜くやも知れぬ」
「それを止めるんがあんたの仕事ちゃうん? 大谷吉継……サン」
 急に歯切れの悪くなった二歩を吉継はまじまじと眺め返す。視線の先で、居心地悪そうに身動ぎする娘に、にやりと笑いかければ、むっとしたように睨まれる。本当に、面白い娘だ。
「刑部でよい。……ぬしはわれが病持ちであることを知っておろうな」
 とたん、二歩が睨むのを止めた。
「知ってるよ」

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2011/05/24

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