さらば君10

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オリ主 / トリップ

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28

「有名やもん。歴史好きにはほぼ常識やで」
 なんや思い詰めたような顔で言い出すもんやから、もっと深刻な話やと思った。
 呆れ返って答えれば、吉継は複雑な顔をして――ちなみに包帯で表情がほぼ隠れているので、雰囲気から推測――呟くように、ぽつり、と言った。
「それまで未来に伝わっておるか」
「まあ、な」
 そうか、隠しておきたかったのか、とふと思った。
 関ヶ原で西軍の負けが明らかになったと知るや、吉継は、己の首は誰にも見つからぬようにして埋めよ、と命じて腹を切ったという――そうして、その首はついぞ発見されることはなかった。
 戦と戦後の報償の話は、切っても切り離せない。戦国時代、己の戦場での活躍をアピールする為に、武士達は旗指物や兜、甲冑など、さまざまな工夫を凝らしていたが、けれどやっぱり、その最たる証拠となるのは、敵の首、そのものだったろう。
 首級、と呼ばれる敵方の首をわざわざ誰の物か調べる“首実験”なんてものがあったくらいだ。そこでは本当に申請した通りの人物の首なのか、どのくらいの地位の人物かを調べ、それ如何で戦後どれほどの報償を与えられるのかが決められていたらしい。
 大谷吉継も、少ないとは言え一国の大名である。当然、その首が敵の手に落ちれば、首実験に供されるのは間違いない。
 ……病気で崩れた己の顔が、多くの目に晒されるのを吉継は良しとしなかった。
 病気にも負けず、世を恨みもしない人格者なんて、嘘だと思う。手の打ちようがない病を抱えて、その所為で周りから差別されて、それでもイイ人でいられるなんて、そんなん人間できすぎか、逆にあんまり考えてないかのどっちかやと思うんよ。
 後世に残る吉継の逸話があんまりにもイケメンエピソードばっかりやから――私、この人、あんまり好きではなかったんよ、ね。人間味がないっちゅーか、調べてて面白ないっていうか。
 でも。
「ならば、知っておろ。われのこの病は何人にも治せぬ病よ。恐ろしかろ?」
 諦めたように、怯える心を隠すように、いかにも楽しげに笑うこの人が。
「私、好きやわ」
 文献にいる、格好良くて義にあつくて、戦の上手な大谷吉継より、ずっと好きだと、そう思った。

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29

 見事に固まった吉継の反応に、私は思わず首を傾げ……ああ、と誤解に思い当たった。
「好きっていうても、別に側室になりたいとかそういう好きちゃうし。人間的に好きやなー、っていう話な?」
 誤解せんといてや、と言えば、ようやく呼吸の仕方を思い出したように、吉継が、はあああああ、と長い長いため息を吐いた。ぎょろり、と向けられた白黒の目がなんだか恨めしげに見える。
「病人に冗談とは、ぬしも酷い娘よなァ」
「いや、別に冗談言ったつもりもないんやけど」
「病にはな、下手なヤサシサが一番悪いのよ」
 早くも調子を取り戻した吉継が、ヒヒヒと意地悪く笑った。まったくどれだけ根性ねじ曲がってるのか知らんけど、人の好意ぐらい素直に受けておくべきちゃうやろうか。減るもんやないし……って、減る、か?
 まぁ、好意は別にしても、最低限の信用くらいはしてもらわないことには、今後の計画にも差し障る。手っ取り早くわかってもらう為には、えーっと。
「なっ!」
 とりあえず、手を握ってみた。
 明らかにぎょっとしているけど、かまうものか。何をしやる、とか、離しやれ、とか聞こえるが、そういうのは今は全部無視。逆に握った手にぐっと力をこめた。重要なのは、目の前のこの人の病に怯えないことである。
「好きとか嫌いとかどーでもええんやけど、私、あんたの病気なんか、ちっとも怖くないで」
 しっかり目を見て言い返す。大丈夫。私はこれが、手を握るぐらいでは移らない病だと知っている。知っているものを怖がるような、馬鹿なことは、しない。
「私はあんたの病気の治し方は知らんけど、あんたの病気がどんなもんかは知ってんねん。あんたの病気は、こうして触るくらいでは移らんことも」
 握っていた手を少しだけ開いて、きつく巻かれた包帯をほどく。吉継は止めなかった。はらはらと布が膝の上にとぐろを巻き出した頃、あらわになった肌に、私は思わず息を飲みそうになって――ぐっ、と顔を引き締める。
「これを見ても、ぬしは同じ事を言いやるか?」

 言う吉継の顔には、少しの笑いも浮かんではいなかった。

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30

 関ヶ原でなぜ吉継が西軍についたのか。それにはこんな逸話がある。
 ある茶会のこと、その頃すでに病の進行していた吉継は、回ってきたお茶に口をつけるフリだけして次へ回そうと思っていた。あ、ちなみにここでの茶会っていうんは、一つの茶碗に入った抹茶をちょっとずつ飲みながら、次々隣の人に回していくのがルールだったらしいねんけどな? つまり、病人の自分が口をつけた後じゃ、みんな飲みたないやろう、と気をきかせた訳やけど……っていうか、ぶっちゃけ、そんな気ぃつかうような人やろか、この人。むしろ嬉々として口つけて、後の人の嫌がらせにするような気がするけどな!
 ま、現実がどうであれ、とりあえず逸話的な話を進めると、最終的に吉継のその気遣いは無駄になった。
 口をつけるフリをするつもりが、うっかり顔の膿が落ちて、茶に入ってしまったらしい。
 うん、うっかり……いや、もう本当、これただの逸話やから、逸話! 真偽は定かでないから!
 で、もちろんみんな怖がって飲まない。差別よくない、って口で言うのは簡単やけど、感染経路も治療法もわからん病気が、もし万が一自分に移ったら、っていう恐怖はすさまじいものがあると思うわ。ごく最近、もしかしたら現代まで残る強い差別は、強い恐怖心の裏返しやと思うから。そんなわけで、みんな口をつけるフリだけしてさっさと次に回してたんやけど……、

 それを、石田三成はとまどうことなく一気に飲みほした。

 喉が乾いたから、とか言い訳したらしいけど、これ本当やったらすごいことやと思う。それほど三成好きとちゃう私やけど……でも、これはすごいよ。並の友情じゃ、できないよ。
 もちろん、吉継はこれに大いに感動して、関ヶ原でも負けると予想しつつも西軍につく、という話なんやけど。
 あ、ちなみに三成が太閤さんのバージョンもあるねんけどね。

 私は一つ、深呼吸した。
 三成以外の武将が吉継を避けたんは、この病がなにか、わからんからや。私はわかる。大丈夫。初めて見るその皮膚が、どんなに痛々しくっても。
「怖く、ないで」
 私はゆっくりと、吉継の手を握り直す。
 膿んで、固くなった手はそれでもやっぱり暖かかった。

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2011/06/15

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