さらば君11

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オリ主 / トリップ

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31

「……もう、よい」
 すぅっ、と吉継の手が逃げていくのを、私はなすすべもなく見送っていた。それに合わせて膝の上に落ちていた包帯もまた、さらさらと去っていく。だめやったろうか、とぼんやり思った。
 好きだとか、嫌いだとかじゃなく、この人に、一個の人間として認めてほしいような気がしていた。武士だとか農民だとか、過去だとか未来だとか、そういうこととは、まるで関係なしに。
 そんなことを、戦国時代の価値観を持っている人に望んだところで、仕方のないことだとはわかっているけれど。
「……あまりわれを頼りにされても、困る」
 慣れた手つきでするすると包帯を巻き直しながら、うつむいたままの吉継が言う。
「われには、大きなやや子がいるゆえな。その世話を見てやらねばならぬのよ」
「……えっと」
 いきなりなんの話だろうか。やや子……って、えーっと、赤ん坊のことやったっけ。つまり大きな赤ん坊……なにそれ。息子のことか? 確か、大阪夏の陣で討死する息子がいたと思うけど。それとも、娘もいたはずだから、そっちのことだろうか。どちらにしろ、大きな、というからには、それなりの歳にはちがいない。
「なんやようわからんけど、とりあえず自立は大事やと思うで。甘やかしても本人の為にならんしな」
 わからないながらも適当に話を合わせると、ようやく吉継がこちらを向いた。きょとん、とまるで音がきこえてきそうなほど、大きく丸く見開かれた目が目の前にある。
「な、なんやのん」
 特に変なことを言った覚えはない。が、とたん弾けたように吉継がきゃらきゃらと笑い出して、私は思わず身を引いた。
「そうよなァ、自立は大事よ、ダイジ」
「はぁ」
 ごめん、まったく話が見えんのやけど!?
 とまどいつつ、黙って聞いていた私だけれど、次の言葉には、さすがに突っ込まざるをえなかった。
「しかし、われが面倒をみねばなにも出来ぬ、と思えばかわいらしゅうてなァ。ついつい要らぬ世話まで焼いてしまうのよ」
「ちょ、それ、ダメ親の典型やで!」
 好きとか言っておいてあれやけど、本当、こんなキャラやったっけ、大谷吉継!

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32

 叫んだ為に乱れた息をなんとかととのえて、私は立ち上がりかけていた姿勢を引き戻した。あかん、イメージと違うからって取り乱しすぎた。計画遂行の為に、まずは落ち着け、私!
 はーっ、と深く息を吐く私を、ななめ前に座った吉継がにやにやと見つめてくる。誰のせいや、誰の、とツッコミたいのを抑えて、私はあらためて車の中を見回した。

 外見は平安時代の牛車に似ていただろうか。白い大きな馬に引かせていた為に、馬車と呼ぶべきなのだろう乗り物は、やはり内部も牛車よりは馬車に近いように思われる。
 床面積は案外広く、畳を一回り広くしたくらい。その左右の両端には腰かける為の段がついていて、対角線上に座れば、向き合った相手と足が触れる、なんてこともない。あいにく窓はなく、乗り込み口である後部から簾を通して光がすけて入るぐらいが主な光源。今はまだ日が高いから、ぼんやりと車内が見てとれるけれど、夕方になれば本当に真っ暗になってしまうだろう。
 そんなことをぼんやりと考えていたのは――認めたくはないけど、現実逃避、だったらしい。
「……時に」
 薄暗闇の中からずろり響いた声に、内心びびってしまう程度には。
「ぬしの本心を未だ聞かせてもろうてないのだがなァ?」
「ほんしんー?」
 なんのことやらさっぱりやわぁ、とかなんとか言って誤魔化せる相手ではないことぐらい、えぇ、えぇ! わかってましたとも!
 もっとも、豊臣方である吉継に隠す話でもないんやけど、な?
「徳川の城では話せずとも、ここでならば話せよう。サァ、聞かせてくりゃれ?」
「えー、っちゅーか、私のこと、やっぱり信用してくれへんのん?」
 ここでしぶったところで、大した利益にはならないことはわかっていた。どころか、逆に不審がられるかもしれない。
 それでも、どうしてか言いたくはなかったのは、やっぱり何の理由がなくとも、この人に信じて欲しかったから、なんやと思う。さっきの全部が無駄だったのか、それがどうしても知りたかった。
「それとこれとはまた別よ」
 ヒヒッ、と笑う吉継の目に、悪意は見分けられなかった。
 本当はどうかなんて、知らない。目の前の現実を信じるだけだから、私も笑って煙に巻く。
「城に無事着けたら話すわ」
 信じて欲しい、は信じたい、の裏返しなのかもしれない、なーんて。

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33

 どういう構造になっているのかはわからない。けれど、よく聞くヨーロッパの馬車みたいなひどい揺れとは全くの無縁だったのは、幸運と喜んでもいいのかもしれなかった。
 日本の物作りマジすげー。
 これ本当に戦国時代なの?とか思わないこともなくもないけど。でも、もしかしたら、日本人っていうのは、昔から乗り物の中でいかに気持ちよく寝られるかっていう命題に血道を上げてきた民族なんかもしれんよね。現代日本において、電車の中で爆睡する人間のなんと多いことか!
 そんなわけで、無理やり話をそらして黙りこんだ私を待っていたのは、眠気という名の悪魔でした。
 かすかな振動は伝わってくるものの、ちょうど電車かそれより小さいぐらいで、これで眠くならなきゃ嘘だろって感じである。薄暗いのも、よけいに拍車をかけたのかもしれないけど。
 そんなこんなで、いつの間にかうとうとしていた私を現実に引き戻したのは、
「ヤレ、よくもマァ、そうも深く眠れることよ。年頃の娘とも思えぬなァ」
 呆れたような、吉継の声でした。
 っていうか、まさか起こしてくれると思わんかったわ!
「あ、ありがとう」
 やばい、マジ寝してた。あわてて口元をぬぐいながら私はお礼の言葉を口にした。大丈夫、さすがにヨダレはたらしてない。
 ほっと息をつく私にさらに呆れた視線を向けながら――ほんま、そんなにあからさまに呆れんでもええのにな――吉継が、腰をずらして簾を上げる。
「ぬしのまぬけ面に気を取られているうちにな、着きやったわ」
 ホレ、と顎で示された外の景色に、私は思わず息を飲んだ。
 さっきまで眠っていたせいで、体は絶対にだるいのに、そんなものはどこかへふっ飛んでしまったようだった。目の前の景色から、視線がどうしても離せない。
「あ……」
 絞り出した声は、意味のある言葉にはならなかった。私ね、実はもっと自分が冷静でいられると思ってたんやよね。だって、現代にもあるんやもん。小学生の遠足でも、家族で花見にも、中学生のマラソンでも、行ったんやもん。
 でも違う、全然違う。目の前の“これ”は、“あれ”とまったく違うものだ。
 無意識のうちに吉継を押し退けるようにして、私は車を降りた。入り口の段を踏み外して、べたんと地面に転がり落ちる。それでも、痛みを口にする前に、私は顔を上げた。
「これが……大阪、城」
 三國無双と呼ばれた城を、この目に焼き付ける為に。

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2011/07/15

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