さらば君12

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オリ主 / トリップ

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34

 呆けたように太閤の城を見つめ続ける娘を、吉継は奇妙なものでも見るような目で見下ろした。
 こんな風にこの城を見つめる者を、吉継は今まで一人しか知らない。それは吉継の唯一人の友であり、太閤に忠誠を捧げ、己をも捧げ、今まさに死に行くばかりの体を狂気でもって駆っている男である。
 はたして、この娘はどうであろう。
 似てはいない、と思う。この二歩という娘は、確かにおかしなところがあるが、それは決して狂っているからではない。どんなに不可思議な言動をとろうとも、その瞳の正気が揺らぐことはなかった。だからこそ、吉継も二歩を連れ帰る気になったのであるが。
 それでも大坂城を見つめる彼らの目は、驚くほどによく似ていた。崇敬と執着に彩られた、信仰者の眼である。
 いや、本当を言えば今だけではない、先ほどの、吉継の手を握った二歩の目は――そこで吉継は目をつむった。吉継が頭を使うべきは、いかにこの戦で三成を勝たせ、己の望みを果たすかである。損になるか益になるかもわからぬ娘の為に、無駄に頭を悩ますことなどしたくはなかった。

 太閤が築いた栄華の象徴たる大坂城は、五重八階の天守閣を持つ、難攻不落の名城である。天守曲輪を中心に本丸、二の丸、三の丸、そうして総構えと囲み、三重の堀と北は淀川の流れによって厳重に守られている。
 とはいえ武骨なばかりの城ではなく、天守は金箔瓦に金の飾り金具を吊り下げ、黒漆塗りの下見板に施した金の装飾が目にもきらびやかな太閤好みの美々しさで、それが大坂の町のどこにいても仰ぎ見られるというのだから、もはや一つの芸術品と言っても良いようなものであった。
 大坂城はいわゆる軍略の一つであった。太閤の権力と財を使い、軍師が練った策である。三成がこれを指して太閤の力の象徴と呼ぶのも無理からぬことであったし、未だに豊臣の城と呼ばれるのもまた、無理からぬことであった。
 この世にも贅沢な城を初めて見た者は一様にその脅威と豪奢とに目を見張り、自ずから豊臣の威容に頭を垂れるの羽目になるのである。
 娘の目がただのそれと同じであったならどんなにか楽であったろう、と吉継は思った。凡人俗人の類いであれば、この半兵衛に次ぐと言われた悟性でもって使い潰してやったものを。

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35

 どれぐらいそうしていただろうか。息をするのも忘れて大阪城を見つめていた私を引き戻したのは、
「ヤレ、いい加減気が済んだか」
 呆れがありありとにじむ吉継の声だった。
「6月とはいえ、日が落ちると寒いサムイ。ぬしも病人相手に酷なことよなァ……ヒヒッ」
「……あんた、ほんまにエエ性格してるなぁ」
 口を開けば嫌みばかり。これ、病気のせいとか絶対ちゃうと思うんやけど。元々の性格が悪くなければ、どうしたってこうはなるまい。
 けれど、まあ、たしかに病人放り出して大阪城に見とれていた私にも非はあるわけだし。
「ごめん、あんたのこと忘れてたわ。なんや、具合悪うなってへん?」
 スカートについた土埃をパンッ、とはたき落としながら立ち上がる。紺のスカートだから、白い汚れは目立ってしょうがない。洗わないことにはどうしようもないが、制服ってそもそも手洗いオッケーだったかな……。どっちにしろお堀に落ちたから、一回洗ってるんだけど。
「……ぬしは冗談もわからぬか」
「あんたの冗談わかりにくいで」
 そもそも、そんな顔しなきゃならなくなるような冗談、言わなければいいのに。
 言いかけた言葉は大人の対応でスルーした。怒ったようなとまどうような表情は、きっと無意識だと思うから。
 この人、何歳やったっけ? 大谷吉継という武将は謎が多い。生年も不明、生国も不明、ついでにいうと、父親も不明。色々、説はあるみたいやけど、確実なことはわからない。どういう伝手で豊臣家に仕官したのかも。
 とりあえず、三成よりいくつか年上、というのがわりとよく聞く説で、確か1600年の三成は40歳くらいだったと思うから、吉継もそれくらいなのだろう。もっとも、推定60歳前後の家康がああだったわけだから、私の知ってる歴史なんて当てにならない可能性は十二分にあるのだけど。
 きっちり包帯でおおわれた面相からは年齢を推し量るのは難しい。まぁ、とにかく年上は確実だろうと、私は頭を切り替えて吉継の側へと歩み寄る。
「私、手ぇ貸した方がええ?」
 車の端に片膝立てて腰かける吉継の目が、ぱちぱちと子どものように瞬いた。

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36

 車の降り口の下には段が出してあり、吉継はそこに片足をかけるようにして腰を下ろしている。すぐそばの地面には……これは輿、でええんやろうな。木でできた四角い枠のようなもの。輿にしては担ぐ為の棒がない気がするが、まぁ、どうにかするのだろう。側面に挿し込み口がある、とか? さすがにそこまでは知らん。ちょっと違うけど、神輿だって近くでまじまじとはみたことないしな。
 そういえば、関ヶ原での吉継は輿に乗って参戦したんやっけ。
 輿に乗る武将、というのは案外珍しくないように思う。駿河の今川義元に、肥前の龍造寺隆信、豊後の立花道雪とか。もっとも今川と龍造寺は肥満で馬に乗れなかったのが理由らしいけど。今川に関しては違うっていう説もあるし、詳しいことはようわからん。
 吉継のそれは病気の為だ。ハンセン病の進行による失明。話をしている間、そんな風にはまったく見えなかったけれど、すでにその目は光を失っているのだろうか。
 実際にどの程度病気が進んでいたのかの正確な知識は私にはない。膿と失明以外にも、きっと、私の知らない症状に吉継は悩まされている。
 自分でも気づかないうちに、唇を噛んでいた。
「……とりあえず、これ乗るんやな? さすがに私一人では担がれへんで」
 ぱっと見、周りに人はいないようだけれど、そもそもここに輿を出した人間がいるはずだ。まさか、そのまま放置ってことはないだろう。無理やり笑顔を作って輿を指しつつ、吉継に視線を向けると、ようやく立ち直ったのか、スマヌナと、まったくすまなさの欠片も見せず返された。しおらしいんか、ふてぶてしいんかはっきりしてほしい、と思ったところで、ずっと憎まれ口を叩かれ続けるよりはマシかと思いなおす。
 ギャップ萌えってやつやな、多分。
 うんうん、と一人納得しながら差し出した手は、結局取られることはなかった。
「刑部っ!」
 突如として響いた耳をふさぎたくなるような怒鳴り声が、気づけば目にも止まらぬ早さで私と吉継の間に入り込んでいたからである。

 目の前には白地に紫の下がり藤。どうやら誰かの背中らしいが、ならただの装飾ではなくて家紋だろうか。下がり藤の家ってどこだったかなあ。突然のことにうまく頭が回らない。
 ぼんやりと突っ立っているしかできない私の目の前で、まるで怒鳴らなければしゃべれないように、下がり藤が声を出した。
「刑部! 貴様、私に黙ってどこへ行っていたっ!」

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2011/08/02

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