祟り神と狐3

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三吉三 / 家 / 人外パロ / 転生

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「よし、よし。ぬしは愛い子よ、なァ」
 真っ暗闇のさらに奥から、ぞろりぞろりとはうように聞こえてくる声音に、家康は言葉もなく身を強ばらせていた。危険はさったはずなのに、どうしても冷たい石の床の上から、体を起こすことができない。少しでも動けば、きっとあの声の主に気づかれる。それが、怖い。
 なぜ怖いのかはわからない。
 状況から言えば、家康は姿もわからぬ声の主に助けられたのである。一体どんな術を使ったかは知らないが、あの主が、一声、かけたのをきっかけに、獣は家康の上からすんなりと去っていった。感謝するのが、当然だろう。それを怖いとは、恩を仇で返すようなものだ。わかってはいるが、やはり恐ろしい。
 不意にヒヒッ、と不気味な笑い声が上がった。
「近頃の童は、礼も言えぬか。嘆かわしいことよな」
 嘲りを含んだその声に、家康はハッとして顔をあげた。
「す、すまん! 危ないところを助けてくれて感謝する。ワシは三河第三小の」
「よい、よい。ぬしの名など、今更聞きたくもないわ。……それにしても、危ないところとは言い得て妙よナァ? あのままわれが止めなんだら、今頃、ぬしなど三成の腹の中よ」
 家康の言葉を途中で遮ったかと思えば、声の主は何が面白いのかまたヒヒヒと不気味な笑いをもらした。
 みつなり、とはどうやらあの獣の名前らしい。家康としては、冗談にしても自分が獣に食い殺されるところだったと聞いて、気分のいいはずがない。だんまりを決め込んでいると、吐息のような小ささで、いっそ止めねばよかったか、と呟く声が聞こえてきた。
 ここにいたって家康は、あの声の主こそが獣をしかけて自分を襲わせたのではないか、という疑念を抱いた。声は大層獣をかわいがっている様子だし、獣もきっと、声になついているのだろう。でなければ、たった一声かけただけで、獣がそちらに走っていくことなど、あるだろうか。
「もう遅いし、ワシは帰ることにする」
 見えないながらも一応土埃を払いながら立ち上がった家康は、できるだけなんでもない風にしてそう言った。意識していなければ、不機嫌さを隠しきれないと思ったからだった。
 声にはこの暗闇の中でも、何もかも見えているらしい。
 ヒヒ、そうか、と家康を笑ったかと思うと、何を思ったのか、
「確かに童がうろつくには、いささか遅い時間よな。三成、送ってやってくれまいか」
 そんなことを、口にした。
 自分を襲った獣に送られるなど、とんでもない。慌てて断りの文句を口にしようとした家康だったが、それは不意にすぐそばから聞こえてきた別の声によって、かなうことはなかった。
「いいだろう」
 聞いたことはない、しかし、なぜか知っている気がする若い男の声に、家康は心臓がどくり、と一際高く打つのを感じた。

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2011/02/21

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