わるいこは 四日目

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ホラー
※友人とのプロット交換作品です

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 雨は嫌いではない、と堀川は言っていたが、元は鋼鉄である以上、刀剣男士の中には水全般が苦手な者も多い。審神者の初めて鍛刀した刀である今剣がその筆頭で、左文字兄弟や明石国行などは小さな水滴を見るだけでも露骨に嫌そうな顔をする。いくら審神者が口を酸っぱくして肉の体は錆びることがないと言い聞かせても、本質的な物なのだろう、風呂だけはなんとか毎日入ることを了承させたが、それでもカラスの行水が大量に発生するのは仕方のないことと言えた。
 そんなだから雨の日は、火急の用でもない限り、演練以外の外出をできるだけ取り止めている。聞けば審神者の所属する豊後国だけではなく、どこの国でも、雨が降ると演練の参加率が下がるらしい。他の本丸も同じなのだとその話を聞いたときには笑ったが、その時はこれほどまでに、連日に渡って雨が降り続くことがあるとは、夢にも思っていなかったのだ。けれども通算七日目の悪天候に、審神者はいよいよ外に出ざるを得ないことを悟った。待ったなし、問答無用の火急の用件――すなわち日用品のストックが切れたのである。
 朝から事態を察したらしい男士たちとは、まったく目が合わなかった。まるでするすると滑るように逸らされる目を無理やりに合わせ、男士の中でも比較的水に耐性のある燭台切光忠を捕まえて政府関連の大型ショッピングモール『万屋』へと買い物に繰り出したのは午前十一時。久しぶりの外出にあれもこれもと買い込んで、少し遅めの昼食にと濃い目の味付けの豚骨ラーメンをモール端の食堂でかき込んだ。いつまでも残る胸のもやつきはまさか歳のせいか、などと愚痴りながら、両手に抱えた大量の荷物とともに帰宅したのは、午後三時を過ぎた頃だった。
「ただいまー、……ん?」
 どっこいしょ、と荷物を置こうとした審神者は、足元から聞こえてきたピチャ、という水音に首をかしげた。視線を落とせば、薄暗い視界の中、土間の三和土部分にゆらりと揺れるものがある。明かりのないなかでも目を凝らすと、爪先が触れるか触れないかという近さに、大きな水たまりができていた。ただの水にしては妙にドロリとして、そこだけ穴でも開いているようにひときわ暗い。生乾きの服から香る、湿っぽい雨の臭いの中、不意に鉄錆に似た臭いが鼻をつく。どこから、と思わず首をひねった、その拍子に、わずかにずれた体の脇を通って、背後のガラス扉越しの光が土間の床へと差し込んだ。ユラユラと揺れる水面が光を透かして、ギラリと赤く光った。それはまるで、血だまりの、ようで。
「……ッ!」
 パチン、と軽い音を立てて、急に視界が明るくなる。驚いた審神者が顔を上げれば、燭台切が壁際のスイッチに手を伸ばしていたのと目が合った。とたんに燭台切の一つしかない目がいっぱいに見開かれ、バサリと両手の荷物が床に落ちた。
「主、どうしたの!」
 真っ青だよ、と駆け寄ってきた燭台切に両肩をつかまれて、その時初めて審神者は自分が息を止めていたことに気づいた。ハッと大きく息をはき、恐る恐る床へと視線を戻す。
 水たまりは、ただの水たまりだった。
 ヘロヘロと床に倒れこみそうになる審神者を見て、さらに慌てた様子の燭台切がこんのすけを呼ぼうとまくしたてるのに、大丈夫だから、と断って、無理くり足を動かして上がり框へと座り込む。
「あ」
 上がり框の上にも、ポツン、と小さな水たまりができていた。段を上がって、玄関にもまた、一つ。顔を上げれば磨き抜かれた板張りの床の上、五百円玉ほどの大きさの水滴が大廊下の奥にまで点々と続いていた。それぞれの水滴は小さく、一定の距離ごとに落ちているように見える。まるで上から少しずつ水をこぼして歩いたように、ほとんど完璧な円形を保っていた。つぶされた跡のない形状は、五虎退の虎や鳴狐のお供の狐のような生き物の仕業ではない。もっと上から――例えば、髪の先や布地から垂れたような。
「主」
 かけ声に顔を上げれば、いつの間にか玄関に上がった燭台切が、すぐそばに膝をついて審神者を心配そうに見下ろしていた。上背もあり、太刀の中でも目立って体格の良い燭台切は、ただ近くにいるだけでなかなかの圧迫感を感じるのが常なのだが、この時はまったく気がつかなかった。
「そのままだと、風邪ひいちゃうよ。まずは着替えておいで」
 穏やかな声の中に潜む不安そうな響きに、申し訳なさがこみ上げる。言葉につまる審神者に、ダメ押しのように燭台切が笑いかけた。
「ここは僕がふいておくから。ね?」

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2022/05/30

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